新・沈黙を破る 21
木村天山
音楽理論というものは、いや哲学も同じであろう。ギリシャ哲学を母体にしている。キリスト教神学、及び哲学にしても、ギリシャ哲学が基礎となっている。ギリシャ、それは西洋の精神の生みの親である。
ギリシャ哲学は土台である。それを否定すれば、西洋哲学は崩れる。
人は水辺に集う。タレスの言うごとく、すべての原理は水である。それは霊感による。水にすべての宇宙の写しがある。
水の働きを観れば、宇宙の秘密が解るのである。命の水というが、それは存在そのものの根源に関わる秘密を有する。さて、水ごとくがと思うなかれ。
水にも思念があることを証明した人もいる。これは話せば長くなるので省略する。
いよいよ水という計れないものから「万物は数である」に行き着くのであ。
ピタゴラスのグループは、数学に携わった最初の人々である。数学の原理を、いっさいの存在者の原理であると考えた。そして数学の中でも、その最もたる原理は、数であるというところに行き着いた。
アリストテレスは「数の構成要素をすべての存在者の構成要素であると考え、また天界の全体も音階であり、数であると考えることになった」と言う。
真実は単純にして明解なものである。
もっとも驚くべきは、インド思想の転生輪廻をもまた、取り入れていたことである。
そして、見えるものは、またそのただ中にも、見えない世界に支えられてあるということである。これで言い表せるが、哲学を学んでいる者は「感覚を超えたものが存在し、感覚を超えたものは、感覚以外のなにものかによってとらえられるものでなければならない」と言う。
心地よい音階(ハルモニア)には音程(オクターブ)がある。
秩序(コスモス)と調和(ハルモニア)数によって成立する。
ピタゴラスの基礎的音階は、一対一、二対三、三対四の比で表された。ギリシャ語で、比はロゴス、言葉であり、ロゴスであるアルケーを捕らえるには、魂、またそれ自身ロゴスを備えた「知性」である。
ピタゴラスは、方程式の三つの自然数の組は、3,4,5であり、ピタゴラス数と言われる。ピタゴラスの定理と言われる、辺が、3,4,5の三角形は、直角三角形であり、斜辺の自乗は、他の二辺を自乗したものの和に等しい。
ちなみに、ピタゴラスは教祖である。彼は、教団を作り上げて、その教えを元に活動した。故に、その成果は、ピタゴラス教団の皆様のものであろう。
調和のハーモニーには音階があり、それには音程があり、それは宇宙に鳴り響いている。宇宙は調和のハーモニーによって満たされている。
タレスが「すべては神々に充ちている」と言うのと同じく、すべてはハーモニーに充ちているのである。
見事な洞察ではないか。
宇宙は、秩序と法則である。秩序はハーモニー、法則はオクターブである。
余談であるが、輪廻という考え方は、インド特有のものではない。真理は、どこでも真理である。輪廻は循環であり、それは生成であり、生成つまり転生と言い表せる。
諸悪の根源であるユダヤ教、準じて、キリスト教、イスラム教は、教義として、輪廻転生を認めない。死後は、神の国、天国へ行くと考える。
ユダヤの神に天の国があるとすれば、それは霊界のある一部であろうし、あの嫉妬と怒りの神であれば、霊界ではなく、魔界と称した方が無難である。それでは、キリスト教、イスラム教はどうか。同じ穴のムジナである。
魔界が天国である場合もあるだろう。または、キリスト教霊界が、イスラム教霊界が開けている場合もある。
イエスが言う「天の国」とは、己自身の霊界である。「主よ、主よという者が天の国に入るのではない。神のみ旨を行う人が入る」と言う。イエスの言う神は、父のことであり、それは、人皆が持つ神の国である。一人一人に与えられてある神の国である。
つまりそれは、百人いれば、百の神があるということである。
すべてはオクターブに支えられてあるハーモニーの世界こそ、天国である。今ここにも、それが実現することも出来る。
音楽は天国を実現出来る力を持つ。