新・沈黙を破る 28

 11世紀後半にイスラム世界のトルコ人セルジューク朝は、ビザンツ帝国の小アジアに侵入する。そして、キリスト、イスラム教両教徒の聖地であるイェルサレムを占領した。

 危機を感じたビザンツ帝国皇帝は、ローマ法王に援助を求める。

 法王ウルバヌス2世は、東西教会の統一と、西ヨーロッパにおける教皇権の強化を目論みにより、1095年、南フランスのクレルモンで公会議を開き、翌年夏の遠征開始を決議する。これより、13世紀までイスラムに対する聖戦という名の、十字軍の遠征が続けられるのである。

 お解りであろうか。何もイスラムが聖戦を名乗ったのではなく、最初は、キリスト教であった。聖戦とは何か。他民族、他宗教、異端を殺すことを聖戦と言う。これが、現在まで続いている。あらゆる紛争、戦争がそうなのである。

 戦に聖なるものはない。悪戦である。敵を明確にすることが、人民を支配する最も手っ取り早い方法である。単細胞の欧米人が好む。

 しかし、日本も太平洋戦争の際に、単細胞になり、聖戦として戦争を始めた。情けない。ただし日本は今の北朝鮮のように孤立化を謀ったのではない。望みを断たれたゆえの、強硬手段だった。何の望みか。石油である。日清、日露が勝利した傲慢に、軍部が単細胞になり、体育系の乗りで成した。

 体育は健全なものではない。頭も筋肉にしてしまう。要するに、思考停止状態にする。健全なる精神は健全なる体に宿ると信じて、体育、スポーツを奨励するアホ馬鹿間抜けが、日本の教育者に多かった。

 健全なる精神の前に、精神とは何かを知らないという愚である。精神とは、言葉の世界であり、寒中に凍てつく水氷をかぶったり、肉体を痛め付けることではない。逆に、それによって精神は、硬化し、偏屈で協調性のないアホな人間を作る。体を鍛えることで、溢れるばかりの性欲を吹き出させてしまうことを知らない。

 オリンピックとは、実に罪作りな行事である。汗と同じ分量だけ、精液を流して終わる。誰も言わないので、私が言う。

 1096年、フランス人、フランドル人を中心とする騎兵隊5000人、歩兵隊3万人の第一回十字軍が陸路東に向かい、イェルサレムを陥落させた。

 その過程で、イスラム教徒の住人5万人のうち、4万人を殺害するという大虐殺を行う。 それにより、イェルサレム王国が建国された。

 だが、1187年、エジプトの支配者サラディンがイェルサレムを占領する。すると即座にドイツ皇帝、フランス王、イギリス王などが、大規模な第三回十字軍を組織した。

 だが、高齢のドイツ皇帝は途中で溺死、フランス王も引き返して、遠征は失敗に終わる。 その後も、4回の十字軍が派遣されるが、いずれも失敗に終わる。

 1291年、十字軍最後の拠点だったアッコンが陥落して、200年続いた十字軍は終結する。

 十字軍の清算をする。

 ビザンツ帝国の衰退を招き、強大化した法王の権威も失墜する。そして、諸侯や騎士は没落し、王権が強化されて統一国家の形成が進められた。だが、一方では兵士の輸送に携わったイタリアの緒都市は、東方貿易により急成長を遂げたのだった。

 とくに第四回遠征以来、イタリア商人が、ビザンツ帝国から東方地中海、黒海の交易の主導権を奪い、ヴェネツィア、ジェノヴァなどの都市が急速に勃興した。

 イタリア商人の取引相手はイスラム商人である。南ドイツから産出される銀で東方の物産を買う。例えば、肉の保存にかかせないコショウなとである。

 遠征により内陸部にも道が出来た。それは皮肉にも商人の道となる。毛織物、貴族が好み教会の儀式に使われるワインが流通する。

 それは各地に都市を生み出すことになるのだ。

 都市は領主から自治権を獲得し12世紀までに人口1000人から5000人程度の自治都市が誕生する。

 このように交易権の拡大が、いずれルネサンスへと歴史を動かすことになってゆく。

 

 音楽史がテーマなので、多くは語らないでおく。

 第一回十字軍の成功により、教会は王をも凌ぐ絶大な力を得た。オルガヌム芸術の頂点を示すノートルダム楽派は、教会絶頂期と重なる。

 修道院は開かれて、人々の前に出て行くようになる。特に音楽に関しては独断場である。 フランス各地では、ゴシック教会の建設ラッシュとなり、それは天にも届くような塔、入り口を埋め尽くす彫刻、さらに、この世のものとは思えぬようなステンドグラスの色彩である。

 最初期のゴシックは、パリのサン・トニ教会(1137〜44年)シャルトル(1194〜1220年)アミアン(1220〜70年)パリのノートルダム大聖堂が完成したのは1250年あたりである。

 このノートルダム大聖堂を中心にしたのが、ノートルダム楽派の音楽である。

 レオナンとペロタンという二人の作曲家が有名である。

 12世紀後半に活動したレオナンは、教会儀式の音楽を体系的にまとめた。といっても、現在の作曲家とは違う。あのオルガヌムというグレゴリオ聖歌に付け加えるものである。作曲というより編曲と言った方が正しい。

 そして12世紀末から、13世紀初頭にかけて活動したのがペロタンである。オルガヌムをより大規模に改編した。ペロタンの作品は、レオナンの改作である。今なら、著作権法違反のようなことを行っていたのである。

 ペロタンの曲は、シンフォニー的で、編成は四声となり、低音で響くグレゴリオ聖歌は揺るぎない教会の権威を思わせ、その上にリズミカルなオルガヌム声部がのせられる。拍子は、八分の六拍子。舞い踊るようなリズムは、この時代あたりからで、高音だけではなく音の長さもある程度表記できるようになったからである。

 それまでの音楽は、言葉の抑揚から歌へと続くものだったが、ペロタンの時代から、言葉の抑揚から解放されて、音楽固有のリズムを追求するようになったと思われる。

 ちなみに、日本の朗詠も、言葉の抑揚を主とし、母音に戻してから長く延ばして詠じるものであり、天皇の歌会初めなどに詠じる藤原冷泉家の朗詠なども、そうである。

 日本のみならず、こういう形の朗詠は、さまざまな国にみられる。伝統歌の朗詠である。 明治期に唱歌を作った政府は、すべて外国の曲に作詞をするというもので、言葉の抑揚は無視であった。有名なのは「蛍の光」である。スコットランドの民謡に歌詞をつけて歌う。その日本語の発声のへんちくりんさに、滝廉太郎などが、これではいけないと、日本語の発音を主にした作曲をする。

 大正14年の山田耕筰の「からたちの花」もそうである。私は、この歌から良い意味での日本の西洋音楽化が始まったと思っている。名曲、古典といっていい。

 ただしそれは、へんちくりんな発声を正すという意味で有意義であり、本来の正しい日本語発声の朗詠のように、言葉の抑揚を正しく楽譜にしたといってよい。