時事放談 94 2007/1/2
木村天山
今年4月から11月までの間に、ツキノワグマ4737頭が有害捕獲されたという。
そして何と、その九割が処分された。
どなたか、人間の命より熊の命の方が軽いとか、熊なら殺しても構わないと言う人がいたなら、言ってほしい。
私は言う。熊の命も人間の命も、同格であると。
捕獲数が、国内の推定生息数の3割りから5割りであるという仰天である。このままゆければ、絶滅である。
熊が生きられないということは、人間も生きられない環境であるということに気づくこと、先決であると、どうして解らないのか。
人を殺せば、殺人罪である。自然を破壊し、殺しても、自然破壊罪にならないという不思議である。
山を削り、川を埋め、谷を埋め、そうして道路を作る。
そうして自然を破壊して、喜んでいるのは、誰であろうか。大手建設会社であり、それを誘致した誰かであろう。
すべて金のために、自然を破壊して、道路を作る。
そんなところにいらないだろうと思っても、作る。金のためである。
建設が決まると、大きな税金が動き、そこから、関わった人に分配される。話をつけた人も見返りを受ける。
カラクリは、見えている。
人的被害があるゆえ、人命優先で処分するという身勝手は、自然から大きなしっぺ返しを受けること必至である。
四国、紀伊半島など6地域では、絶滅の恐れありという。
人里への出没数増加は、餌となるドングリ類の凶作、開発などによる広葉樹林の減少、農地の放棄などが上げられる。
最近は、トウガラシスプレーなどで脅し、山へ放す「学習放獣」が長野や福井の一部で行われているが、本格的導入には至っていない。すべて、射殺される。
人間より熊の命が劣っていると信じているのである。
仏教国と言われるが、仏教の思想皆無である。
生きとし生けるものすべてに仏性があるなどと言う仏教家が言うことが、ウソであることが、よく解る。
これらすべて欧米の思想による、自然支配である。
自然と共生、共存するという神道、仏教の思想は無い。
勿論、多くの動植物が絶滅している。
それは、自然に行われる。しかし、今は違う。原因の多くは、人間である。
動物が山に住めなくなっているということは、人間がしていること。そして、いずれ人間絶滅ということになるはずである。
人間の命も熊の命も、同格であるということを私は言う。
命が大切であると言いつつ、熊を殺しているのを子供が見て、大人はウソを言うと思うだろう。命なんて、大切なものではないのだと。熊を殺すことに説得力がある。同じように、人間を殺してもいいと思う。
白人以外はいらないと色付き人間を殺す白人主義に似る。
この辺で、自然の生態系を守るという思想を実践しなければ、未来に希望はない。