新沈黙を破る 12

 弟子というものが師匠を超えるというのは理想的である。しかし、その大半が超えられないのも事実である。

 

 藤岡亡き後の弟子の動向は、世の中の縮図であったと共に、その愚かさに呆然とした。

 一部を除いて、弟子たちは、続けることなく去った。藤岡の発声のノウハウとテキストをすべて習った者に師事して、すべてを学べば良いと思ったが、そうではなかった。

 そしてそれはまた当然の結果であった。私は、それについては何も言うことは無い。

 ただ、藤岡亡き後の心のやり場を失い、愚かさを露呈した面々である。

 藤岡のセミナーにより、発声の目覚め、そしてきっかけを掴んだ者が、他の先生に師事して、見事に台なしにしてしまった者を見た。そしてあろうことか、師匠の追悼公演に出演する旨の希望を撤回した。しかし、他の者には、歌に関することは何をさておいても優先すると言い、私には、出演出来るかどうか解らないと言う。こういうのを、非礼、恩知らずと言うが、私は言わない。

 セミナー講師が試しに二期会なるものを勧めると、納得したように、歌をやるには、それが一番と思ったのであろう、大きく頷いたと言う。万事休す。二期会は、時間の問題で潰れる。 こういう者は、幕末の頃の歴史を知らないのである。滅びに瀕する者が、どんな状態になるかを知らない。歴史を知らないということは、不幸である。

 

 さて、演歌師と名乗った私の歌を、歌になっていない歌と評した、弟子もいた。

 心に響く歌を歌えない者が、私の歌を歌になっていないと言う。哀れであった。自分の歌を知らない。素人のコンサートで知り合いに聞かせて、良かった良かったと言われて満足するアマチュアの精神旺盛で、決してプロには成れない者である。

 おかまでもなく、女の腐ったような悩み事を延々として、書き綴るという愚かしさであった。誰も歌ってくれと頼んでいないのである。どうしても、あなたの歌が聞きたいと言われる事も無いのである。

 そしてあろうことか、私のコンサートに出てもギャラが出ないと言う。藤岡の弟子であるから、出来る限り舞台にて歌うチャンスをと思ったのであるが、見事に、その私の好意を台なしにしてしまい、私も助けることが出来なくなってしまったのである。

 実に藤岡の師匠は、舞台であった。

 紛れも無く、舞台が藤岡の先生であった。師事した先生は、縁により師事したのであり、教わることは、単なる気休めであった。勿論、藤岡は、真摯に先生に向き合っていたのは間違いない。ただ私は、藤岡の最大の先生は舞台によるものであることを知っている。

 芸人は、舞台に育てられる。練習を幾らにしても、練習である。芸人は、本番が命である。馴れ合いで有名になっているピアノ弾きも、多くの舞台で、少しはまともなピアノ弾きになっているが、藤岡亡き後の藤岡の歌った伴奏を聴くと、私には、雑音に聴こえるのである。

 藤岡は、伴奏がなくてもいい声楽家であったと、今、正に私は思う。

 さて、弟子は師匠を超えるはずである。しかるに、弟子は師匠を超えられないのであれば、超えられないということを悟って、精進すべきである。つまり師匠に近づくためにである。芸とは、そういうものである。

 私も、いればな、茶の湯、舞踊で、100名以上の弟子を抱えていたこともあり、藤岡の弟子の様には、本当にもったいないと思った。

 浅はかである。折角、藤岡のマニアルをすべて受けた者がいるのであるから、それに習い、自分の物にして、新境地を拓けば良いと思うが、皆、私のように考えないのである。 そして馴れ合いの付き合いで、慰め合いをしている様は、ただただ哀れである。