梅雨時期

梅雨時期も、また、よい。

アジサイの花が、いい。

藤岡の祭壇に、ポトスを置いた。
そして、株分けして、沢山にする計画。

ポトスで、祭壇を飾る。

部屋の中
緑を作り
慰霊する
緑が増して
更に 慰霊す

2018/06/16

夏が来れば思い出す

人生は、思い出。
それに、尽きる。

だから、思い出を、作り続ける。
明日も、思い出を作る日。

ふと薫
亡き人の匂い
傍にあり
懐かしきかな
更に 懐かし

2018/06/08

梅雨入り

いよいよ、今年も、梅雨である。

あじさいの
梅雨呼ぶ姿
あはれなり
路地裏に咲く
人に見られず

こうして、また、私は、生き続けている。

2018/06/05

今年、九月は三年祭

久しぶりに、書きつける。

世の常は 
あはれなりとぞ
流れ行く
時の速さの
その 速さなり

そして、いずれ、私も死ぬ。
それは、確定している。
だから、死ぬことが、救いである。

2018/05/30

ふっと、思い出すとき

藤岡の思い出・・・
時に、ふっと、思い出す。

懐かしく
今は何処にと
尋ねるが
声なく 空し
悲しみ 深く

だが、私も確実に、死ぬ。
それが、救いである。

2017/11/08

冬来る

いよいよ、新しい、冬である。
同じ、冬はない。

二度とない、冬。

木漏れ日を
あはれとぞ思う
冬のはじめ
ひたひたと来る
冬は確実に

今月は、24日に、命日祭。

2017/11/02

命日に詠む

冬支度
慰霊の心も
また支度
変わらぬ祈り
今日もまたあり

これから、冬が始まる。
冬の寂しさは、辛い。

木枯らしの
風 冷たくて
下を向く
また長い冬が
始まる事

見渡せば
花も紅葉も
なかりけり
すでに冬の
景色のただ中

2017/10/25

命日祭

4410日祭
毎月、25日は、命日祭である。

台風が去り、空が青空になった。
秋が行く。

12年の、春夏秋冬を過ぎて・・・
追悼慰霊の心のみ。

行く秋を
惜しみつつあり
まだ緑
桜の紅葉
見頃なりけり

2017/10/23

もののあわれについて

900回を超えて・・・
1000回に向かう。

藤岡が、生きていたら・・・
きっと、相当に文句をつけられただろう。
何せ・・・
文章にも、明るかったのである。

私の、エッセイなどは、よく、添削された。
それでも性格である。

起承転結・・・
その、結が、曖昧だと、言われた。
あるいは、矛盾している。

全く、その通りで・・・
反論出来ない。

心の赴くままに・・・
すると、平気で矛盾するのである。

だが、今も、延々と、駄文を書き続ける。
何せ、死ぬまでの、暇つぶしである。

2017/10/15

秋の雨

氷雨ではない。
だが、冷たい。

いよいよと
秋深まりて
夏が行く
矢張り 時は
過ぎゆくものぞ

あはれあはれ
この世はあはれ
儚くも
この人の世の
あはれ深まる

たった一言、あはれ、という言葉は、すべてを語る。
もののあはれ、は、日本人の心象風景。

あらゆる感情、情緒が、あはれ、で語り尽くされる。

ものあはれ こそ
ゆかしけれ

2017/10/13

突然、暖かくなって

気温の変化が、激しい。

これでは、体がおかしくなる。

体には、夏の熱が、溜まり・・・
追い打ちをかけるように、熱い。

こういう、気温変動の年は、あまり良いことが、起こらない。

夏が行き
秋が来て また
夏が来た
何か変なこと
ありそうな予感

2017/10/09



急激に、秋である。

まだ、木々の葉は、青い。
枯れ葉になるには、もう少し時間がかかる。

一枚の
枯れ葉に見る
秋のさま
いよよ 心の
秋が来るらし

2017/10/05

九月行く

藤岡没後、12年祭を終えて・・・

もう、九月が行く。
そして、慰霊の日々が、続く。

見渡せば 花も紅葉も なかりけり
山の苫屋の 秋の夕暮れ
藤原定家

夜の闇
すべてを隠す
暗闇の
秋はひそかに
やって来るかな


2017/09/29

藤岡宣男 崩 かむあがり12祭、歌詠み

遥かなり
遥かへ続く
追悼の
祈りの道に
佇む我は

亡き人の
思い出深き
チョコレート
遺影に捧げ
悲しみ深く

時過ぎて
更に深まる
追悼に
バラの花咲く
祭壇の上

物言わぬ
人の心の
あはれさは
ひっそりと咲く
野辺の花かな

しづしづと
亡き人偲ぶ
心にて
黙祷捧げ
時を過ごすや

盃に 
水を注いで
共に飲む
酒の如くに
しばし佇む

切なくて
歌を聴く
ことできぬ
一年の月日
悲しく思う

命日は
あの日に戻る
ことにあり
心乱れて
なす術もなし

夜の闇
しばしの黙祷
ただ少し
闇に救われ
沈む心に

今は何処
と語り掛ける
懐かしさ
きっと傍に
いるかのように

無くなりは
しない思念の
世界にて
いずれ逢うべき
時を待つなり

今日から、慰霊祭を執り行う。

2017/09/22

12年祭 歌詠み

歳々に
我が悲しみは
深くして
亡き人偲ぶ
ことの あはれさ

12年
数えてみれば
悲しみの
月日の長さ
また あはれなり

12年
祈りて歩む
心には
死ぬことへの 
救いを見たり

ものあはれ
さすがに まいる
年月に
ただ茫然と
佇むのみに

君の影
慕いて生きる
月日には
この人生の
儚さをみる

今はまた
悲しみ祈る
振り返り
昨日の如く
思う あの日

甘いもの
求めた君の
心をば
今はしみじみ
感じ入るかな

もう誰も
いない浜辺の
静けさに
君を慕いて
ただ歩くのみ

22日から、追悼慰霊の儀。


2017/09/17



秋は来る。

そして、また・・・めぐる季節

ひそひそと
秋は来るなり
ひっそりと
我が手のうちに
また 紅葉あり

足元の
枯れ葉ごとく
ゆらゆらと
一枚の紙
悲しき姿

まもなく、12年祭の、追悼慰霊が始まる。

2017/09/16

12年祭

九月、22日より、追悼慰霊祭。

25日、本祭。

名残惜しく
逝く
人生の
あはれ

この、あはれ、の心境のみが、救いだ。

夏過ぎて
秋は来るらし
風になり
二度ない秋の
また あはれなり

2017/09/06

九月

藤岡の、12年祭である。

あの日は、この日である。
いつも、私には、この日である。

年老いただけ。
そして、死ぬ。

死ぬことを
救いと見立て
今日ありて
明日も生きてる
と 信じている

2017/09/01

晩夏

蝉時雨
この夏も行く
あはれなり
来年の夏 無く
逝くことも

晩夏なり
暑き盛りの
その中に
ビルの谷間の
秋虫の声

涼しさを求めて・・・
川岸に行く。

葉桜が満開である。
桜の、紅葉も美しい。

まもなく、秋の気配、ひたひたと・・・
しずしずと、来るなり。

自然の中では、無、になるしかない。

2017/08/28

4345日祭

明日、命日祭
4345日祭を迎える。

そして、来月は、12年祭である。
崩 神上がり かむあがり、して12年である。

日々、追悼慰霊の心を持って・・・
生きている。

そして、その救いは、私も、死ぬ、ということである。
確実に、死ぬ。
つまり、確実に、救われる。

だから、毎日が、死ぬ準備である。
充実した、人生だ。

遠い記憶ではない。

亡き人を
昨日のように
思い出し
語る言葉を
反芻するかな

2017/08/24

暑さ疲れ

そろそろ、暑さに疲れて来た。
暑い夏が好きだったが・・・

暑さを生きるのは、のりびり、ゆっくり、なのだ。
ただ、涼しさを求めていると、体が冷える。

難しい・・・
暑さを楽しむも、そろそろ、限界なので、適度にエアコンを使う。

だが、夏も終わる。
確実に、秋になる。
それが、救いだ。

2017/08/19

追悼慰霊

ただ今、祖霊慰霊の時期。

お盆とは、元々、日本の伝統行為である。
後に、仏教が、それに乗る。

慰霊とは、美しい日本人の行為である。

亡き人を偲ぶ。

私は、日々、慰霊の日である。

そして、私の救いは、死ぬこと。
これが、幸いである。

2017/08/14

猛暑

暑い・・・
命が、短くなりそうに、暑い。

部屋では、エアコンを長い時間つけない。
夏は、暑いものとの、意識。

そして、いずれ、確実に、秋になる。
と、思えば、夏もまた、短いもの。

藤岡のいた頃、夏の昼は、麺類だった。
毎日、色々な麺を、工夫して食べた。

だが、今は、昼を食べない。
私は、朝、夕と、二食である。

食べると、疲れるからだ。
きっと、年のせいだろう。

夏には夏の暑さを、楽しむ。
それが、唯一の、考え方。

水を打つ
コンクリの道
少しの
涼しさありて
ホッと一息

2017/08/09

仙台

七夕まつりである。

仙台では、コンサートを何度も開催した。
ギタリスト、千葉真康君の、郷里。

藤岡も、楽しく歌えた。
亡き後も、追悼コンサートをした。

しかし・・・
今は、もうない。

私は、別な用で、出掛ける。

作詞した、仙台旅情、の歌を歌う人が現れた。
一度、私が歌った。
これが、ヒットすれば、いいが・・・

2017/08/05

七月が行く

過ぎれば、あっという間。
矢張り・・・
過ぎ去るのである。

この夏も
ゆくりなく行く
あはれかな
儚き夢の
また夢のそれ

九月は、藤岡没後、12年祭を迎える。

ただ、感慨深い。

私は、まだ、生きている。
そして、死ぬことが、救い。

2017/07/31

命日祭

明日は、命日祭。
4315日祭。

今年の九月は、没後、12年である。

私は、まだ、生きている。
死ぬ時期がくるまで、生きる。

だが、確実に、死ぬ。
それが、救いである。

人間の救いとは、死ぬことである。

人の世は
名残おしくも
いずれ逝く
逝けば即座に
無きものになる

そして、死ぬと、無言である。
矢張り、人間の存在は、見事だ。

ただ、沈黙が満ちてある。

2017/07/24

葉桜

葉桜を
手織りて偲ぶ
亡き人を


酷暑の中で・・・
川岸の緑は、燦燦である。

雨が降ると、スコールのようで、驚く。
矢のように、降る。
東南アジアのようだ。

暑い、暑いと、また、夏が過ぎる。

2017/07/22

花火は悲しい

夏の花火は、儚い・・・
そして、私には、悲しい。

12年前の夏・・・
藤岡と、花火を見る。

横浜、みなとみらい・・・

毎年、花火を部屋の窓から、少し眺めるだけ。
その音も、悲しい。

儚くも
花火の名残
しばし見て
昔のことを
ただ 悲しむのみ

夏の夜の
空の星々
眺め入り
深きあはれを
刻む心に

思い出は、人生そのもの。

2017/07/17

歌詠み

雨のなき
あじさいの花は
あはれなり
暑き日差しに
色あせてあり

蝶が飛ぶ
このコンクリの
ビルの間に
声を掛けたく
思う懐かしさ

猛暑である。
それでも、草草は、エネルギッシュに生きる。
どんな、コンクリの隙間にも・・・

見事だ。
その、生命力・・・
自然というものを、見る。

2017/07/10

雨が少ない梅雨時期・・・

だと、思いきや・・・

福岡、大分・・・
豪雨であり、被害が出ている。

福岡も、大分も、藤岡とコンサートをしている。
人の事とは、思えない。

そして、長崎も・・・

毎年のことだが、自然災害が多い。
人間は、ただ、祈るだけ。
文明が進歩しても、自然には、敵わない。

2017/07/06

七月

七夕・・・

また、夏が行く。
昨年の夏でも、来年の夏でもない、今年の夏。

あはれなり
夏には夏の
憂いあり
空の通い路
亡き人偲ぶ

2017/07/02



暑い夏。

いよいよ、本番。
また、二度とない、夏の訪れ。
色々な、思い出が、甦る。

今年、藤岡の、12年祭である。

あれから、12年を経た。
何事も、過ぎれば、あっという間。

儚い・・・という言葉では、表せない。
矢張り、あはれ、である。

月をのみ
眺めなれしか
星の夜の
深きあはれを
今宵知りぬる
      建礼門院右京太夫

2017/06/28

命日祭

25日、4285日祭。

そして、夏越の大祓いである。
本日、執り行う。

慰霊祭である。

もうすでに
夏越の祓い
アジサイの
色 深くして
祈る心に

今年も、半分が終わる。
いつも、いつも、早い・・・

この四季の、移ろいの中で、生きる。
生きている。
生きるとは、死ぬことなりと、観念する。

いつも、死に支度である。

名残惜しく思えども、娑婆の縁尽きて
力なくして終わる時
彼の土へ参るなり

2017/06/23

気づけば・・・

六月も、半ばを過ぎる。
早い。

無為に過ごしている訳ではないが・・・
早いのである。

冬の寒さを、越えてきた。
それなのに、もう、六月を過ぎる。

ゆくりなく
月日は過ぎる
悲しくも
矢のようにも
儚き如く

2017/06/19

涼しい日々

一度、暑くなったが・・・

また、涼しい日が続く。
七月が、暑いという予報なので・・・

今の内に、涼しさを楽しむ。

私は、暑いのが好きで・・・
東南アジアが好きで・・・
ところが、慢性的熱中症になっていた。

これが、癖になると、暑くなると、体温が上がる。
そして、疲労する。

藤岡が、イタリアには、一度行くといいと、言っていた。
それは、食べ物が、美味しいから。
それならと、思うが・・・

今は、危険だし・・・

藤岡は、アメリカ留学終えて、イタリアに立ち寄ったというが・・・
それから、私の知る限りでも、二度、イタリアに出掛けている。

藤岡を、偲ぶ意味でも、イタリアに行くか・・・

2017/06/15

雨のない、あじさい

少し、寂しい。
雨なく、あじさい、が咲く。

藤棚に下に、あじさい。
風情あり。

至る所に、あじさい、が咲くが、雨が少ない。
あじさい、には、雨が合う。

亡き人に
たてまつるとて
草花を
しばしの夢を
そこに観るなり

2017/06/10

いよいよ梅雨時期に・・・

梅雨に入った。

あじさいの花・・・
咲き始めた。
そして、雨を呼ぶ。

日本の季節は、美しい。
そして、その合間の、たゆたう、季節の揺らぎ。

曖昧な、美しさである。
その、曖昧に、もののあはれ、がある。

2017/06/07

もののあわれについて

900回を書き終えた。

まだ、源氏物語が続く。
その後の、計画も、決まっている。
延々と、続く。

藤岡宜男の歌にある、もののあはれ、というのが、最初。
では、もののあはれ、とは、何か・・・

それから、始まる、エッセイ。

書いた本人は、もう、最初から、読めない長さになった。

2017/06/02

春過ぎて夏来たるらし

その前に、梅雨時期。
あじさいの花・・・

もう少しで、咲く。

藤棚の下で、あじさいの花が、開く。

残された
知識の欲の
妄執の
果てなき道の
その果てを見る

毎日、読書をする。
欲望である。
強い、知識欲。
呆れている。

2017/05/30

4255日祭

25日、命日祭4255日

春過ぎて
夏来るらし
花の宴
亡き人の日は
花の盛りの

今年は、没後12年を、迎える。

2017/05/24

初夏

梅雨時期の前に、夏の訪れ。

この時期が、一番、体にいい。
部屋の扉を、すべて開けて・・・

風の音を聞く。

夏風の
ゆくりなくある
風情にて
ただ何となく
幸せ感じ

亡き人の
名を呼びては
懐かしく
思い出しては
更に 懐かし

2017/05/19

間もなく梅雨

晩春・・・
春は、短い。

春過ぎて
梅雨の訪れ
今しばし
間のある頃の
ほんのひととき

一日が、早い。
だが、一日を辛吟することもあり。

雨を待つ
花の命の
あじさいの
軒の下こそ
あはれなりけり

隣近所の、家々の花壇を見て歩く。

更に、コンクリの隙間から出る、草花。

たくましき
花と咲くより
踏まれて
生える草花の
いのちの強さ

2017/05/10

風薫る

夏日にもなる。

薄着でいられる時期。
私の好きな、季節。

これから、梅雨を過ぎて、夏になる。
当たり前の事。
その、当たり前が、嬉しい。

コンクリの隙間の草が、いい。
いのち、を感じる。

Tシャツの
季節となりて
軽やかに
老いの入り口
盛りなりけり

2017/05/04

五月

五月には
五月の悲しみ

時々に
思い出すのは
亡き人の
笑顔の それの
美しきかな

藤の花
しだれ具合に
ほんのりと
やさしさを見る
春の盛りに

早いもので、五月である。
無常迅速・・・

過ぎてしまえば、あっという間。

あじさいの
葉のみの姿
凛々しくて
花咲く頃を
しばし待つなり

藤岡の夢をみた。
極々普通の夢。
何の不思議も、なかった夢。

2017/05/01

懐かしくて

春惜しむ
藤の花咲く
軒先に
心にかかる
深きあはれを

懐かしく
思い出しては
亡き人を
足元にある
影を思うて

今では、藤岡の、我がままが、懐かしい。
人の前では、決して出さなかった、我がままである。

子供のようだった。

歌詠みも
亡き人偲ぶ
歩みなり
もう少しして
私も死ぬ

死ぬことが、救いである。
人生は、死ぬことと、見つけたり。

唯一、私が知る、確実なこと。
それが、死である。

2017/04/27

命日祭

再び、藤岡のために、作詞を始めている。

亡き人のために・・・
作詞をする。

曲がつけば、誰かが、歌う。
それで、いい。

この行為は、鎮魂の行為である。

昔、藤岡が、セミナー講師をした、知床の斜里・・・
知床の歌・・・
一曲は、曲がついている。

誰が、歌うか・・・

2017/04/25

4225日祭

明日は、命日祭。

4225日を数える。

葉桜の
輝く季節
春の日の
亡き人偲ぶ
深き祈りに

もうすでに
藤の花咲く
梅雨時期に
かかる季節の
あはれ 極まる

アジサイの葉も、ふさふさしてきた。
つまり、梅雨を暗示する。

また、命日を迎える。
今年は、没後12年。

2017/04/24

藤岡の歌声

このところ、中々、聴くことが出来ない。

それは、辛いからだ。
一曲を聴いて、いられない。

歳々に
悲しみ深く
切なくて
・・・

後が、続かない。

さくらが散った。

花は散る
さくらも散る
春が散る

2017/04/20

春爛漫桜満開

しばし、足を留めた。

その美しさ・・・
あはれ、である。

散る桜
風に誘われ
散る桜
春を惜しむか
花の宴

川岸の
風ゆるやかに
花誘う
ほろりほろりと
川面に散りゆく

行く春が
桜の花と
共にあり
その風情にて
ため息をつく

惜しまれる
春爛漫の
花盛り
恨みますぞえ
風のありかを

亡き人に
たてまつるべき
さくら花
この一瞬を
祈りに捧げ

今年の春も、行く・・・


2017/04/14

春雨

春の雨も、また、いい。

何処かに
春の雨降る
心にも
潤い宿り
一休みかな

雨降れば
泪を思う
ことありて
亡き人偲ぶ
ことの あはれさ

メイン・ブログ
もののあわれについて
900回を目の前にして、驚く。
膨大な原稿の分量である。

2017/04/11

春爛漫

いよいよと、春。

コンリクの
中で生まれた
白き蝶
たった一匹
生き残るかな

春盛り
小さき白き
蝶ありて
コンリク隙間の
花を求める

藤岡生前の頃、私は、多く、作詞をした。
藤岡に歌ってもらいたいと・・・

そして、今、再び、作詞を始めた。
藤岡に歌って欲しい、歌である。

続々と、湧いてくる。

2017/04/05

桜咲く

三分咲き
この年もまた
逢うことが
叶った桜
花の季節に

満開の桜を見る。
それだけで、希望だ。

その桜に、添える、しだれ柳の緑。

この春も
二度とない春
永遠の
春ならない
悲しみにあり
 

2017/04/02

もののあわれについて

すでに、900回を迎える。

長いエッセイになった。
ところで・・・
書いた本人も、最初から読むのは、無理。

更に、パソコンが壊れたり、ウイルスにやられたりで・・・
原本が消えた。

掲載されたものだけが、残る。
終わりのない、エッセイ。

死ぬまでに、書き切れない。
残念。

1000回を超えて、ようやく、本題に入れそうだ。

2017/03/29

命日祭

25日、4195日祭。

本日も、慰霊祭。

姫バラの
枝を手折て
たてまつる
亡き人偲ぶ
晩春の宵

数えるは
四、一、九、五
長いこと
逢えぬ悲しみ
再び 悲し

冬去りて
春来るらし
されど また
逢えぬあはれは
切々とあり

2017/03/24

しだれ柳

川岸の、しだれ柳が見ごろである。

春の風に、揺れる、緑。
そして、桜の蕾が・・・

冬が終われば、春になる。
当たり前のことが、幸せだ。

春を待つ
心に宿る
あはれには
亡き人偲ぶ
篤き祈り

2017/03/21

桜のつぼみ

桜の蕾が、膨らみ始めている。

いよいよ、桜の季節。
ほんの、ひととき・・・

桜の歌、という、私の作詞の曲がある。

春の宵
花びら散るよ
さくらの花びら
月の光に照らされて
さくらの花びら
散るよ
はらりはらり ちらちらと

藤岡も歌った。

散る桜に見るもの・・・
あはれ・・・

ただ、あはれ

2017/03/15

もののあわれについて

880回を書いた。

長い年月だ。
まだまだ、終わらない。

きっかけは、藤岡の歌にある、もののあはれ、だった。

ただ今は、源氏物語。
これも、長い物語だ。
書写している。

脱日常である。

2017/03/12

木蓮の花

弱弱しくも、白い、木蓮の花が咲く。

春の間近を告げる花。
徐々に緩み始めた、寒さである。

また、春が来る。
その、春を待ち続けて、冬を過ごした。

日本の四季は、美しい。
この、季節の移ろいの中で、生きている幸せである。

風揺らぐ
木蓮の花
可憐にて
春を告げたる
その心意気

2017/03/05

弥生

三月、弥生。

冬去りて
春来るらし
川岸の
青き柳も
心 嬉し

あなたに
会いたくて
生きてきた
春の光を待つように
冬の寒さを
生きてきた

藤岡が、歌った「逢いたくて」は、素晴らしかった。

2017/03/01

命日祭

泣きながら
冬の夜空を
眺めては
亡き人偲ぶ
ことの あはれさ

長い日々が過ぎた。
今年は、没後12年になる。

私は、まだ、生きている。
救いは、確実に、死ぬことである。

いずれ逝く
確たることの
安心は
亡き人偲ぶ
祈りの如く

その、死ぬ日を、心待ちにしている。
何も、急ぐことはない。
確実に、死ぬ。

2017/02/24

4165日祭

25日、命日祭
4165日祭を迎える。

月日は、過ぎれば、あっという間。
一日は、長いが、一年は、早い。

時間というものの、姿を見る。
哲学する。

時間をまともに、捉えた、哲学は、未だにない。
時間にも、様々な、形がある。

兎に角も
命日祭を
迎えつつ
祈り祈りて
ただ 黙祷す

2017/02/23

懐かしく思い出す

昔の藤岡の、面影を思い出す日々。

20年前・・・
藤岡と、鎌倉にいた頃のこと。
実に、懐かしい。

昼間でも、お化け屋敷のような、旧鎌倉市街。
歴史の重みが、恐ろしい街だった。

何かの縁に惹かれて、鎌倉へ・・・

藤岡は、毎日、私の部屋で、練習していた。
食事も、毎日。

今も昔も、私は、手作り。

遠い日の
蔭のような
思い出に
ただ 深くあり
あはれなりけり

2017/02/18

今年は、没後12年

この、メモリアルサイトも、自然消滅する。

藤岡、没後12年を迎える。
私が死ぬと、それも、終わる。

人生で、確実なことは、死ぬ、ことである。
誰もが、逃れられないこと。
それが、救いでもある。

このサイトも、ゆえに、自然消滅する。

2017/02/16

もうすぐ春

春を待つ日々・・・

名の知らぬ木の花が、咲いた。
そして、桜のつぼみも、膨らむ。

近所の川岸に出て見る。

名残惜しく思えども・・・
娑婆の縁つきて・・・
力なくして、終わる時・・・
歎異抄の一節である。

いずれ死ぬ。
それが、救いだ。

ただ今、新しいエッセイ、死ぬ義務、を書き始めている。

2017/02/11

節分

節分から、今年が、はじまる。
陰暦である。

昔は、月の動きで、暦を作った。
その、名残。

節分を過ぎると、運も、変わる。
運、という、目に見えない、働き。

誰も、そこから、逃れられない。

運気、運勢、とも、言う。
生まれた時からの、バイオリズム。

それは、変えられない。
変えられるものは、運命である。

2017/02/04

花粉の季節

毎年やってくる。
花粉である。

藤岡も、悩んだ季節。
思い出がたくさんある。

洗い物を、外に干すのも、ダメだった。
兎に角、大変。

それも、今は、懐かしい。
そして、あはれ・・・

春待つ日
花粉 花粉と
思い出す
遥かな過去の
遠い時空を

2017/02/02

4135日祭

25日は、藤岡祭
4135日祭。

切なくて
冬の夜空を
泣きながら
見上げて祈る
あはれなる旨

枯れ葉散る
冬はものみな
春向けて
いのちの炎
控えて待つのみ

春を待つ
心にかなう
蕾あり
すでに新芽は
春に向かう

新年を過ぎて、すでに25日を迎える。
こうして、今年も、命日祭を、追いかけてゆく。

2017/01/24

この年も、慰霊は続く

藤岡、没後、12年目を迎える。

今年も、また、慰霊の年である。
毎日の、慰霊・・・

その御霊に、捧げて祈る。
人生は、祈り、と共にある。

そして、また、祈り、は生きることでもある。

祈りつつ
その果てなき
ところの
遥かさをこそ
ただ 仰ぎ見る

2017/01/21

春の目覚め

太陽の出方が、春に向かう。
この、冬の盛りに・・・

すでに、春の目覚めである。
川岸の桜も、蕾を膨らませる。

また、新しい春・・・
それが、人生の春であれば・・・
幸せだ。

年を経て
春待つ心の
あはれさは
何に例える
悲しくもあり

2017/01/18

寒気

いよいよと、冬の寒さである。

道産子の私だが・・・
寒さが嫌いだ。

矢張り、暑い方がいい。
と、冬には、夏を懐かしむ。

暑い夏には、冬を、懐かしむ。
不思議だ。

懐かしむ
冬の夜空を
見上げた日
幼いころの
遠い記憶を

2017/01/14

七草を過ぎ

いよいよ、冬の寒さである。

勿論、出掛ける、札幌などよりは、いいが。
冬は寒いもの。

だから、春が楽しみだ。
人生とは、そういうものかもしれない。

苦悩は、いつか晴れると信じる。
悲しみも・・・

救いは、死である。
それを、待つ。

そして、春を待つ。

2017/01/08

新しき年

この年も、また、慰霊の年。

死ぬまで、続く。
藤岡没後から、今年で、12年を迎える。

昨日のような、感覚だ。
私は、あの時から、何も変わっていない。

だから・・・
悲しみは、まだ、続く。
それで、いい。

こうして、生きながらえる我が身を、哀れに思う。

2017/01/02

行く年

いよいよと、年が変わる。

平成29年。
何となく、寂しい。

だが、無常にも、月日は、流れ行く。
それで、いい。

いずれ、死ぬ。
死ぬことが、救いだ。

大祓え、と共に・・・
行く年を、惜しむ。

たかあまはら

かむずまります
かむろぎ かむろみのみこと
もちて

2016/12/30

年の暮れ

藤岡没後、11年の、年の暮れ。

寂しいものだ。
私は、まだ、生きている。
だが、いずれ、死ぬ。

それが、救いだ。

人の世の
儚くも
悲しみの
この年も行く
明日の行くへは

2016/12/28

4105日祭

12月25日
藤岡祭4105日祭

年の暮れと共に、慰霊祭。

行く年も
亡き人偲び
追悼の
思い篤くし
ただ 祈るのみ

今年は、没後11年だった。
月日は過ぎ去っても、過ぎ去らないものは、慰霊の誠だ。

この年の、大祓いと共に・・・

2016/12/23

誕生日

12月14日
藤岡の誕生日だった。

しかし、もう、年は、数えない。
藤岡は、あれから、年を取っていない。

この世では、あのままで、存在する。
あの世では、もっと、若くなっているだろう。

亡くなっても、人間は、無くならない。
それを知る者は、幸せである。

兎に角・・・
人が、この世に生まれる。
それは、喜びだ。

冬の空
祈り込めたる
一筋の
雲の通い路
ただ あはれなる

2016/12/16

札幌の大雪

昔のことを、思い出した。

雪深い、札幌。
40年ほどを、雪の地で過ごした。

今は、信じられない。
よくぞ、住んでいられたと思う。

冬は、モノトーンの世界になる。

すべてを、おおい尽くす雪。
矢張り、ふるさとは、遠くにありて、思うもの。

2016/12/12

冬晴れの日に

思い出す、
藤岡のこと。

ふいに、思い出す時がある。
その臨在を感じつつ・・・

もう、11年以上、会っていない。
寂しいことだ。

遥かな、空に向かい、名を呼ぶ。

曇りなき
冬の晴れ間の

健やかにあれ
豊かにあれと

2016/12/03

師走

いよいよ、今年も、師走。
年の暮れ・・・

毎年、この時期に思う。
生きている、こと。

これから、何度、年の暮れを迎えるのか・・・

今年は、藤岡の、11年祭だった。
ただ、それだけが、思い、だった。

いつか、確実に、私も、死ぬ。
それが、救いだ。

2016/12/01

4075日祭

命日祭
4075日祭である。

冬の到来・・・
巡る季節の中でも、慰霊は、続く。

初雪の 頃にも慰霊
深くして
亡き人偲ぶ
ゆかりの雪や

2016/11/25

札幌

三泊四日。
札幌に出掛けた。

藤岡との、思い出の街である。
出会いが、札幌だった。

懐かしい、思い出ばかり。

雪深い北の街である。

思い出は
人生なりと
気づくとき
遥かに時の
あはれなるかな

2016/11/23

冬の足音

ひそやかに、冬が近づく。

また、冬がやってくる。
しかし、慰霊の頃、変わらず・・・

日々の慰霊が、続く。

冬には、冬の愁いあり。

肌寒き
風を受けても
冬なれば
心を決めて
受け入れるかな

2016/11/15

もののあわれについて

ブログ、エッセイ
もののあわれについて
850回を書き終えて・・・

10年越しの、エッセイとなる。

まだ、源氏物語である。
が、まだまだ、続く。

死ぬまでに、完結できない。

このテーマを与えられて・・・
とても、感謝している。

藤岡の歌の、お蔭である。

2016/11/08

思い出

藤岡は、きゅうり、が好きだった。
生のままでも・・・

こんなことを、時々、思い出す。
ふっと、思い出す。

きゅうり、の一夜漬け。
きゅうり、は、何でも可能。

夏は、毎日のように、食べた。
そして、これからの季節は、温室育ちの、きゅうり、である。

野菜が高騰している。
台風のせいだと、言うが・・・

何気ないこと・・・
日々の生活。

幸せ、とは、何か、を、考える。

2016/11/04

行く秋

いよいよ、冬の到来。

秋が行く。
春と、秋を比べると・・・

春は、うきうきする。
秋は、しっとり。

なんとも、秋は、風情がある。

ただ、こちらの秋は、木々が緑。
枯れても、丸刈りにならない。

そして、冬は、花が咲く。
冬の花は、救いだ。

2016/10/30

4045日祭

命日祭
4045日。

いよいよと、秋深まり・・・
そして、冬の到来。

日々に数える、亡き人の命日。

死ぬまで、絶えることは無い。

2016/10/25

心の冬支度

秋が深まり・・・

いよいよ、冬を迎える準備。
心の準備である。

この頃になると、藤岡と、飲み屋に出掛けたことを、思い出す。
気乗りしないが・・・
付き合う。

私は、外で酒を飲むのが、苦手になっていた。
それに、夜は、眠くなる。

酒は、食事の前に、さっさと飲んで・・・

藤岡は、飲み屋の雰囲気が好きだった様子。
人恋しくなり、外に出掛けるという、感じだった。

冬は、特に、人恋しくなる季節。

私は、藤岡を忍びつつ、冬の夜、酒を飲むことにする。

行く秋の
夜風を受けて
あはれなる
酒の共には
夜の音 音

2016/10/21

深まる秋

枯れ始める、草木。

秋は、悲しい。
そして、深みがある。

人生にも、秋がある。
それは、死ぬ前の心境となる。

末期の目・・・
人間は、ここで、真面目になる。

死というものは、人間を、真面目にさせる。
それが、いい。

ふざけたる者も、襟を正す。
死というもの。

死は間近
秋に深める
死の思い
果て無き宇宙
果て無き 死後へ


2016/10/16

雨が降る

天候変動・・・

しかし、雨のたびに、秋が深まる。
結局、自然の中で生きる人間。

春と秋・・・
万葉時代から、どちらがと、比べられた。

人それぞれ・・・
春が好きな人、秋が好きな人。

実は、同じ事なのだ。

2016/10/09

季節の変わり目

突然、猛暑・・・
夏が戻るようだ。

しかし、確実に、秋の風吹く。

名残惜しいが、夏が行く。
そして、また、秋・・・冬

季節は、巡る。
ただ、それだけ。
信じられるもの。

自分を信じたいが、時々、倒れそうになる。
絶望の中を生きるが、如く。

この世は、地獄である。
と、納得しているが・・・

2016/10/05

11年祭を終えて

あっという間の、11年だった。

本祭を終えて・・・
また、日々の慰霊祭が続く。

年を経ることにより、益々と、深まる、追悼の思い。
私が、死ぬまで、続く。

藤岡の臨在を、感じつつ・・・

神上がりの、儀式。

藤岡宣男の命
幸はえたまえ
守りたまえ

命、と書いて、みとこ、と読む。

日本の伝統は、死者は、命になる。
要するに、日本の神になる。

日本は、神々の国。

2016/10/01

命日祭、歌詠み

儚くと
思えば この世
あはれなり
亡き人偲ぶ
ことの切なさ

秋風の
翔け行く中を
魂の
果て無き道の
その先に行く

たてまつる
供物の菓子を
亡き人の
好みと思い
ただ 涙する

十一の
年を数えて
今日の日の
命日 遥か
遠くなりゆく

亡き人に
包まれている
こと限り なく思う我
安らかなりし

多く、言挙げすることなく・・・
祈る。

追悼慰霊である。

2016/09/25

本祭

25日、没後11年祭、本祭。

30日まで、慰霊祭が続きます。

かむあがり11年
藤岡宣男の命
幸はえたまえ 守りたまえ

2016/09/24

没後11年

この九月にあたり・・・

すでに、慰霊祭を続けている。
前祭である。

私にとって、九月は、慰霊の月である。

流れたる
月日のあはれ
花の散る
如くに我は
惜しく思うか

言葉にならない思いを、ただ、あはれ、に託す。

死ぬまでも
続く慰霊の
その祈り
もののあはれを
ただ深くする


2016/09/17

感謝

この11年間・・・

私は、藤岡により、多くのテーマを与えられた。
その一つが、ブログの書き込みである。

様々なことについて、書く。
書き続けた。
これからも、書き続ける。
死ぬまでだ。

それは、私の問題であるが・・・
藤岡の死により、明確になった。

この、11年間・・・
生きて来た。

そして、死ぬことが、救いになる。

長い11年だった。
そして、悲しい11年だった。

忘れることはない。
そして、人生が、思い出であると、益々、深くなった。

未来に生きる・・・
それは、過去に生きることでもある。

そして、私は、11年、年を取った。
だが、それは、何かの意味を見出す行為ではない。

しかし、惰性でもない。

生きるべくして、生きる。
死ぬまで、生きる。

最後のテーマは、
死ぬこと
である。

2016/09/03

11年祭

藤岡、没後、11年祭。
追悼慰霊。

本日から、25日の本祭まで、慰霊の儀。

惜しむらく
亡き人偲ぶ
この月の
あはれは深く
祈りは深く

生きて来た
証の歌を
聞くことに
涙流れる
時の儚さ

人生とは、思い出。
ただ、それだけのこと。

2016/09/01

行く夏

台風と共に、夏が行く。

こうして、時が流れる。
時を流れ、と感じてきた、日本の心性。

すべては、流れる。
無常である。
それで、いい。

この夏も
思い出置いて
遥かなる
時の流れに
ゆくりなく行く

2016/08/30

台風

一気に、涼しくなった。
遠い、台風の影響である。

だが、関東に直撃も。

自然には、勝てない。
人は、避難するのが、関の山。

未だに、自然には従うしかない。
ということは・・・
これからも、だ。

人間の死・・・
これも、自然である。
逆らうことが出来ない。

確実に、死ぬ。
それが、救いなのである。

2016/08/28

3780日祭

命日祭を迎える。

毎月、25日である。
3780日祭。
そして、九月は、没後11年祭である。

行く年も
慰霊の心
篤くして
また あはれの
心 深くなり

2016/08/24

夏の盛りに、秋の訪れ

陽極まれば、陰に行く。

真夏極まり、秋に行く。

夏の祈り・・・
行く夏の祈り・・・

亡き人を
思い出しては
祈りつつ
この夏終える
ことの悲しさ

九月は、藤岡没後、11年を迎える。
もう、11年が、過ぎた。

無常迅速である。

これには、敵わない。

生きること
祈りの生きる
人こそは
いずれ我が身も
祈られる者

霊位は、祈られて、高まる。
上昇するのである。

2016/08/17

管理用
ifノート 1.02