新沈黙を破る 3

 藤岡宣男と私の関係についてのことを言う。

 この時代は、志しを理解する時代ではなく、志しという言葉の意味も理解出来ないであろうから、一番、分かりやすいお金のことで、表現する。

 まだ、私が藤岡と出会った頃から、私は藤岡に一度たりともお金を出させたことはない。すべて私が藤岡に御馳走した。藤岡が、私に御馳走すると誘ってくれた時も、私は藤岡にお金を出させたことはない。

 藤岡は苦肉の策で、一度私を映画に誘い、あらかじめチケットを二枚買って、私に渡したことがある。

 2001年からの藤岡のリサイタルは、すべて私のお金を使い開催した。藤岡は、すでに持ち金が尽きていた。そこで藤岡が仕事を始めて、100万円を貯めて、私に渡したことがある。私のお金は私のものであり、藤岡のものであった。私はお金に執着がないのが幸いした。誰の物でも無い。世の金は、みんな私のものと考えることが出来る御目出度さを、私は持つ。

 藤岡のCDを七枚出した。私のお金である。湯水のごとく、お金が出て行く。しかし平気だった。私は、時に応じて、保険を解約した。今は、すべての保険が無い。後に掛け捨てのものに入った。

 さて、横浜生活も二年を過ぎた頃、藤岡は母親が貯めていたお金を発見した。大層な金額である。藤岡が私に言った。「木村さん、母に何かあったら面倒だから、僕の名義にしょうと思う」と、それに私は賛成した。

 そして、そのお金を、すべて私に預けた。

 そのお金で、オリジナル曲のCDを作った。そしてコンサート開催にも、私の出版した本にも使用した。

 勿論、藤岡はすべて知っていた。時々、藤岡の具合が悪くなると、そのお金のことを言った。僕のお金だと。いつか木村さん返してねと。

 このことが後に、人を誤解させたことだということも、私は知っている。つまり、木村に藤岡はお金を貸していた。木村はそれを返していないと。

 私の持ち金が尽きて、札幌の親しい友人、そして母、そして弟にそれぞれある程度のお金を借りた。

 

 返す当てのないお金を私は借りた。もし、これ以上であれば、私は本格的に仕事を始めようと思っていた。

 私は占い師であり、いけばな、茶の湯、舞踊、等々を持って仕事が出来るのである。

 占いの原稿は引き続き、縁のある雑誌等に書いていたが、もっとそれを増やしてゆこうと考えた。

 事故の日の藤岡は多くの知り合いに電話をして、木村さんからお金を返して貰い、自分で事務所をやると、電話をしていた。それは、朝、私と藤岡がいつものように喧嘩をしての感情が続いていたからである。

 だが、藤岡は、私の部屋に戻り、そして私の目の前で事故に遭い、私の目の前で息を引き取った。私は、その部屋に今でも住んでいる。時々、深夜、ベランダに出て、藤岡がつかんだ欄干を握ってみる。私は強い人間だから、それが出来る。

 何故、こんなことを書くかは、今の人に理解して貰うためではない。後々、藤岡の評伝を書く人のために、出来る限り、書いて置きたいと思うからだ。

 そう、私は私の持ち金をすべて使い果たして、コンサートを開催し、藤岡のCDを作りそして終わる事なく、藤岡のリサイタルを開催する心意気だった。

 そしてそれが出来ることが幸せだった。私は、これだけのことをしましたと言うのではない。人のために何も出来ない者は、これを読んで、木村の自慢ではないかと思う。その程度の人間もどきが多い世の中であることを言う。

 女の千人切りを自慢する大金持ちも、世の中のためにはびた一文も出さないというアホがいる。そういう人間とは、私は格式も霊格も違うのである。

 さて、千利休は目利きであった。

 信長がそれを試して、昨日の馬の蹄の大きさを問うと、利久は寸分たがわず、地面にその大きさを書いたという。その目利きは、また美意識の極みであった。今も利休が美と認めたものは美なのである。茶の道廃れても、利休の美は生きている。その子孫の茶道家元たちには、足元にも及ばない。

 私は、藤岡の芸術芸能、音術の才能を観ていた。そう私は目利きをしたのである。

 私は藤岡を愛し、藤岡も私を愛していた。素晴らしい関係だった。

 結局、藤岡は多くの人と付き合ったが、最後は、私の横で眠った。

 藤岡は私と行動すると、子供のように喜んだ。木村さんといるのが一番楽しいと。何も特別なことをしなくても、ただ歩くだけでも、楽しそうだった。

 私には、邪心も、邪まもなく、誠があるだけだったからだ。

 藤岡に何が出来るのかしか、考えないでいた。

 朝から晩まで、藤岡が主体の生活だった。食事の支度から始め、藤岡がすべてだった。お握りは木村さんのと言えば、お握りを作り、水、お茶を用意し、薬の手配をして、私は幸せだった。(藤岡は私のお握りを好んだ。他のお握りを持って行くとがっかりしていた) しかし、藤岡が私を必要としなくなければ、私は瞬時に離れることが出来た。私には、何も捕らわれることがない。尽くして裏切られたという人を、私は未だに理解出来ないでいる。尽くせたということで、すでにすべての喜びを得ているではないかと。

 要するに、人生に対する思いが根本から、違うのであろう。やれたということは、やらなかったということより、幸せであろう。