新沈黙を破る 34
木村天山
さて、教会音楽ばかりが音楽ではない。それ以外の音楽活動が無かったかと言えば別で、学者が言うところの俗曲も、勿論大いにあったのである。
そこで、何故俗曲などという言い方をするのか、私には不思議でしょうがない。俗曲とは、これいかにである。
例えば、西洋音楽が輸入された時も、日本の音楽を俗曲と言う。その感覚は、どういうことか。結局、差別意識の何物でもない。今でも、歌曲と俗曲と言われる。俗曲の歌謡曲や演歌がレベルの低いものであるという意識があるという不思議である。
フランスのシャンソンが歌謡曲より高尚であろうか。同じく恋を歌っても、歌詞を読むと、歌謡曲の方が、勝っている場合が多い。
あちらは愛してると言うが、日本では愛してるという言葉を使わずして、愛を歌うという奥ゆかしさがある。
それぞれの歌には、それぞれの発生過程があるのであり、何が上か下かなど議論するのはナンセンスである。
教会音楽が高尚で、当時の俗曲はレベルが低いなとどは言えないのである。
9世紀より以前の、民衆歌や舞曲などは、一つも残存していないというが、証拠が無いから、無かったということではない。記録されなかっただけの話で、数多くあった。そんなことは、少し推察すれば解ることである。そしてそれが、実は、今に至るまで底辺に流れていりする。ケルトの音楽などは、そうである。古い旋律が受け継がれて、今でも、それが曲の中に流れるのである。
学者は記録されなかったものは、滅んだという言い方をするが、そこが浅はかなのである。伝承とは、そんなやわなものではない。親から子へ、子から孫へと伝えられる。
そう考えるのが真っ当であろう。
素人の私でさえも、残された物の背後に、残されなかった物の存在を推察するのである。 書かれた物があるということは、書かれなかった物もあるということで、それを推察するには、霊感が必要である。しかし、霊感というと、偽物、まゆつば物と思う心が悲しい。 創造力や推察力は霊感である。
フランスで最初にフランス語で歌を作ったのは、南フランスのトルバドゥールという騎士たちであり、北フランスのトルヴェールと関連がある。両者共に、王侯の宮廷と結び付いた詩人であり作曲家であった。
その音楽は、貴族的な優雅さと騎士道的目的とした特徴がある。彼らは、愛を肉体を超えた霊性、理想的な愛の形を説き、それは騎士としての誓い、優雅な諦めの複合したものであったという。また当時、教会の聖母に対する信仰を奨励するものに迎合しての、聖母賛美をし、それは女性を理想化するものだった。
とは、学者の言い分である。騎士道とは、男子同士の愛情形態であり、今で言えば、同性愛の肯定であろう。それはドイツでも、イタリアでも、そしてイギリスへも伝わった。ギリシャの愛の最も崇高な男子の愛である。これを理解しなければ、世俗歌など理解出来ない。聖母信仰は、女性の処女性を重んじて、処女性を犯すことなくの信仰であり、それでは、実際的な愛の行動は、同性愛へと向くのである。これ自然の流れであろう。
大事なことは、フランス語で歌を歌ったということが画期的である。それがまた、歌曲形式を作ることになる。その形式を上げると、ロトルアンジェ、バラード、レー、ヴィルレー、ロンドーなどである。これが、14,15世紀の世俗歌の主要な類型へと発展した。これに関しては、専門家の本で調べて欲しい。私の役目ではない。
イタリアに関しては、教会の目があり、世俗歌の発展は他より遅い。教会は、単なる娯楽の音楽を、厳しく監視していたからである。
まあ、中世は娯楽音楽などは、もっての外だったわけで、教会音楽のみが正統であった。というより、教会がそう定めていたのだ。ただし、娯楽音楽は、教会音楽よりは楽しいにきまっている。リズミカルで舞曲風。それは繰り返しの多いものだった。
リュートやハープの伴奏であり、舞曲には、バッグパイプ、初期のフィッドル、ハーディ・ガーディ、リードパイプ、リコーダー、ドラムやベルが用いられたということは、非常に楽しいものだったと想像出来る。
薄暗い教会音楽も、それらには適わないであろうと思われる。