第十三話
物語や小説には、色々な書き方がある。
一人称、三人称・・・
源氏物語は一人称も三人称も、何から何まで入っていて、突然三人称から一人称に変化したりと、ごちゃごちゃ、である。
ある物語は、私の主観的な観方で書いている。
藤岡の心境など書けるはずも無い。
ただ、その時に言った言葉だけである。
その言葉から察するより仕方が無いのである。
藤岡の心境を書けば、それはウソになるから、書く必要がないのである。
私たちは、よく色々な事を話し合ったが、それも藤岡の心境を綴るものではない。単に、藤岡が言った言葉である。
鎌倉に来て翌月から私は札幌のお弟子さんたちに向けて、通信を出していたので、毎日、何かを書いていた。
勿論、仕事の原稿も。
だが、一番書きたかった小説には手が出なかった。
長い間、小説を書いていたが、最後の小説の試みは歴史小説だった。
札幌で書いたものは、天草四郎、小野妹子、命凛々という幕末物である。
鎌倉では、唯一、小野妹子の校正を続けただけである。
ただ、それらは長編だった。
短編小説は気の向くままに多数書いた覚えがある。
しかし、忘れた。そして捨てた。
横浜に出て、漸く三蔵法師玄奘を書く事が出来た。
ただし、出版するつもりはなかった。
暇つぶしである。
ホームページに載せてあるが、実は一番肝心の玄奘の思想を書いていない。それを書き続けなければ、終わらないと思った。
別の機会に書くつもりである。
例えば、その思想は神仏は妄想である、というエッセイで取り上げたいと思う。
私の原稿書きは、藤岡が出かけている間だ。
藤岡が戻る前には止めていた。
何せ、私の唯一の人である。
鎌倉では藤岡しかいないのである。
だから昼間には、よく一人で散歩をした。
四、五時間、歩くこともあった。
だが、その散歩も、ままならなくなる。
突然、立ち止まり、その孤独に佇むようになったのである。
札幌のことを思い出す。
その話は、藤岡にはしなかった。
藤岡は、私が札幌時代の話をするのが嫌で、その話しを始めると耳を傾けなかった。
その藤岡の孤独感も理解することができないほど私は弱っていたと思う。
その年の秋から、私は日記を付け始めた。
日記を書くなら、小説を書くと思っていた私は、過去の自分を振り返って、鎌倉にまで出ることになった原因を捜したのである。
そして、この病気のことである。
思い起こせば、それは、二十歳の頃までに遡り、ついには生来のものという大元に辿り着いた。
だが、それを知るまで本当に苦しい日々を過ごした。
二週間に一度、薬を取りに行く。
医師と話しても埒が開かないと思った。
だからある時、私は医師に言う。
電車に乗る時に、非常にストレスを感じます。しかし医師は、パニック障害を知らないと思えた。
その時に、電車に乗る前に飲んでくださいと言われ、安定剤を処方されたのである。
確かに安定剤は、とても楽に電車に乗ることが出来た。しかし根本的治療ではなかった。
そのうちに藤岡も、次第に不安定な精神になってゆく。
藤岡はヤマハから頼まれてアルバイトに出ていた。
それがまた、電車に長く乗るものであった。
レッスンと、バイトで、長時間電車に乗るという。
ある秋の日、藤岡と自然に話す状態になった。というより、私が聞き役である。
その時、私は、おかしいと感じた。
三時間ほど藤岡が同じ話しを繰り返すのである。
そして、電車に乗ることが、とても大変で苦しいということを。
非常なストレスがあったと思う。
私は、藤岡に近づいて言った。
宣男君、私はね・・・
少し、おかしいと思うよ。三時間も同じ話しを繰り返しているよ。
それはノイローゼの症状である。
多くの人の相談に乗っていた私は、心理学のカウンセラーの勉強もあり、幾人もの精神疾患の人の相談を受けて、その度に精神科医を紹介していた。
その相談者と同じように感じたのだ。
そして、今のうちに精神科に行って楽にした方がいいと言った。
だが藤岡は、それを聞き入れなかった。
僕は精神科に行くタイプではないと言うのだ。
それに、母に知れたら心配すると。
その日は、それ以上、勧めなかった。
だが、日増しに藤岡のストレスが見えた。
それは兎に角、体を横にする時間が多くなったからだ。疲れ過ぎている。
矢張りと思い直して、もう一度、藤岡に病院行きを勧めた。
私の行っている診療所に行こう。土曜日は別の先生だけど、他の日は院長先生だから、と。
藤岡も、堪りかねた様子で静かに頷いた。
翌日、私は藤岡を連れて病院に出掛けた。
そして、待った。
診察の結果は、抑うつ状態である。
それは、正しかったと思うが、薬が合わなかった。
処方された薬は抗うつ剤で、昔のタイプのもの。まだ、SSRIが出ていない時である。
副作用が強く尿が出にくくなる。
一週間後あたりから、副作用が利いてきた。
木村さん、おしっこがしたいのに、出ないよ・・・
それがまた、大きなストレスになったのである。