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第五話
子供の頃、一番嫌だったことは、母と親戚の家に遊びに行くことだったと、藤岡が言う。
母は、鈍感だから気がつかなかった。でも、僕は、僕たち親子が、どんな風に見られているのかを、知っていた。
ててなし子・・・
父親のいない、子ども・・・
藤岡の心は、深く傷ついたのである。
だから、早く帰りたくて、帰りたくて・・・
それでも、母は、出掛けたのである。
つまり、他の付き合いがなかったのである。
母には友達はいなかった。
だから、一人でいても平気なんだ・・・
藤岡は、そんな中で、より一層勉学に励んだ。
それしか、方法が無いのである。
もし、僕が勉強していなかったら、今頃、町工場で働いていたよ・・・
そういう、藤岡の昔話を、私は黙って聞いていた。
それに関して、何かを言うことも憚られた。
でも、親戚ではない、どこ何処のおじちゃんの家には、よく泊りに行ったと言う。
藤岡を可愛がってくれていた夫婦である。
のぶおは、温かいと、いつも、おじちゃんの布団で寝た。
そういうことが、あったことが、藤岡の救いである。
心を許せる大人は、誰か・・・
子供の心は、それを見抜くのである。
私は一度だけ、そのことで、藤岡が母を責めている現場にいたことがある。
どうして、僕の気持ちが解らなかったの・・・
でも、母は、答えなかった。
私は、もう止めなさいと、止めた。
その状況は、忘れられない。
藤岡に電話で呼び出されて、部屋に行った時である。
母と、言い争いになって、私を呼んだ。
だが、その頃から、藤岡の母が少し認知症に入っているとは、藤岡も私も、気づかないのである。
後で知ったが、いつもかかっていた医者が、カルテにすでに認知症と書いていたのである。
藤岡が、亡くなる三ヶ月ほど前に、私の部屋に母を連れてきたことがある。
今、病院に連れて行ったの・・・
母の体は、どう・・・
と、私に尋ねるので、私は、母の足を撫でた。
すると、痛いと言う。
摩って、痛いほど老化が進んでいた。
そして、認知症も、発症していたのである。
医者が、母を入院させますかと、聞くんだよ・・・
藤岡が言う。
それで・・・
そんな必要ないって、言った。
だが、藤岡も心配になったのか、計算帳を買ってきて、毎朝、母にそれをさせていた。
ボケたら、知らんよ・・・
ボケたら、困るけんの・・・
藤岡は、そう言って、毎朝、母の計算に付き合い、点数をつけていた。
だが、それは実に楽しそうだった。
今日は、何点だと、二人で笑った。
まだ、ボケとらんね・・・
と、母が言う。
だが、それは違った。
渡したお金を、数日で使い果たしてしまうことが、多々あった。
近くのコンビニに買い物に行き、すべて買って来てしまうのである。
それで、藤岡は、一週間に五千円だけ上げることにしたと言う。
木村さん、母は、ボケてるのかな・・・・
何度か、尋ねられたが、私も、明確に、そうだとは、言えない。
解らないのだ。
私が、藤岡の部屋に行くと、藤岡は寝ている。
その母と、話しをする。
必ず、紅茶を入れてくれる。
頼りにしてます、と、母が言う。
私の体調が悪いと、その母も心配したという。
僕たち親子は、木村さんがいなければ、部屋も借りられないんだよ・・・
だから、頼りはお金しか、ないんだよ・・・
母が死んだら、僕は、天涯孤独になる。
お墓は、どうしようか・・・
藤岡は、時々、私に言う。
ところが、藤岡が先に逝ってしまった。
後は、すべて私に任されたのである。
今、これを書きつつ、その縁を考える。
藤岡は、すべてを私に任せて、旅立ったのである。
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