新・沈黙を破る 27
ゲルマン民族の大移動と共に、西ローマ帝国は消滅する。
しかしコンスタンティノーブルを首都とする東ローマ帝国は、財政、軍事面で安定し、千年もの長きに渡ってビザンツ帝国として存続した。
11世紀に入り、バルカン半島でスラブ人が南下し、帝国のスラブ化が進む。東方ではセルジューク朝の勢力が強まり、小アジアの内奥にまで侵入する。それでも12世紀には、人口100万の経済都市としてコンスタンティノーブルは繁栄を続けたのである。
私が書きたいのは、ローマカトリック教会の法王のことである。
11世紀に入り、農業技術が進歩したこともあって、人口が増加し、農地が不足するようになる。13世紀にかけて西ヨーロッパでは、原生林を伐採して農地にするという、大開墾時代が到来する。
この開墾に大きく貢献したのは、何と、「祈り、働け」というモットーの修道士たちである。ちなみに、古代ローマからのワインの製法を教えたのも修道院であった。
以前にも書いたが、純粋敬虔な信仰を持つ者が入る場所ではなく、食うために入る者も多い修道院である。統制された労働力を供給したと言える。
その一つの修道院である、クリュニー修道院を中心に、世俗化を禁止する厳格な戒律、聖職者の売買の禁止、教権の俗権からの独立を求める教会改革の動きが始まった。要するに、純粋な信仰活動としての修道院の姿を求めたのであろう。
聖職売買とは何か。聖職者の資格を売り買いするものである。今で言えば、宗教法人の売買のようである。いや僧職の売買である。つまり僧職を売り買いしていたということは、僧職を欲しがる者がいたということであり、それは実に世俗的な問題である。聖職者が、聖職ではなかったのである。今でも、聖職と言われる者が聖なるものであるかとえば、全く逆で、俗悪になる。よって宗教という世界程、俗悪になるのである。その権力闘争や、その淫乱行為等々は、目に余りある。この世に、聖職者など存在しない。聖なる者になることは出来ない世の中なのである。
つまり、魔界が支配しているのであるから、魔物が姿をくらますために、聖を装う。少しの問題意識を持って、神社仏閣の宗教家の行為を見れば、一目瞭然であろう。聖なる者が現れれば、それらは殺される。殺されなかったのはブッダのみである。しかし厳密に言えば、ブッダも魔界因縁の弟子の行為によって殺されたのである。
さてフランク王国から、東フランク王国、そして神聖ローマ帝国となり、その皇帝が聖職者を任命するようになる。
そこで事件が起こった。
皇帝による任命に不満を抱いたクリュニー修道院出身のグレゴリオ7世は、皇帝と、その中央集権化に対立する諸侯とを利用して、皇帝ハインリヒ4世を破門したのである。
法王が皇帝を破門するという事態である。
破門が一年以内に解かれない場合、皇帝の位を廃しされることになり、追い詰められた皇帝は、謝罪を決意する。
それ程の権威を持つに至った法王である。
1077年、皇帝は、法王の滞在する北部イタリアのカノッサを訪れて、雪の積もる城門の前に素足で3日間立ち尽くして、ようやく破門を解かれたという。これは驚愕する事態である。
日本のように、司祭と政治の主が一緒の天皇制であれば、このようなことは、考えられない。皇帝が恐れる程に法王は力を持つということで、それは軍事的力であろう。
「カノッサの屈辱」といわれる事件であった。
しかし、程なく、皇帝は反対派の諸侯を鎮圧した後、大軍を率いてローマに入り、1085年、法王を退位させた。
だがこれが、法王の権威を高めることになったのだ。
各地の教会は、それにより結束を固くした。聖職者の任命権をめぐる皇帝との争いは、12世紀前半にまで続くが、結局皇帝が妥協することになる。教会の、いや宗教の、いやカトリックの支配力である。
その頂点に在る法王である。
各地の教会は、ローマ法王を頂点とする統一組織へと、確実に変化したのである。
その威力が試されるのが、十字軍の遠征であった。
すべてが、ローマ法王へと続く道になる。現在でも、ローマ法王を無視することは出来ない。新派のキリスト教でもローマ法王を無視することは出来ない。これは潜在意識であろう。ただし、ローマ法王を無視する新派もある。それらは、霊界を事にする集団である。 アメリカに生まれた新派のキリスト教は、そうである。聖書を掲げるが、全くキリスト・イエスの教えとは、関係ないのである。関係あるように見せているのは、布教のために必要だからである。
M派も、E派も、キリスト教とは関係ないが、キリスト教の一派であるという。
実に、信じる者は騙されるのである。