新沈黙を破る 49

木村天山

 15世紀は、音楽史において高い水準を示した。

 当時、最高の作曲家である、ジョスカ・デ・プレは、あらゆる時代を通じても、偉大な作曲家であると認められる。

 彼は、定旋律に低音ではなく、旋律に配したのである。

 一つのパーツがソロで歌う。すると歌い出しのパートの旋律に借用してきた定旋律が自由にアレンジされ埋め込まれる。次ぎに、この旋律を、一定の間隔を置いて第二のパートが、次ぎに第三のパートがと、次々に模倣してゆく。美しい均等なうねりが作り出される。それを、通模倣と呼ばれる。つまり、同じ旋律を通して、模倣するというものである。

 輪唱、カノンである。

 

 この時代の作曲家から、和声というものが、音楽というものに動きがあることを突き止めたのである。音のあるコンビネーションは、協和、それは癒し効果のある楽しい感じに響く。それに比べて、不協和は、逆の効果を持つ。

 不協和を聴くと、不快になる。それを作曲家は気づき、不協和を生み出して、適切な協和へと移行させることによって、感動を引き込むのである。

 こうして音楽が進化する。

 そして面白いことは、世俗的旋律が、聖歌と同様に用いられたことである。当時、最も頻繁に用いられた旋律は、フランスのシャンソン「いくさびと」であったという。

 このフランスのシャンソンは、宗教音楽にも、世俗音楽にも精通していた、デュファイとパンショアの二人の作曲家である。

 シャンソンとは、この時代の世俗作品すべてを包括する音楽となった。ちなみに、ロンドーという形式や、当時流行していたバラードもある。

 いよいよ音楽が、面白くなってきたのである。宗教とは別に、音楽自体を楽しむ時代の到来である。

 ではここで、その辺りの日本は、どうだったのかということである。

 日本の音楽は、何と劇と音楽が一緒に完成した、能楽である。世界史上稀にみる劇場文化である、能楽である。世阿弥が「風姿花伝」を書いたのは、15世紀の最初である。

 そして、茶の湯、いけばな、瓶花、挿花である。現在、伝統文化と言われるものが、すべて花開いていた。室町の芸能花盛りである。

 こうしてみると、決して日本は遅れていた訳ではない。実に、味わい深く芸能を見詰めていた時代である。

 歌の世界も、連歌が確立した。後の俳句に発展するものである。

 ここでおわかりのように、日本で歌という場合は、詩であり、言葉の世界である。声楽のことではない。

 そして、歌には、自然にメロディーがついた。朗詠である。

 ルネッサンスの建築以前に、日本では金閣寺などの書院造りが生まれている。

 比較をしても、日本の文化レベルは欧米より劣るということはない。

 それを知らずに、欧米礼讚をする者がいるという仰天である。

 石作りで響く音と、木造りで響く音は全く違う。技巧を凝らして音楽を作らなければ、美しい、楽しいなどの感覚を持てないヨーロッパ人と、そのままの音が、やさしく響く朗詠の音を持つ日本である。つまり、人の声が、そのまま染み込んでゆくのである。

 

 後に、発声法について言うが、全く違うものである。日本語の歌を歌う発声と、欧米の歌を歌う発声は、全く違う。

 張り上げればいいというものではない。微かな響きに、耳を傾けることが出来る日本人の耳は、欧米人の耳とは違う。繊細なのである。水音、虫の音を風情という聴く日本人の耳と、それらを雑音として聴く彼らの耳とは、根本的に違う。

 その風情を理解する能力も欧米人には無い。無くて当然である。人種が違うのである。それを持って差別することは無い。違う者を違うと認識して、初めて相違という哲学が出来るのである。

 ところが、その哲学を棄てて、欧米人は極悪野蛮になったのである。ギリシャ哲学をも理解しなかった訳である。

 旧約聖書が諸悪の根源であるという意味である。ユダヤ人の神を、唯一神とした誤りである。「神の名をみだりに呼ぶな」とは、魔神らしい。「神」などいないからである。