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ある物語 

ある物語

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第一話

世界初の、散文小説、物語である、源氏物語は、まだその書き方が完成されていない時代のものである。
 
物語は、実は、どのように書き始めてもいい。更に、どのように展開させてもいい。私は、藤岡宣男の評伝を書くつもりはない。藤岡宣男を見つめて、人間が生きるということの、普遍性を尋ねてみたいと思うのだ。
 
私との出会いなどは、ゴミのようなもの。それより、藤岡宣男が生きたという事実に目を向けて、様々な視点から俯瞰し、その意味を探ることにする。
 
つまり、人間が生きるということは、何か。何なのか。
 
藤岡の、郷里は広島県福山市である。
私は、藤岡のリサイタルを開催した時に、一度だけ、出掛けている。
それ以外は、知らない。知る必要もない。
 
どこの町も、同じようなもの。あえて、訪ねる必要は無い。
 
藤岡は、母子の家庭である。
要するに、父親の存在しない、家庭生活を送った。
 
物心ついた時、藤岡は、六畳一間のアパートに暮らしていたという。
とても狭い狭い部屋だった。
その中で、母と子は、生きた。そして、生きるために、二人は、暮らしていた。
 
子供の頃は、家にいて遊ぶのが楽しかった。
一人で、遊ぶ。
一人の方が、楽しい。
 
幼稚園に行く頃、藤岡は幼稚園に預けられると、母を追いかけて泣いたという。
ママ何処が、口癖だったというから、普通の子である。
 
そして、いずれは大きな家に住みたいと考える。
住宅の広告をいつも見ていた。
そして、その住宅の会社に勝手に申し込んで、母を驚かせたという。
藤岡は、死ぬまで、大きな家を求めていた。いつか、母を大きな家に住まわせてあげたいが、口癖だった。
 
それを聞く度に、私は胸が締め付けられた。
切なくなるのだ。
 
私は、家、建物、土地などに、全く興味が無いから、藤岡の願いを想像するしかない。
六条一間のアパートで暮らした藤岡の、切なる願いを切ないと、聞いていたのだ。
 
母の自転車の後ろに乗り、銭湯に行く。
いつも、母と一緒。それが、藤岡の人間関係の原点である。
誰もがそうである。母との関係から、人間として成長する。何も、心理学の知識を持ち出さなくても、それは当たり前のことである。
 
だが、藤岡の場合は、人に甘えるということを、母を通して学んだ。だから、心を許した相手には、心から甘える。
心を許さない相手には、徹底的に演じ切る。
藤岡宣男という、イメージを演じ切って生きたのである。
 
その、イメージは、いつ頃からのものか。
 
兎に角、子供の頃から、几帳面で過ごした。
私の手元に、小学生の頃からのノートや手帳がある。更に、自由研究ノートの類である。夏休みや、冬休みのものは、驚くべき緻密さでノートを作っている。
 
一人で色々なことをするのが好きだった通り、一人で退屈しないタイプである。
だが、その藤岡も一人の女の子には、気を許していたと言う。
同じ幼稚園に通う、女の子とは、探偵ごっこをして遊んだと言う。
 
狭い近所の道々でも、子供には未知の空間である。
色々と、探検して、それを書き付けて遊んだ。
 
空き地では、何故ここは、空き地なのか、などと二人で詮索したという。
楽しい時間だった。
 
さて、母の料理は、不味いものだった。
だが、それが唯一の藤岡の食生活である。
母も、自分で不味いといって、食べていたというから、本当不味いものだったのだろう。
だから、近くのデパートに月に一度出掛けて、オムライスを食べるのが楽しみだった。
 
それも、一人分注文し、母は藤岡が余したものを食べたという。
 
貧しさ。
私も子供の頃は貧しかった。だから、貧しさを、何とも思わない。それに、子供は何でも楽しめる。
 
私も、毎日キャベツのお汁と、海苔の佃煮を食べて過ごした時期がある。だが、悲しいとも、切ないとも思わない。毎日が楽しいのである。子供の特権である。
それが、よかったと思える頃は、人生の半ばを過ぎている。
 
僕が食べ残すと、それを母が食べていたんだよ・・・
藤岡が、私に何度も教えてくれた。
 
その頃の、生活費は藤岡の父親である、おじちゃんからの仕送りだったという。
藤岡が大学生の頃まで、それが続く。
だが、大学に入学し藤岡が、ピアノを教え伴奏をして、金を稼ぐようになると、自然消滅したというか、自然消滅させたという。
 
おじちゃんが来ても、忙しいと言って、追い返していたよ・・・
藤岡が言う。
 
面倒になったのだとか。
もう、おじちゃんは、来なくてもいい・・・
母と、藤岡は、そう思った。
 
藤岡が、ピアノと出会ったのは、幼稚園の頃である。
女の子がピアノを弾くのを見て驚いた。どうして、あんな風に弾けるのか・・・
 
僕もピアノ習いたいと母に言ったら、母がピアノ教室に、すぐに連れて行った。
そして、藤岡が驚いたことは、ピアノが欲しいと言うと、母が現金でアップライトピアノを買ったことである。
 
凄いケチだった母が、思い切ったことをすると、子供ながら、驚いたと言う。
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