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ある物語 14 

ある物語

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第十四話

鎌倉に移転した年の秋から冬にかけて・・・
それは、初めての体験だった。
 
雪が降り始めると冬という感覚を持っていたが、鎌倉では、その境界が曖昧であり、秋といっても冬といっても、たいして変わらない気分なのである。
 
その頃、大阪に住んでいた、昔のお弟子さんである、まりちゃんが、鎌倉に移転するという知らせを受けた。
そして、住む部屋を私に捜して欲しいと言う。
年明け、三月の末である。
 
それが、私と藤岡の大きな癒しになったのである。
 
まりちゃんは、札幌で結婚し、旦那さんと一緒に来る。
大阪の会社を辞めて、心機一転するというのだ。
 
それから、私は不動産屋を訪ねて、まりちゃんの部屋を探すことになった。
結局、私がよしとした部屋に決まる。
 
それは、私に少しの希望を与えた。
知り合いが出来る。
 
それを、藤岡に話した。
藤岡は、まりちゃんを知らない。
だが、私が、どんな性格かを話すと興味を持った。
実に楽しい気さくな性格なのである。
 
鎌倉で迎えたクリスマスと正月。
私も藤岡も初めてである。
 
クリスマスは何を食べたいと藤岡に訊くと、何でも言いとの返事。
その頃の私は、買い物に行くのが最大の一日の予定である。
 
あまり好きではないチキンを買い、なんとなく、それらしき準備をした。
プレゼントを買うために、横浜に出たことは書いた通りである。
 
とても私は具合が悪かった。
電車に乗ることでエネルギーを使い果たしたのである。
 
だから横浜から戻り、すぐに部屋に戻らずに駅近くの喫茶店に立ち寄った。
甘いものが好きな藤岡は、ケーキセットを注文し、私はコーヒーを飲んだ。
その時、私は藤岡に嫌味を言ったようである。
 
部屋に戻って、藤岡が折角の買い物なのに・・・
と、不満を言う。だが私は自分の具合の悪いことを言わなかった。
 
パニック障害は電車に乗ることが、どれほどの苦痛かを話すことはなかった。
 
そして、大晦日である。
昼間、藤岡は私の部屋にいて、夜はお母さんと過ごしなさいと言い、藤岡を帰した。
とても寂しい思いだった。
 
部屋には、多くの人たちからの贈り物が沢山頂いていたが食べる気も無かった。
ただ寂しいのである。
 
札幌から移転したことを後悔した。
だが、藤岡には一言も、それは言わなかった。
ホームシックのようなものだった。
 
元旦は、夕方、藤岡がやってきた。
そして雑煮を二人で食べた。
その時のことは、あまり覚えていない。
 
ただ、大晦日の深夜から、私の部屋の付近は騒がしく、新年の神社参拝する人たちが多くて驚いた。
鶴岡八幡宮だけではなく、鎌倉には多くの神社があるのだ。
その騒がしさは、三日まで続いた。
 
七日を過ぎると、普段の生活に戻る。
藤岡は、レッスンとアルバイトの生活が始まる。
 
そして、苦難の二年目が、始まった。
 
私の病状は悪化した。
一々思い出せないが、時々、東京に出掛ける用ができた。
その際に、電車に乗るのが苦痛で、更にパニック障害を発症した。
 
東京、青山にて私の茶の湯の教室をという依頼を受けて話しをするために電車に乗るのが、苦痛というより苦難で、必死の覚悟で向かったことを思い出す。
だが、藤岡は喜んだ。私が東京で仕事をするということにである。
 
その教室を開催する方は、芸能人他、有名人から支持を得ている方だった。
お名前は書けないが、それは私の僥倖だった。
だが、出掛けるだけで私は精一杯の状態である。
 
色々な芸能人というか、著名人に逢う事が出来たが、それだけで、その後が続かないのである。
 
そして、それは私にとって幸いなことだった。
出掛けることが、無理だった。
 
藤岡は、その度に喜んだが、私の心境は苦痛のなにものでもなかった。
そして、部屋から出ることが不安なのである。
 
今、思えば、病の只中にいたのである。
 
病なのである。
それは脳の障害なのである。
脳内物質が通常ではない。
 
つまり、脳内のセロトニンが普通に働かない状態なのである。
それは、生来のもの。
 
そして、藤岡も、それに陥ったのである。
抑うつを、基底にしたパニックである。
 
ちなみに、天才と呼ばれる人に、多いと聞いた。
勿論、私は天才ではない。
だが、藤岡は天才だった。
 
人生には、そういう時期がある。
 
 

 
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