時事放談96 2007/1/6

木村天山

 和歌山県談合汚職事件で辞職した改革の知事の出直し選挙で、元経済産業省製造産業局次長の、仁坂吉伸氏が当選した。自民、公明の推薦である。

 結局、役人が知事になるという、決まり切ったあり方である。

 しかし、知事選の投票率を見よ。

 過去最低の、35.21%である。

 要するに、和歌山県の県民は、政治を捨てた。

 投票した人は、皆、組織票である。

  

 こうして、民が政治を捨ててゆく。ところが、政治は、決めてゆく。この乖離である。これを埋めるものは、今のところ無い。

 政治を捨てるとは、国を捨てると同じである。つまり、もう日本に希望しないということである。

 

 ここまでになっても、何をか言うのか、政治家が。

 政治をする者に対しては、信じられないの一言であろう、県民、国民は。

 

 公務員は、民間中小企業や、自営業を横目にして、思う存分な給与を得て、のうのうとして、仕事もせずに生活している。仕事をしていると勘違い、錯覚している。あれが、仕事だとは笑わせる。公務員は、非国民であると、私は何度も言っている。

 県庁職員から始め、県議会議員という、小さな政治家、そして、衆議院、参議院という政治家という、非国民にしてやられている。もう、ほとほと嫌気が差したのである。

 勝手にどうぞという意識であろう。

 税金は、ドロボーに取られたと思えば、いたしかたないと、開き直っている。

 税金に関しても、私は、出来るだけ払わないように、払わないようにすべきだと言う。

 大企業が国を見ればよい。彼らの税金で、国を十分に賄うことができるのである。

 

 一般国民の税金は、政治家と公務員と、建設会社が取るのである。

 終わっている。

 

 和歌山県といえば、私には、ミカンが浮かぶ。そして天武天皇の温泉僥倖や、有間皇子の殺害である白浜の温泉である。歴史としては、十分に楽しめる話題がある。

 都から離れて、独自の文化を造った土地である。

 また神々が渡って来た土地である。

 高野龍神、吉野熊野という古道の異境である。

 中上健次という作家を生み出した土地としても、認識している。

 

 その伝統ある、和歌山県である。県民が愛してやまない、風土がある。

 それを政治が、目茶苦茶にするという図は、悲劇である。

 そして、日本には、悲劇が充満して、今に至る。

 哀れである。

 言う言葉が無い。

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