新沈黙を破る 68
木村天山
16世紀頃から始まった、各国の国王は、集権支配を進めた。王権神授説を唱えて、自らの絶対的支配権、つまり主権を神から与えられたものとして、絶対王制が敷かれる。
17世紀のバロック音楽の頂点は、フランスではルイ14世である。
宗教の混乱が、国王に有利に働いた。踊る王の映画の主人公は、ルイ14世である。
桁外れの贅沢三昧である。勿論、音楽もしかり。
この当時の王侯貴族は、富と権威を示すべく、競って巨大な宮殿を建てる。そのモデルとなったのは、ルイ14世のヴェルサイユ宮殿である。
そして、その行事もである。
毎日のように祝祭が行われた。花火大会、馬上試合、舞踏会、晩餐会、バレエ、オペラと、刹那的な富の浪費、それが王侯貴族の、絶対王権の証しとでもいうようにである。
一夜のうちに浪費される様々なもののために、数カ月、一年をかけて準備されるという仰天である。芸術家は総動員され、役人は計算を、委員会では、そのための協議が行われる。手職人の一隊、大工、画家、仕立て屋、庭師、料理人等、千人の労働力が、10万時間を働き、一夜のうちに消費される。
バロック音楽の最大の特徴は、王という一人のために使用される、王のためのBGMであった。という、仰天を言う。
その様を今、想像できるだろうか。
一人のためだけの音楽である。王が、女とベッドに入り、事が終わるまで、それなりの音楽を奏でる。想像出来るだろうか。
私のような貧乏人は、全く想像外である。信じられないの一言。
宮廷音楽とは、イギリスである。それについては、後で述べるが、このフランスの様は、ぶっ飛んでいる。音楽は、一つの道具として成り立っていたのであり、音楽史云々の中で語れるものではない。
こんな時代があったのであるという、驚きである。
だが、しかし未分明な時期は、どこの国も、地域も似たようなものだった。
近代主権国家とは、言語、歴史の同一性による共同体であり、絶対的な政治権力、つまり主権、領土の三つの組み合わせから成る。この考え方は、17世紀の西ヨーロッパの政治システムとして、世界へ伝播した。最初にイタリアが、それを成したが、30年戦争以降は、ヨーロッパの国際政治の国の単位とされる。
封建社会では、領主も国王も同じく、土地を仲立ちとする者であったが、大砲、鉄砲と戦争の形が一変すると、それを有する国王が、断然有利になり、国王を中心とする、主権国家が形成された。
そこから主権国民、国民国家に至る道が始まるが、道は遠い。
織田信長は、鉄砲伝来によって生まれた、近代を拓いた武士である。戦が信長によって一変したのだ。それは、時代の変化であり、明確に新旧が分かれたことをいう。当時、最強と言われた武田の騎馬軍団を、鉄砲で蹴散らせたのである。画期的なことだった。
それでは、明治維新である。
開国という変化を受け入れる、拒否するということから始まったが、世界は、開国を日本に求めた。一人だけ、オタクになっていられない状況が突き付けられた。
そろそろ広場に出なければならない。日本は、広場恐怖症を患っていたといってよい。四津国とは、外国であり、それは真ん中の国ではない。日本は神の国であり、真ん中の国であった。しかし、周囲の国からの強い求めがあった。
高杉晋作は、上海に行き、鎖国を支持していた考え方を改めた。このままでは、他国に日本は侵略されると。
上海、清国が、アヘン戦争によりイギリス支配下に入っていたのだ。これが日本にも起こると考えた高杉は、即座に改めたのである。
そして、坂本龍馬である。日本は広く世界に目覚めるべきだとの考えで行動を起こす。続々と、それに目覚める者がいる。
吉田松陰は、国禁を犯してもアメリカへ出ようとした。
世界の広さを知った時、子供は大人になる。
このままでは、世界に取り残される。この危機意識が、日本を目覚めさせた。
危機意識を持つ者は幸いである。
明治以降の日本が、如何にヨーロッパの文明、文化を学び取り入れたか。自国の文明や文化を捨てる程に、取り入れた。
それは奇跡に近い。
猿まねから始まったものを、ついには元からあったかの如くに、自分のものにするという芸当を成した。
そして、東の小さな島国が、大国、清を破り、そしてロシアを破った。
日清、日露戦争での三度目のドジョウを目指して、太平洋戦争である。見事に敗北し、何と、世界初の原爆を二つ投下されて、壊滅である。
最早、魂を抜かれた人間になったかと思いきや、再び甦り、経済大国になるという仰天である。
一体、日本とは何か。
日本人とは何か。
一度、とっくりと、考えてみたいテーマである。
この世界史で、日本は奇跡の国である。それを知るのは、今のところ、私しかいないようである。