新沈黙を破る 50

木村天山

 15世紀の世俗音楽を考察する。

 その娯楽的音楽は、残存していないが、それを示す資料はある。

 絵画の中に、色々な楽器を演奏している、ミンストレルと言われるグループがいる。

 ミンストレルには、室内用と軍隊用があった。

 軍隊用は、戦場で信号を発するという仕事の他に、平時には宮廷生活の行事に利用された。行事における高貴な人の来着を告げる、トランペットのファンファーレなどである。 室内用の音楽家も多数雇われていた。行事のための、舞曲、歌曲、祝宴の音楽等である。 彼らは即興演奏に熟練していた。通俗的な旋律の多くを頭の中に置いて、自由にそれを応用した。

 その時の楽器は、リコーダー、オーボー、シランペット、トロンボーン、ハープ、リュート、弦楽器のヴィオール、小型オルガン、初期の有弦鍵盤楽器であるクラヴィコード等である。

 舞曲の発展は目覚ましかった。それぞれの地域で、それぞれの民族的特性を帯びて、楽しく歌い踊ったであろうことは、想像に難くない。勿論、それらは聖職者に嫌悪された。

 陰で一番風紀を乱しているのが聖職者であるが、体面上は、風紀の乱れを一番嘆くという偽善である。

 

 フランスのシャンソンの他に、この時代の通俗的歌曲は、ドイツリート、イギリスのキャロル、イタリアのフロットーラである。

 今では、歌曲とは、高尚なものという意識があるが、当時は、通俗的音楽と言われた。 ドイツリートをみると、三声の多声歌曲であった。それはシャンソンとは大きな相違があった。シャンソンの場合は、旋律が借用されたテノールを中心に構成されていても、最も高い声部にあった。それに対しリートは、常にテノールにおかれた。三声の場合、最も低い声部におかれた。そういう意味では、リートは、古い形に近い。

 イギリスのキャロルは、多声歌曲であるが、その題材がクリスマスに限られている訳ではなかった。聖母マリアの賛歌、特定の聖人への祈願、戦勝を感謝する歌等、すべてキャロルである。

 そしてイタリアのフロットーラである。まだ少しの時期を要するが、16世紀に花開く目覚めがあった。フィレンツェの謝肉祭の歌の起源がここにある。それは、リートやシャンソンより単純で大衆的である。旋律はきっちりとして直線的。その諸声部は、独立旋律というより、伴奏の和声に近いものだった。イタリアでのポイントは、当時の音楽家として、イタリア生まれの偉大な者がいなかったということである。

 矢張り、イタリアルネッサンスは、画家、フラ・アンシェリコ、ウッチェルロ、ボッティチェルリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエルロ、その他大勢。そして彫刻家、ドナチルロ、ギベルティ、ミケランジェロである。建築家では、ブルネレスキ、ミケロッツォ、アルベルティ、ブラマンテである。

 

 ルネッサンスの大きな特徴は、多くの作曲家が誕生したと共に、自作に署名をする作曲家が激増したことである。これは画期的なことで、それ以前、自作に署名をした者は、マショーのみである。つまり、自意識の発露である。個人の意識が明確になってきたことは、大変な目覚めである。

 今なら、当たり前に著作権というものがあるが、当時は、作っても皆のものであり、自我の意識は眠っていた。これがルネッサンスの大きな特徴なのかもしれない。

 人文主義とか、文芸復興とか言われるが、それが作品に署名するという行為に表れたと私はみる。

 中世の音楽は神のものであり、神からのものである。誰のものでもないという厳格な考え方である。それが、私のものであるとする、主張である。これは大変な変化である。

 神からの解放でもあったといえる。それは教会からの解放でもある。

 蒙昧と迷信に彩られた神の世界からの脱出である。

 ルネッサンスは、別名、自我の目覚めである。

 それでは哲学は、どのように変化したのか。音楽の世界でさえ、神からの解放を感じ始めたのである。哲学がそのままであるはずがない。

 そして私が興味を持つのは、人の生活である。音楽は感情に訴えるものとなっていった。それならば人の生活も変化する。

 この辺りから、音楽教育ということを考え始めなければいけないだろう。そして音楽美学もである。それは美学全体を包括して見詰めた方が賢い。

 今更ながら、素人が音楽史など書くものでなかったと思うに至る。