新沈黙を破る 59
木村天山
1562年、フランスのカルヴァン派の新教徒(ユグノー)と、カトリックの争いに、摂政となったメデッチ家出身の皇后の策謀が絡み、ユグノー戦争が起こる。
この宗教戦争には、新教徒側にドイツの新教諸侯、イギリス、オランダがつき、カトリックには、ローマ法王とスペイン王が介入した。
1572年、名高いサン・バルテルミの虐殺が起こった。サン・バルテルミは祭りの日である。そこでカトリック教徒が新教徒を襲い、歴史に知られる大虐殺の日となった。
それによって戦争は長期化した。1598年に、ブルボン朝を開いたアンリ8世が「ナントの勅令」を出すまで続いたのだ。
もう一つ、最大の宗教戦争は、ドイツの30年戦争である。
この戦争も、デンマーク、スェーデン、フランスなどの介入で長期化した。
火器の普及による戦術により、傭兵軍隊が重要な役割を負ったが、略奪により、兵士の給与を賄うために、ドイツ中心部は荒廃し、人口が1800万から700万人に激減した。
十字軍の最初の時も、イスラムの町の5万人のうち4万人を殺した。
戦争であるから、多くを殺せば良いのだろうが、半端な根性ではない。要するに、我らにあらずば、人間でないという考え方である。
日本では、織田信長に、そういう残虐さを見るが、戦いの性格が違う。
比叡山焼き打ちの時は、僧侶たちの僧侶にあるまじき行動に怒った。宗教、宗派、宗門を利用しての退廃振りに怒ったのであり、僧侶の心を正すものだった。戦は武士がするものであり、僧兵などという愚かしさを諌めたのである。
また政治と信仰を支配する門徒、浄土真宗との戦いである。早くから、政教分離を信長は気づいていた。あのまま門徒が勝ち進んでいたら、今頃の日本は、法主が支配する、恐ろしい排他的な国になっていたはずである。勿論、そんなことにはならないが・・・
兎に角、政治と信仰、宗教が交わると、誤りが多くなる。
キリストは「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」と述べて、政治と信仰を切り離した。
ただし、欧米が言う宗教分離と、日本が言う宗教分離には、大きな隔たりがある。あちらは、キリスト教の各宗派に対して、同じレベルの保護をするというものである。平等に扱うということだ。日本の場合は違う。宗教団体と、政治は分離するということである。 宗教的心の有り方(伝統的宗教心情)は必要であるが、宗教団体と、政治活動とは別であるという考え方である。
誰の、何の神や仏も、政治に関することはしない。ところが、ある宗教団体が政党を持つということである。つまり、その宗教団体が掲げる教義により、政治を行うということである。それは、カトリックに似る。政治の主と信仰の主が一緒である。ヴァチカン市国という国を作る程の仰天である。
皇帝と法王が手を結ぶことによって支配する力が強くなる。だが、結局、それは崩壊した。次ぎは、国家という共同幻想を、現実的に機能させるための手段である。その際に、宗教や一定の信仰教義を持って進めば、破綻する。時代が変わるからである。
宗教の儀式さえも時代に合わせるものになるのである。政治と信仰を分離しなければ、世界の発展はなかった。
信仰を持つことと、政治を司ることを別問題としなければ、政治学の意味がない。
この世の救いは、絶対的なものが無いということである。それが、これは絶対であると断定したならば、生成発展するという自然の法則に反する。