新沈黙を破る 63
木村天山
バロック音楽の誕生の国は、イタリアである。イタリアで展開されたものを、他の国が受け入れたといえる。
ルネッサンスでは、音楽で遅れを取ったイタリアの面目回復である。
それではバロック音楽の主は何かといえば、器楽音楽と劇音楽である。
ルネッサンス時代が、声楽音楽を中心にしていたのとは打って変わって、器楽音楽の発展である。ルネッサンスでは、声楽の下に置かれて、声楽の論理をもって理解されていたが、ここに至って、器楽音楽固有の語法が開拓された。
ソナタ、コンチェルトという、器楽独自の曲種が成立する。当然、楽器が改良されたり、開発される。
ここに、何か重大な秘密が隠されている。声の音楽から、物を介した音楽への発展といおうか、目覚めといおうか。
多くの民族音楽では、物を扱う場合、自然に共鳴する形で取り入れられる。しかし、このバロックの場合は、それとは違う。自然に無い音、創造の音である。それは、人間の声に似せて創る音のような気がする。
自然の音をシャットアウトして、人間の頭で考える音の組み合わせを楽しむという行為である。何か、ここに意味があるはずである。それは、西洋音楽をより理解するために、必要な思索であろう。
これについては、後にこの頃の哲学、思想等を観る時、考える。
さて、器楽音楽の他に、劇音楽である。これは声楽の発展といえる。
オペラ、カンタータ、オラトリオである。
先に、最初のオペラ、エウリディチェが1600年に上演されたと言ったが、実は、同じ年に、ローマにて、宗教的内容による、劇音楽オラトリオが上演されている。
そして七年後、マントヴァの町で、クラウディオ・モンテヴェルディの作曲オペラ「オルフェーオ」が初演された。オペラという楽種の確立に決定的な貢献を果たしたといえる。 バロックの音楽は、器楽と劇音楽の二つの柱をもって生成発展する。
150年を単純に区切って、50年単位でバロック音楽を眺めると、最後の50年に、バッハとヘンデルによって、バロック音楽が大成したと考えられる。前期を基礎の時代、中期を形成の時代、後期を大成の時代として考えられる。
これについての細かなことは、学者に任せる。
兎に角、バロック期は、従来の技法、形式が完熟し、ポリフォニーの頂点が極められ、近代的和声法、楽曲構成法が成立する。また、ロココ様式や多感様式を経て、いずれ古典派といわれる時代に発展してゆくのである。
これから長いバロック期の音楽の話しになってゆくが、私は学者ではなく、またプロでもない素人であるから、独断と偏見で、バッサバッサと進んで行く。
ここで考えなければならないことは、時代という観念である。
その時代であるから、開花するもの、開花する人がいるということである。如何に才能があろうが、それを理解し、受け入れられる素地が無ければ、無いものと同じになる。芸術家がその死後に認められるという話しは、多々ある。
それを単純に不幸であるとは言えない。
ゴッホは、生前、他人に一枚も絵が売れなかった。それでも描き続けた。気が狂う程に描くことに没頭し、耳を切り、そして死んだ。
その死後に、大評価を受けた。芸術の普遍性を考える上で、重大な問題である。
芸術のためというより、生活のために多作したバッハの音楽が、当時も、そして今に至るまで評価を受けている。これは理屈ではなく、何か定説のようなものがあるのであろうか。これを解明する。つまり、運というものを解明すれば、ノーベル賞ものかもしれない。 運としか、今は言いようがない。
それぞれの作曲家の生涯に目を通しているが、彼らは単に、今を精一杯に生きたといえる。それが認められようが、認められなかろうが、である。
続けていた。私が言うところの成功である。
成功哲学なるものが、如何に愚かしいことであるか、よく解る。まして、すべてを金に換算するという成功法なるものが、成功とは、笑わせる。
心の欲するところに従って、やるべきことをやり続ける。ここに、本当の意味での成功がある。
ある琴の演奏家が、納得した一音を出すことが出来れば、死んでもいいと言った。納得した一音である。一音に命をかけることが出来るという驚嘆である。
一音にすべての音があると気づいた人は幸いである。
一音に「いのち」があると感得した人は幸いである。
彼らは、宇宙と一体になる術を得るであろう。