新・沈黙を破る 26
さて短旋律のグレゴリオ聖歌に、新しい歌詞や旋律的フレーズを挿入するというものである。それをトロープスと言う。
「主よ、あわれみたまえ」が「主、永遠の神よ、あわれみたまえ」といった形である。誇張され、付加されるのである。
トロープスの重要なものは続唱である。
私はカトリックなのでよく解るが、司祭が「主は皆さんと共に」と言うと「また司祭と共に」と信者が答える、ミサ聖祭の式典がある。続唱とは、そのように、一人が歌い、それに続けて歌うというもの。
9世紀の終わり頃から始まり、音楽的創作というのではなく、歌唱のより華やかな幾つかのパッセージの下に歌詞を付け加えるというこである。
しかしこれがきっかけとなり、グレゴリオ聖歌が発展する。
それが、同時に二つ以上の旋律を歌うという、オルガヌムと言われるポリフォニーである。新しい旋律は、本歌の上か下に、四度、五度、またはオクターブの音程で重ねられた。 ただし、それは教会が発見したのではない。すでに、一般の人々が成していた歌唱様式を、教会が借用したのである。
歴史を見る場合に、記録されことをもって、書かれたことを持って真実であると見るが書かれたものがあるということは、書かれなかったものもあるということである。
このオルガヌムという唱法も、すでに当時の人々には、当然のこととして、楽しまれていたであろうと思われる。
これは、事なる声域を持った人が、同じ旋律を歌おうとした時に、自然に発見したものであろうと思われる。
ソプラノ、アルト、テノール、バスという四人が、同じ旋律を歌った時、耳に心地よいハーモニーとなり、そこで気づいたと言える。
オルガヌムには、二種類ある。一つは、平行オルガヌムで、旋律線が互いに固定した音程を保っているもの。そして、もう一つは、自由オルガヌムで、少しばかり多様な動きが働くのである。
中世の人にとって、曲を作るということは、グレゴリオ聖歌に手をいれることを言う。つまり、それを編曲することを曲を作ると考えたのである。
ただし芸術的感性に溢れた人は、それだけに止まらなくなり、最初は上に置かれた聖歌が、次第に曲の中心になってくることになる。つまりオルガヌムの部分が主になってくるのである。これが作曲の第一歩となる。
11世紀末から、それが顕著になり、オルガヌムの部分が特異になってくる。独立した動きになったり、聖歌の旋律と逆方向に動いたりと、複雑になってくるのである。
長く引き伸ばした聖歌の上に、細かな装飾的な旋律が加えられ、より複雑になり、それを楽しむ気持ちが現れる。メリスマ・オルガヌムと言われる。
ただし、それは謎である。その資料が無い。
想像するのみ。
それを想像して、こんな感じであろうと古楽以前の聖歌を創作することも、おもしろい試みになるだろう。
この中世音楽が爆発的に発展するのは、12世紀末のノートルダム楽派の時代からである。それはまた、教会権威が最高潮に達した時期でもある。
イスラムの世界を叩き潰すために立ち上げた、1099年、十字軍の遠征の第一回十字軍である。
エルサレム奪還に成功し、教会は、そして法王は、王をも凌ぐ絶大な力を手にするのである。皮肉なものである。力を否定する者が、力によって権威を得るのである。
それがまた、ローマカトリックの多きなる過ちにもなる。
前法王、ヨハネパウロ二世は、十字軍の遠征を誤りであったと謝罪した、初めての法王である。今、カトリックは、過去の過ちを認めて、謝罪し、そして神に許しを乞うことである。そうでなければ先が無い。というより、世界の対立の大本が宗教であるということを認めなければ、世界に平和は訪れない。
最も、平和的であろう宗教が対立を持って事に臨むのであるから、いかに宗教というものが、誤りであるかが解る。
妄想の教義を互いに引き出して論争するという馬鹿げたことは、ブッダ死後の仏教団でも行われた。論争に明け暮れて、生きる行為を放棄した僧たちには、ブッダの仏法などなかった。そして、それを知らなかった。
私が、三蔵法師玄奘を書いた時、彼が憧れた学びのナーランター寺でも論争が主なるものであり、驚いたものだ。