新沈黙を破る 10

 藤岡は、何故あれ程やさしかったのであろうかと思う。

 藤岡は、私のことを人が良いと言っていた。チケットノルマのないコンサートを開催して、赤字を負ってまでもやることに、人が良すぎると、怒りを露にした。が、私は人が良いのであって、やさしい訳ではない。藤岡自身は、僕は気の強い人間だと言ったが、実にやさしかった。

 世の馬鹿者どものために書いておくことにする。

 藤岡の付き合いは多岐に渡った。年齢もジャンルも問わずに、多くの人と付き合っていた。それは私が一番知っている。誰と会うということを私に話して出掛けていたからだ。 特に、ゲイ、ホモ、おかま、といった人々も多い。私も、藤岡とよくゲイバーに飲みに行った。私も藤岡もゲイであるかと言われれば、そうでもあり、そうでもないということである。

 人は、状況や状態によって、その表す姿を変える。藤岡は基本的に、父親がいなかったということから、ファザーコンプレックスであると言っていた。そして結婚するなら、田舎育ちの素直な女の人がいいと言っていた。

 私は藤岡が報告する様々な人の話を楽しんで聞いていた。

 しかし、私が感心する程の人はいなかった。それは自由業から自営業、勤め人から、アルバイトや派遣社員まで、そして芸術家、その周辺にいる者、多々付き合いがあった。

 能無しの能楽師という者もいた。家族に内緒で、若い男を好きになるという、おやじホモである。ところが頭が悪くて、気取っている故に、一度も思いを遂げられないおやじホモである。ゲイの大学教授もいた。東洋哲学を教えているという者だが、易をする私には、信じられない程の無教養の男であった。一度しか顔を見ていないが、そんなことは解るものである。若い男のためにマンションを用意して付き合っているというホモの医者もいた。家族に知られないようにと思い込んでいるのだが、家族は、とうに知っているというアホである。社会的信用のために家族を持つ、男とのセックスのみを求める有名ホモ歌手もいた。無能な年上男のために、マンションまで買ったという、気取りホモの若者もいた。まだまだあるが、面倒なので止めておく。

 私が感心するのは、そんな者にも藤岡は手抜き無く付き合っていたということである。適当ではなかった。それなりに相談に乗ったりと、誠実に付き合っていた。

 最も藤岡に良い影響を与えたのは、社会の第一線で活躍する女性たちである。賢い女性は、馬鹿な男の何万人分の力がある。そういう女性たちに好かれ応援されたことは、幸せであった。

 若者の相談にもよく答えていた。面白いのは、妄想症の女がピアノを習いに来ていた。何度か、虚言によりレッスンに来る来ないと言うのを、私は放っておこうとしたが、藤岡が慰めるように電話をしていたことを思い出す。

 その女の虚言により、私と藤岡が、とんでもない話に乗せられたのもだが、今は懐かしい。何でも、ある大企業のコマーシャルに起用してもらえるとのことで、色々と振り回された。その後、私も虚言でお返しをした。内閣府のコマーシャルの話が来たと言うと、どこでどう調べたのか、ウソだと解り、嘘つきは嫌いだという葉書を貰った。私は笑った。妄想症の虚言なのは自分であるが、自分のことは、解らないらしい。人間、皆、これに似る。

 極め付けは、ピアノ弾きである。傲慢不遜で、世の中をなめているピアノ弾きは、有名だと思い込んでいるらしく、藤岡最後の日に、藤岡が、木村から離れて自分で事務所をやると言うと、事務所移籍がどうしたのと、自分にも出来ない話をして、結局、藤岡は私の部屋に戻り、次のリサイタルであの人とも終わりだと言った。それを言うために部屋に戻ったようなのである。

 私も人間だから、腹に据えかねて、社会的、霊的に叩いてやろうかと思ったが、馬鹿馬鹿しくて止めた。

 滅びるものは、皆自滅するのであるから、見ているだけでいいのである。

 ちなみに、よくよく言っておく。

 見えるものは見えないものによって支えられてある。自分の行動さえ、その九割の意味を知らない。食べ物の好みさえ、何故それを好むのかを知らない。人の好き嫌いも、その意味を知らずにいる。自分で決心しているようであるが、その根拠を人は知らない。要するに、何も確実に解っていないのである。

 生き方の傾向さえ、知らないでいる。それは、見えない世界に支えられてあるからである。自分の意識と言うが、自分の意識が、どれ程のものか知らないで生きている。

 だから、信じる者は、騙される。

 信じた者は、自分と同じく信じる者を作る。そうして宗教の勧誘や布教がある。何一つ、確実なことを知らないでの勧誘や布教である。信じているだけの話で、信じているものが妄想であるとは、露も知らない。

 家系が祟られていことを知らずに、不幸が続くと嘆いている人に、人生は似ている。祟られていることを知らないのである。知らなければ、とるべき方法を知ることは出来ない。皆、人生は、これに似る。

 この世は、目に見えないものに支配されてある。親しげに近寄って来る者が、嫉妬の固まりであると知らないが故に、不調をきたすことを知らない。

 いつ果てるとも知らずに、転生を経て旅を続ける愚かな者共である。勿論、私もその一人であることは、間違いない。

 追い追いに、このことについて書くことにする。