新沈黙を破る 55
木村天山
ルターが音楽好きだったことが、大きな理由である。
音楽に大きな影響を与えた。理屈好きのルターである。音楽にも、独自の見解をもって、グレゴリオ聖歌に相当するプロテスタント教会にも作り出す。それが「コラール」である。 ドイツの音楽への目覚めは、るたーに負う。
「コラール」は、神秘的要素の強いグレゴリオ聖歌とは違い、あらゆる階層の人に広く口ずさまれる、民謡のような親しみやすい暖かな雰囲気の歌である。歌詞はドイツ語、また民謡の一部借用もあった。
コラールは、後にバッハによって頂点に達するのである。ドイツプロテスタント音楽の土台となる。
この頃、スペインでは宗教合唱曲のクトリアと、モラレスが登場する。後のバロック音楽の重要となる宮廷舞曲の多くが作られた。
イギリスでは、ギボンズ、ダウランド、タリス、タヴァナといった作曲家が現れ、ヴァージナル音楽が栄えた。
この頃の歌を再現するとなると、古語の英語能力が必要である。
藤岡が、それを見事に成した。イギリス人が、藤岡に古語の英語を習いに来ていた程だった。ダウランドのものは、多く録音してあり、非常に貴重なものとなっている。
最初のCDは、リュートソング集である。実に、その頃の歌が多く、当時の雰囲気を想像するに良い。
さて、ルター派の諸侯は同盟を作り、カトリック支持の皇帝と抗争を繰り返すが、カール5世は、とうとう1555年、「アウグスブルクの宗教和議」を出し、帝国の諸侯と自由都市にルター派を選択することを認めた。
ドイツで起こったルターの行動に共感し、自分も改革に乗り出したのが、フランスのカルヴァンである。しかし迫害を受けて、スイスのバーゼルに亡命する。
彼は、神の絶対至上主義を立てて、人間が死後救済されるか否かは、神によってあらかじめ決められているとする「予定説」を説いた。そして「キリスト教綱要」を発表し、勤労と節約を重んじて生きることを説いた。それは、商工業者に支持され、後の資本主義社会の精神的支柱となる。
1536年、ジュネーブに招かれたたガルヴァンは、自分の教義に基づく政治活動を行った。ゆえにジュネーブは、プロテスタントの聖地となる。
カルヴァンの思想は、非常に現実主義であるが、「予定説」だけは、いただけない。
しかしそこが宗教の味噌であろう。「予定説」に縁する人は、当然、ガルヴァン派に入信することになる。我々は、すでに死後、神の救済を受けるということだ。
信じる者は騙される。
プロテスタントが勢力を拡大すれば、あわてるのはカトリックである。
宗教裁判なる茶番を行い。法王の至上権を確認する。
あちらは間違い、こちらが正しいとする、手前勝手な理屈で、推し進めるのである。
ここで、注目すべきは、戦闘的カトリックの一派が、イエスズ会を結成し、世界は広いと、アメリカ、アジアへの布教に取り組むのである。法王の命を受けてである。
要するに、カトリック教会の勢力範囲を広げるためである。
イグナチオ・ロヨラ、フランシスコ・ザビエル等々である。
ご存じのように、フランシスコ・ザビエルは、日本に伝導に来た。来たというより、流れて来た。鉄砲伝来と共に。
その鉄砲で、日本統一を謀ったのが織田信長である。最初、織田信長は、宣教師の、命懸けの行動を称賛し、安土城にセニナリオという神学校を作った程である。ただし、信長は、自分が神であるという意識であるから、あちらの神は、別の神である。平気だった。
神が唯一という感覚は、当時の日本には無い。神は複数であるとの認識である。