新沈黙を破る45
木村天山
こうして音楽史のことだけに目を向けていると、肝心なことを見失う。
14世紀から、ルネッサンスにかけての社会的状況は、古い封建的貴族の凋落を促し、騎士道は形式と化しヨーロッパの政治的統一という中世の理想は、夢となる。
フランスは、中央集権の絶対的王政に、イタリアは多数の都市国家に分割された。
そして、芸術芸能、文芸が、俄に凄まじいエネルギーを持って生まれてゆく。
南ヨーロッパの話し言葉による文学が、飛び抜けている。
あの、ダンテの「神曲」ボッカッチョの「デカメローン」チョーサの「カンタベリ物語り」である。
またルネッサンスの原動力となった、古典古代のギリシャ文献に関する大きな関心である。絵画においては、形骸化したビザンティウム様式を棄てたジョットは、対象の自然な表現に向かい最初の第一歩を踏み出した。
中世の教会支配に対する挑戦と言ってもよいエネルギーである。
もういい加減に、教会の司祭たちの無知蒙昧な脅しに乗らなかったということであり、賢くなったということである。
ある種の開き直りが、公然と行われた。
しかし、これはその時に始まったことではない。
アリストテレスは、神という観念に対して、単なる名目であるということを言い、イスラムは、ヨーロッパより進んだ学問、知識の先端を行っていたのである。
イスラムという宗教は、現実主義である。当然、数学が発達した。それはユダヤ人、つまりヘブライ人の比ではない。同じ神を奉ずる者であるが、後発隊の方が賢かった。
何せ、幾何学、三次方程式、天文学が発達して、地動説は当たり前。11世紀には、グレゴリオ暦より、正確なシセャラリー暦が作られていた。
その頃より、イラン、インド、ギリシャの文献がアラビア語に翻訳されていたのである。 インド数学が改良されてアラビア数学が作られてあり、中国の練丹術が、錬金術や化学に姿を変えていたのである。
要するに、一番無知蒙昧だったのは、ヨーロッパ人であった。これは、アメーバーから進化した人間であるからだろう。私の偏見である。
11世紀まで、ヨーロッパは百姓であった。実は、ギリシャ・ローマの古典もイスラム世界から学んだものである。
ということは、ヨーロッパ人とは、実に未開の人であった。
そして、実に日本の11世紀は、世界初の小説、源氏物語が書かれているのである。
何かしら、日本はすべて後発のように思われているが、欧米人がいかに野蛮で遅れていたか。日本史を知らず、世界史を知って、なおヨーロッパに憧れているアホ馬鹿間抜けが多い、今の日本人である。
もっと日本史について書いてもいいが、そうなると西洋音楽史が、無くなってしまうので、以下省略する。いずれ書くことにする。
イスラムに戻ると、ヨーロッパは11世紀末以降、アラビア語文献がラテン語に訳されてイスラム文明の吸収が始まっているのである。
ヨーロッパのルネッサンスは、万能の天才が出現するが、そんなものはイスラムの世界では当たり前であった。
レオナルド・ダビンチは凄いと言っても、イスラムでは、そんな者がゴロゴロいたのである。そういう有り方を、ヨーロッパ人はイスラムから学んだのである。
クラシック音楽が高尚なものだとは、笑わせる。
やっとこさっとこ、音楽に似せたものに、たどり着いたのである。
モンゴルやイスラム、日本の雅楽等々と比べても、劣るは劣るは。
しかし、お勉強不足の日本クラシック音楽の皆様は、知らない。知らないものは無いと思い込む。知らないだけである。
本当に、芸大、音大で西洋音楽史を教えているのであろうか。
もし学んでいるとしたなら、クラシック音楽をやっていますなどということが、いかなることか解るはず。野蛮で無知蒙昧な、おめでたい人々の音楽なのであることを・・・
ヨーロッパから宗教的理由で、というより、宗教間の争いが嫌で、アメリカ大陸へ渡り、アメリカインデアンを殺しに殺してアメリカという国を建国した。
欧米人とは、別名、人で無しと言うことが出来る。
つまり、ユダヤ教から生まれたキリスト教諸派である。そして、何とあろうことか、白人は人間で、色付き人間は、人間ではないと思える、恐ろしい根性を持つことが出来るという、無神経振りである。
彼らの神の顔が見たいものである。