新沈黙を破る 51
木村天山
簡単に言う。
この頃までにギリシャ哲学が温存され維持されて2000年を経る。ゲルマン人の大移動によって、ギリシャ、ローマ文化がガリア(フランス)の暗い森の中に追いやられた後、その精神は修道院という中で、純粋に守られてゆく。
プラトン、アリストテレスの絶対的なものを求める精神は、見事にキリスト教の神の存在証明として応用された。中世の宗教画の中で、彼らは後光を抱いた聖人として描かれているのである。
本人達は驚くであろが、後発隊からすれば、彼らの言葉の世界は説得力あるものだ。
当時の修道院とは、中世の学校であり、開墾センターである。神への奉仕というイデオロギーにより、規則正しい生活と労働力は、実に揺るぎない団体となっていた。
特に、彼らの生活にかかせない祈りの時間、それを正確にするために時計が必要とされた。ベネディクト修道院が最も多く時計を使用したとある。
日本の寺院の初期も、これと全く同じである。学校であり、情報収集センターであった。それが仏への奉仕という一点のイデオロギーに支えられて、揺るぎのないものになっていた。学ぶためには修道院に、寺院に入ることなのであった。
私感であるが、女のいない世界は、どんなに楽なことだっただろうか。余計なことを考える必要はない。男が事を行う時、邪魔をするのは女である。
志しある若者が、女に躓くのを多く見た。
現代は、自由恋愛と自由性交の時代である。それが、多くの若者を志から堕落させている。つまり、目の前に女がいることによって、性的欲求を即座に満たすことが出来る。その後は、知れている。妊娠、出産である。堕胎をさせても、その後に尾を引く。後味の悪い思いを抱いて生きることになる。勿論、一ダース程の堕胎をしても平気な若者もいる。性欲を満たせば、その後の始末は、どうでもよい。つまり、魔界転生の者である。
妊娠したことにより、生活のために志を諦めてしまった多くの若者。まあ、それはそれでいいのかもしれない。
修道院生活は、勉学、向上心旺盛の者にとっては、理想的な環境であったと思われる。また、同性を愛する者にとっても、理想郷であろう。同性愛の最もタブー視される修道院にあっての愛情は、スリルと甘美なそして激烈な感覚を伴う。また、世の中に同性愛を隠すことが出来るという点でも理想であった。
さて、私はルネッサンス哲学のトップに、ニコラス・コペルニクスを上げる。
哲学というより、天文学者であるが、彼の言動は哲学に大きな影響を与えたと思われる。当時、公認の宇宙観であるプトレマイオスの天動説を批判する地動説を最初に唱えたのである。彼の地動説は、視点の転換そのものを迫り、後にケプラー、ニュートンを経て、今日の天文学へ発展した。
視点の転換とは、目覚めであり、驚きであり、それこそ学問に必要な心的刺激である。これなくして、学問は有り得ない。
視点の転換、それは自由の扉である。
視点の転換なくして成長は有り得ない。自戒を込めて私は言う。人は一度考えたもの、定義したものを覆すことに恐れを感じる。しかし、それを経なければ、成長も発展もない。 長く生きれば生きる程、頑固蒙昧に陥り、意固地になる。それは思考の停止を言う。思考が停止すれば、死んだものと同じである。年を経れば経るほど、柔軟に思考を持つこと。それが哲学の道である。後に書くが、実存哲学のハイデッカー、サルトルなどが、それである。
兎も角、中世から近世と言う時代の幕開けは、視点の転換であった。
それは、世界の原理をより単純なものとして認識するという驚きである。秩序あるコスモス、世界とは、ギリシャ哲学の最初であった。その秩序が数学を通じて表現されるとは、ピタゴラスからプラトンの思想に負う。
世界を実証的に説明しようとするアリストテレスに対して、世界の秩序を数学のうちに説明しようとする近代の科学思想と、物質の中に純粋な魂を見いだそうとする錬金術は、共にプラトンを受け継いでいる。
そしてそのプラトンは、書き物を一切残さなかったソクラテスの弟子である。
哲学教というものがあるならば、ソクラテスは教祖、開祖であろう。