新・沈黙を破る
木村天山
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これからしばらくの間、西洋音楽史について書くことにする。
西洋音楽の源流は、グレゴリオ聖歌である。それは、法王グリゴリウス一世によって承認された。グリゴリウス一世は、ローマカトリックの法王である。在位590〜604年。
短旋律によって歌われるカトリックのラテン語による聖歌であり、西洋音楽のルーツである。そこからルネッサンスの、そしてバロックの音楽が生まれた。
ローマカトリックという教団は、神とイエスを同質とみなすアタナシウス派であり、ローマ帝国の帝コンスタンティヌスは、そのキリスト教を利用して皇帝権を神性化する道を選び、313年ミラノ勅令により、キリスト教の信仰を公に認めた。
325年にニケーア公会議を招集して教義の統一を計る。そこでイエスを神に最も近い人間であるとするアリウス派等を異端と認定するのである。
キリスト教の教義を巡る混乱は、392年まで続く。テオドシウス帝が「異端」「異教」の信仰を厳しく禁止するまで続いたのである。
おわかりであろうか。ローマカトリックは政治的に利用されて出来上がった巨大教団なのである。そこでは、異端を最も嫌い、異端に対する迫害は大変なものであった。
アリウス派、そしてネストリウス派と、教団は排され、神とイエスと聖霊が三位一体であるとする教義を正統としてローマカトリックが認証されるのである。
カトリックではなく、ローマと冠される意味がある。
キリスト教というものも、多数の派閥があったのである。ここではこれ以上、これに触れない。
そうして帝に認証された教会から、西洋音楽のルーツである聖歌が生まれたのである。 時は、中世である。異端審問と火あぶり、巡礼と托鉢僧たち、そして災害や天変地異、悪魔の活動、悪霊の憑依現象、様々な奇跡が現れた時代である。
それは日本の平安期に似る。無明ゆえに、恐怖の潜在意識が、多くの奇怪な状況を巻き起こすのである。
中世の教会は、布教よりも、異端審判に情熱を上げていた、仰天する状態である。
そんな中での、グレゴリオ聖歌の誕生である。
まだ薄暗い早朝から、石作りの聖堂にて、男子修道士たちが歌とも呪文ともつかない、声そのものが聖堂に響く歌に似たものを歌う。
禁欲を主とする修道生活にあって、罪の意識を持つ男子同士の性愛もあり、それはそれは複雑怪奇な精神状態を生むであろう。無知による無明が主であるから、規則に従い生活し、絶対服従の生活の中にある妖艶な男子の色気はまた、独特の表現方法を選び取ることになる。それが、グレゴリオ聖歌である。
歌うことによって贖罪を求める。昨夜の快楽の許しを乞う歌声は、また切なく、甘美な信仰という名の妄想に始終したであろう。
空中を漂う響き。それを当時の人は、どのような気持ちで聴いたか。神の世界で響く音である。石作りの修道院の聖堂で響く男子のみの声は、重厚で重圧であったと想像する。 しかし、それは音楽という面から考えれば、まだ民謡のように口頭伝承されるものであり、記譜される音楽として考案されたものではない。
記譜するという芸術音楽に至るには、まだまだ時間が必要であった。
芸術音楽とは、楽譜として記録される音楽である。
当時、記録されるという物は、聖書のように最も貴い物。記録されるということ自体に意味があった。
グレゴリオ聖歌が音楽といえるのか否かは、専門家に任せるが、私は、素人であるから音楽と認める。口頭伝承される民謡が音楽ではないと言えない。また、楽譜に記録されるものをもって、芸術音楽と考える学者たちと、私は同席しない。
短旋律であるから音楽と言えないというならば、現在の声楽家がアカペラで歌うことも、音楽と言えないことになる。近代的な音楽とは言えないというならば、そうであろう。それについて批判することはない。
音楽史は歴史に支えられてあり、歴史は哲学史に支えられてある。
哲学史とは、また宗教史も含まれる。キリスト教という巨大教団の有り様を見つつ、私は西洋音楽を見つめたいと思う。
教会との融和、対立、抵抗を無視して、西洋の芸術を考えられない。それ程、教会というのは、とんでもない存在であった。まして政治に利用されるのであるから、それは強大な力になったのである。
法王が帝を認証する、帝が法王を認証する。戴冠式は法王が執り行う。そして帝の神聖化を計る。
宗教が結果的に最も嫌うはずの権力と結び付くのである。
「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」と言ったイエスの言葉が、私には空しく響くのである。