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ある物語 12 

ある物語

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論文集

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第十二話

鎌倉生活が始まった。
最初は何を見ても新しい。
 
朝から原稿を書き、藤岡がやってくるのが昼過ぎから三時の間である。
藤岡は歌の練習をする。
その間、私は荷物の片付けをする。
 
昼ごはんと夕飯は、一緒に食べる。
それが、いつの間にか当たり前になった。
 
ただ、私は微妙な不調を感じていた。
漠然とした不安感である。
それが、パニック障害の半ば頃であるとは知らない。
 
藤岡は週に三回、レッスンに通った。
鎌倉から品川に出て、山手線に乗り、また、乗り換えて先生のレッスン場に行く。それが、相当なストレスになるということも知らなかった。
一時間半以上をかけて、向かうのである。
 
何の心配もないはずが、何か心配なことがあるような気分で過ごす日々。
藤岡には私が、私には藤岡しかいない・・・
それを、徐々に実感してゆく。
 
出掛ける所が無いのである。
何処かへ行く、ということは、自分が選ばなければならない。
そして、出掛ける度に不安感が襲うようになる。
 
夏になり、藤岡が浜辺に誘うが、出掛けたくないのである。
部屋から出るのが不安なのである。
 
我慢して、藤岡と共に材木座ビーチまで歩く。
藤岡は日焼けするのが、楽しみだと言う。
しかし私は、何か不安なのである。
 
それでも、時には弁当や、サンドイッチなどを作り、二人で海岸に出た。
部屋から歩くと、結構な距離であるが、まだ見慣れぬ街だから楽しめた。
 
私は、夕方になると、特に不調感を覚えた。そして、夕方になるとビールを飲むようになる。
本来、酒を飲むが、最初の頃は、それほど必要としなかった。
ビールは嫌いだが、ビールで酔うことで、不調から少し逃れる。
 
夕食を作っていると、藤岡の歌声が聞える。
そのうちに、何故、私は、こんなことをしているのか・・・
札幌の頃が懐かしく、ホームシックになるのである。
 
藤岡は、その頃はまだ元気だった。
自分もよく解らない症状を、藤岡が理解するはずもない。
 
その年の秋の日、藤岡が日曜日だから、藤沢に映画を見に行こうと言う。
それは、私には、とても気の重いことだったが、藤岡の誘いが強く出掛けることにした。
 
そして、映画を見た。
その途中から、次第に具合が悪くなるのである。
いや、実は電車の中からである。
不安感・・・
 
映画を終わり、藤岡が木村さんどうしたの、楽しくないのと、問う。応えることが出来ない。
いや、そんなことはないよ・・・
とは、言うものの、限界なのである。
 
いいよ、木村さん先に帰って・・・
いや、折角来たから何か食べて帰ろうと、やっとの如く言う。
 
レストランに入り、食事をして、漸く電車に乗った。
そして、私たちは部屋に戻り、藤岡に言った。
 
宣男君・・・
私、おかしくない・・・
おかしいでしょう・・・
 
藤岡は、ウーンと言い、もし、冬までおかしいと思ったら病院に行くといいと、言う。
矢張り、藤岡も、おかしいと思っている。
そこで、私は明日、病院に行くことにした。
私の決断は早い。
 
具合が悪いのが、札幌から離れたせいなのか・・・
私は、時々、矢張り札幌の方が合うのか・・・
と、藤岡に言うと、藤岡の機嫌が悪くなった。
 
その頃から、地獄の生活に入っていたのだ。
 
翌日、電話帳で調べて精神科を捜す。
これも、運である。
鎌倉では長く診療してきたと思える、診療所を受診することにした。
その日は土曜日で、院長ではなく土曜担当の医師だったことも誤りだった。
 
診断の結果は、睡眠障害である。
だが、違う。それとは、違う。
しかし、患者であるから、それに従う。
 
睡眠導入剤と、軽い睡眠薬、夕方に飲む安定剤を処方された。
 
それから、一年半、私は無駄な治療を受けていたのである。
更に、最悪なのは、藤岡もストレスから精神的不調を訴えるようになる。
 
長い時間をかけて行くレッスン場である。
それが、週に五回ほどになっていた。
先生が、来てもいいと言うからとのことだった。
 
だが、30分一万円のレッスンである。
一時間で、一万円・・・
確かに、藤岡は特別扱いされたが、交通費と合わせて莫大な金額になるのだ。
 
そんな中で、藤岡は来年から、色々なところのオーデションを受けてみると言う。
それが、どんなことか解らないが、兎も角、何か新しいことに挑戦するということが、救いになった。
 
誰かに、聴いてもらわないと駄目だというのである。
私も、その通りだと思った。
つまり、レッスンをしていても、要を得ないということに、藤岡も気付き始めたのだ。
 

 
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