時事放談91 2006/12/27

木村天山

 タイ・チェンマイ滞在記その1

 バンコクを経由してチェンマイに着いたのは、現地時間の八時近くである。日本時間では、十時になる。二時間の時差がある。

 驚く程涼しい風。11月から4月までは乾季で過ごしやすい時期。

 往復のチケットのみ予約して、ホテルは予約していない。そんなことは、初めての経験である。コウタ君と一緒なので、安心していた。彼は、貧乏旅行の先輩であるから、何とでもなると思っていた。でも彼は、今回の旅は、私に従うとの旨。

 ソンテウという乗合タクシーを待つ。中々来ない。行き場所は、地図で見て、旧市街の東の外れ、その先の東は、ダウンタウンである。そして中心部でもある。

 ターペー門という場所の前のモントリホテルを目指すことにした。

 やっと来たソンテウに乗り、少しの不安と共に、流れ行く町並みを見る。

 風をそのまま受けるので、寒い程だ。熱風を予想していたが、違った。矢張り、バンコクより北である。飛行機で一時間半、丁度東京から札幌程度の距離だ。

 チェンマイは、タイ北部の入り口の街である。その先に行くと、ビルマ、現在のミャンマーとの国境、中国との国境がある。

 随分と乗った感じだった。漸く、ターペー門の前に着いた。百バーツを払う。100円が、30バーツである。つまり90円と少し。これから料金はバーツで書く。

 ホテルフロントで、部屋を取る。二人、ツインルームで750バーツである。高い。案内書には、650バーツとある。しかし、後で、安いと解る。この時期は、繁忙期で高いのであることを知る。特に、フラワーフェスティバルが開催されて、タイの人々も多く訪れていたのだ。後で、再度、このホテルに泊まろうとした時、950バーツになっていた。750バーツは、2300円程度である。二人で、その値段なら日本では考えられない。ビジネスホテルでも、二人で、一万円は超える。

 私が泊まった一番安い安宿は、250バーツだった。二人で、700円と少しである。バックパーカーは、皆、そんな安宿に泊まる。

 勿論、部屋は狭い、扇風機と、温シャワーがある。ベッドがくっついている。それでも、寝るには問題ない。上を見れば切りがない。私が泊まった最高の値段のホテルは、1250バーツである。安いホテルも高いホテルも、皆プールだと言われて、やっと決めたホテルである。それは後で書く。

 予約しないで来た私に、周囲の人が歓声を上げたことを私は知らなかった。コウタ君が後で教えてくれた。この時期に予約しないでというこらしい。

 しかし、至るところに、ゲストハウスや、ホームがあり、泊まるには不自由しない街である。

 三泊を予約した。ボーイというか、おじさんが部屋に案内する。チップは20バーツ。

中流ホテルであるが、部屋は広く納得した。

 荷を下ろして、一息着く。

 意外に楽に来たという感慨である。

 単衣の着物は暑いので、夏の着物に着替えて、食事のためにホテルを出る。この夜は、門を渡らず、ホテルの並びのレストランバーに行く。

 壁のない吹き抜けの大きなレストランである。タイ料理の麺と焼き飯、タイのシンハービールを頼む。寒くなり始めた日本から暖かいタイである。それだけで、満たされる。ボーイが英語や片言の日本語で語りかけてくれる。英語は、皆上手である。自然に覚えるという。凄いことだ。矢張り、喋るに超したことはない。

 そこを出る時は、すでに深夜0時に近い。ホテルに戻り、シャワーを浴びて、コウタ君と、話す。

 何の予定も決めていない。明日の風任せである。観光旅行はしない。ただ、行きたくなったら行く。寺は、京都、鎌倉並にある。しかし、私が入った寺は、一件のみ。皆、古い歴史があるが、寺に入ると、具合が悪くなるので、控えていた。案の定、その寺に入ると、目が霞む。頭具合が悪くなった。

 タイは、仏教国、国教である。しかし精霊信仰もあり、至るところにお供え物がおかれてある。私は、見た、浮游霊である。精霊と言うが、あれば浮游する霊に祈る、供え物を上げる。つまり霊は、その場にいるのである。街全体が、霊の巣窟と言う。

 それがタイであると理解すればいい。

 小乗仏教と言うが、南から来た仏教と、北から入った仏教が交流して出来た仏教である。タイの仏教には二派あるという。黄色い袈裟と茶色の袈裟の二つである。茶色の方が、戒律が厳しい。タイ人は、皆一度、男は出家する。これは貧しい国の福祉である。食べられない子供たちは、そのために救われる。いつまでも寺にいてもいい。だから、タイで餓死する子供はいない。

 寺に入りながら、日本語を勉強したという28歳の青年に会ったが、貧しくても、寺に入り続ければ、やって行ける。食べ物は、托鉢する。理想的だ。

  

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