新沈黙を破る 56
木村天山
プロテスタントの勢力拡大に、カトリックも対抗し、トレント公会議を開催して、自主的改革を図る。その際、フランドル風のポリフォニー音楽の是非を問うた。
音楽優先で複雑なポリフォニーは、信仰の主旨に反するということで、結果的に短旋律のグレゴリオ聖歌に立ち返るというするものである。
ポリフォニー禁止という意見まで出た。
しかし、そこで当時のローマ楽壇にいた、ジョバンニ・ピエルルイージ・パレストリーナらが、ポリフォニー音楽でも信仰にかなった音楽が作れると、最悪の事態を回避したと言われる。
16世紀、ローマ教会で活動した作曲家たちをローマ楽派と呼ぶ。その最大の特徴は、人間の声を重視したことである。楽器の伴奏のない、声楽曲を作曲した。それを、ア・カペラ、つまり教会風とか、礼拝堂風とか呼ぶ。
パレストリーナの曲は、宗教音楽の理想として称賛され、後々まで対位法の規範として長く作曲法の手本とされるほどだった。ご存じのように、彼の曲は非常に清らかである。
さて、この時期の最も重要な音楽都市は、ヴェネツィアだった。
商人たちは、貿易によって巨万の富を得て、ヴェネツィアの文化発展に大いに寄与した。 特に、美術である。ベルリーニ、ジョルジーネ、、ティツィア、ティントレットといった画家が活躍した。音楽では、ヴェネツィア楽派と言われる独特のスタイルが開花する。 ジョヴァンニ・ガブリエルが代表的である。彼の金管合奏曲は壮麗で壮大。このヴェネツィア楽派の特徴は、エコー効果である。
彼ら作曲家たちは、別の席に置かれた二つの合唱がエコーで交差するような効果を利用した。
ヴェルツィアは、バロック期以降も音楽家たちに影響を与えた。
ウイーンばかりが音楽の都ではないということだ。
日本では、ウイーンが音楽の殿堂として強くイメージするが、実は、この他、ヴェネツィアのみならず、ローマも音楽の都であり、それぞれの特徴が、実に面白い。
ちなみに、食べ物は、兎に角、ローマに叶わない。ローマの食べ物は、旨い。
藤岡は、食べ物が旨いローマが大好きだった。ローマの教会でソロで歌った録音があるが、私は、それと共にローマの食べ物の旨さを何度も聞いた。
私は、ヨーロッパなどに行きたいと思わないが、どうしてもというなら、ローマに行き、食べ物を楽しみたい。オペラなどは、全く興味がない。劇場やホールで歌を聞くなら、船乗りのおじさんの歌を聴きたいと思っている。
それではフランス料理はどうか。まず、甘味料を使用しないというのが、気に入らない。食事の後のデザートという感覚が、好きになれない。甘さをそれで補うという。
どちらかというと、日本の京都の料理の感覚に近いものを感じる。要するに、仰々しい。日本でフランス料理を食べてもいいが、あちらにいって食べたいとは、思わない。私のような貧乏人は、ローマ、イタリアの腹一杯のパスタ料理があっている。
もう一つ、ちなみに、ワインである。何十万もするワインを飲みたいと思わない。幾度か、縁合っていただいたが、私は千円以内のワインでいい。昔、教会でドイツワインをよくいただいたが、今では、チリとかカルフォルニアで十分。
ついでに、焼酎は駄目。矢張り、日本酒である。世界のどこを探しても、日本酒の情緒にかなうものは無い。沖縄が好きなので、頑張って泡盛を飲むが、酔う。与那国島の泡盛などは、60度近い度数で、味見をしても、とんでもない。
ついでに、久米島紬で有名な、久米島の久米仙も、水で大半割らないと、とんでもなく酔う。結局、最後は日本酒に戻る。
藤岡は、中国の紹興酒をレモンで割って飲むのが好きだった。私も嫌いではないが、それでも最後は日本酒に戻った。
ロシアのウオッカは論外。あれは寒さも不幸も麻痺させて、しまいにアホにさせる。