<<TOP

ある物語 7 

ある物語

1 2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 32
33 34 35 36 37 38
39 40 41 42 43 44
45 46 47 48 49 50
51 52  53  54 55 56
57 58 59 60 61 62 63
64 65 66 67 68

論文集

お問い合わせ

第七話
運命の出会い・・・
 
その頃、私は占い師である。
また、文化教室を主宰し、華道、茶道、舞踊、着付け・・・
その他、諸々を教えていた。
 
華道、茶道は、巨大流派に所属していた。
弟子は、百人以上いた。いつも、その程度である。大半は、結婚すると休むことになるので、弟子の数としては多い方である。
 
その巨大流派にも、飽きてしまった。つまり、家元制というものである。
 
簡単に言うと、すべての流派から離脱して家元を名乗った。
だが、木村天山とは占い師の名前である。
 
それが、一般的になったので木村天山を名乗り続けた。
 
勿論、はじめから占い師をやりたくて、やったわけではない。
占い師は、詐欺師に似たイメージであった。
 
何故、そんなことになったのか・・・
カウンセリングの勉強をしていたからだ。
知事認可の専門の講座を受けていた。
 
それが終わる頃である。
すすきので雑誌編集をしている社長に、ちょっと頼みがあると言われ、実は新しい居酒屋で若い子たちの、悩み相談に乗って欲しいという、企画だと言われた。
カウンセラーの勉強をしているから・・・とのこと。
 
二時間で、五千円。
あら、いいアルバイトだ・・・
と、軽く受けてしまった。
そして、出掛けてみると、示された場所に、手相、人相と書かれた紙が。
あれっ、話しが違うよ・・・
 
そこで、店長から済みません、でも、もう手遅れなんです。誰もいなければ困る、と言われて、私も困った。
 
今回だけ、つまり二日間だけということで請け負ってしまったのが、はじまり。
 
若い女の子が、手を出す、私が、なに聞きたいの・・・
あのー彼氏が・・・云々、かんぬんで・・・
ふーん
どうですか、続きますか・・・
そうだね・・・
と、他愛無い会話が、何と評判を呼び・・・
ああ、運命の出会いである。
 
半年続いたから、驚きである。
しかし、手相と紙が貼ってあるので、早速、手相の本を読み漁る。
本を読むのは、何の苦痛もない。
 
毎日、小難しい宗教の本ばかりを読んでいたのである。
 
次から次と、そのバイトの話しが続いた。
それで、木村天山の出来上がりである。
 
極めつけが、その頃、友人三人と企画事務所をはじめていた。
そこで、テレビ局に、企画を出す仕事を一年間に渡ってしたことである。
企画に詰まり、子どもの手相の企画を私が出した。
すると、プロデューサーが乗ってきた。
企画成立でよかったと思ったが、手相を見る占い師は、どうした、である。
 
あらっっっ
そ、それは、それは私がやります。
 
向こうも、出来るのと聞くので、ええ、すすきのでやっていましたと答えて、決まりである。
 
半年の契約が、一年半に渡って続けた。
子どもの手相を見る人である。
 
それから、私の運命と運勢を学ぶ日々が続く。
不思議といえば不思議で、猛烈に独学した。
 
更に、霊的研究として、水子の研究である。
それが元で、またテレビに出ることになる。
霊媒者に入る霊と対話するという。
 
心霊研究家ともなった。
 
色々書けばあるが、すべて省略する。
 
藤岡は、他の人と違い、決して私に占いを求めなかった。それだから、私も藤岡が遊びに行きたいと言っても、部屋に入れた。
その頃、私の部屋には、人はいれなかった。
 
兎に角、見せられるものではない部屋である。
本だらけ・・・
藤岡が来た時の、最初の言葉は、木村さんは本を卸しているの・・・である。
 
だが、その前に、藤岡と逢ったのはホテルのロビーである。
 
そのカラオケの店で、藤岡が流行の、もののけ姫を歌ったのを聴いて、私は上手いねと言うと、藤岡が近づいて来て、カウンターテナーって知ってますか、と聞く。
私は、ああ・・・と言ったものの、解らない。
 
実は、僕はカウンターテナーを目指していて・・・
それが、また、はじまりなのであった。
 
それが、どんなものなのかを、聴くべく、ホテルで食事をすることになったのである。
次の日曜日ということで。
 
本当のはじまりは、それだった。
昼前の、ホテルのロビーで、私は藤岡が歌ったというMDを聴いた。
驚いた。
凄い。素晴らしい。
これ、アンタの声・・・
そうです・・・
あらっ・・・
暫し、絶句した。
 
 
<< 1 2 3 4 5 6 7 >>