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ある物語 19 

ある物語

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論文集

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第十九話

思い出したことがある。
鎌倉に来た年の夏に、藤岡が韓国で行われた、国際声楽セミナーに参加したことである。
 
遥かに遠い思い出で、記憶を辿り思い出す。
その際に、藤岡が師事している先生も講師であり、その縁から参加することになったのである。
 
その費用は、高いものとの思いがある。
随分と声楽には金がかかるものだ、程度に思った。
 
鎌倉に来てから、すぐのことである。
およそ10日間の日程だった。
ということは、その間、私は一人である。
 
藤岡がいない間、私は何をしたらいいのか・・・
という、不安にかられた。
次第にパニック障害が、顕著に出始めた頃である。
 
毎日、原稿を書き、買い物に行き、郵便局に出かける程度の一日である。
藤岡の存在が、私の心の支えだった。
そして、藤岡のために食事を用意したりと・・・
 
そして、その頃から、肩が異常に凝りはじめる。
更に、背中全体に、べっとりとした重油をつけられたような感覚。重たいのである。
 
これが、抑うつの一つの症状だとは、後で知る。
つまり、パニック障害と共に、抑うつも出始めたのである。
うつが根底にあるという、パニック障害は、坑うつ剤が利くということから解ったことである。
 
だが、私は自己分析をして、それが生来のものであることを確認した。
それは、子どもの頃からの、ものである。
 
虚弱体質と言われたが、違う。
抑うつ体質なのである。
 
突然、具合が悪くなることが多々あった。
それに気付いたのが、小学四年生の時である。
 
更に、人も見ていると思っていたものが、自分にだけしか見えていないと知ったのも、その頃である。
私は人のオーラを見ていたのである。
それは、誰もが体全体を覆うものだった。
色は見えない。ただ、光として意識していた。
 
だが、不思議なもので、それが当たり前になると意識しなくなる。
そうして、意識しなくなった。
 
そういえば、藤岡にもオーラの見方を教えたことがある。
薄暗がりの中だと見えやすい。
 
明かりを最小限にして、藤岡の手先から出るオーラを見せた。
そして、藤岡も次第に、それが当たり前になっていった。
 
藤岡が韓国に出掛けている間、私は兎に角、散歩に出掛けて、ぐたぐたになって疲れた。疲れることで、不安を鎮めたのである。
 
そして、銭湯にも行き始めた。
自転車で銭湯に行く。
 
それから、藤岡も誘い行くようになるが、藤岡は銭湯があまり好きではなかったようで、行くことが少なくなった。
 
藤岡が留守の間に、鎌倉の花火大会が行われた。
私は初めて材木座海岸に出て、それを見たが余りの人の多さに二度と、それ以後は見る事がなかった。
 
要するに、藤岡がいない間、私は出来るだけ気を紛らわすことに専念していた。
 
その後も、藤岡はローマに二度出掛けている。
その一つは、矢張り師事する先生のグループのセミナーと、もう一つは、合唱グループに誘われて出掛けたものだった。
 
それが、いつだったのかを思い出して、また書くことにする。
 
ただ、その際にも私は、費用のことが心配だった。
最後のヨーロッパ行きの時は、藤岡も預金があまり無くなっていた頃である。
 
こんなことを、続けていても、どうしようもないと考え始めた。
 
収入を得なければ、いつか倒れる。
無理だ。
どうしたら、声楽の世界は、収入が得られるのか・・・
私も解らない世界である。
 
だが、最初の年は、まだ余裕があった。
 
韓国から、時に電話があった。
その声を聞いてホッとする。
元気であれば、言うことも無いと、藤岡の話しを聞いていたことを思い出す。
 
その頃、藤岡のお母さんは、元気であまり心配することはなかった。
時々、スーパーで顔を見合わせることがあったが、笑顔でとても元気だった。
 
お母さんは、一人でいても全然平気な人と聞いていたので、心配しなかった。
それより、私の不安感が心配である。
意味の無い不安感であり焦燥感である。
 
夏の暑い日、鎌倉の町並みを歩いていて、時々立ち止まることがあった。
不安と恐れ、そして孤独感である。
 
孤独感に佇むことがあるとは、その時まで考えてもみないことだった。
それゆえ、兎に角歩いた。
鎌倉の海岸、そして、山・・・
逗子の手前まで、歩くこともあった。
 
記憶は、思い出そうとして、思い出すものではないようだ。突然、閃きのように思い出す。

 
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