<<TOP

ある物語 30 

ある物語

1 2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 32
33 34 35 36 37 38
39 40 41 42 43 44
45 46 47 48 49 50
51 52  53  54 55 56
57 58 59 60 61 62 63
64 65 66 67 68

論文集

お問い合わせ

<< ...19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 >>
第三〇話


鎌倉、二回目の、リサイタル当日・・・
私たちは、大喧嘩をした。
 
三時に、藤岡が横浜から戻った。
ある仕事からである。
 
そして、私に、もう嫌だ・・・
鎌倉にいるのが嫌だ・・・
と、言う。
 
電車に乗るのは、もう沢山だ・・・
 
言い争いをしているうちに、私は決心した。
宣男君、それじゃあ、横浜に引っ越そう・・・
 
一緒に、部屋を探しに行って、引っ越そう・・・
 
私も、限界だった。
よくやく、二人は静まった。
 
そして、楽譜屋さんに向かうことにした。
 
舞台造りがはじまった。
皆さんが手伝い、ピアノの位置、椅子を並べる。
そのうちに、伴奏ピアニストが来た。
 
少しの合わせをする。
 
木村さん、どう・・・
藤岡が聞く。
いいよ・・・響くね・・・
 
私は、受付の、準備である。
当日、お金を貰うのである。
 
六時半の開場になると、続々とお客さんが入る。
予約されていた、皆さんである。
 
そして、まりちゃん夫婦も、到着した。
 
椅子は、すべて埋まった。
仮の楽屋で、藤岡と伴奏ピアニストが、待機している。
 
開演15分前に、私が挨拶した。
 
折角、予約をされた皆様のために、急遽リサイタルを開催することにしました。
ありがとうございます。ちなみに、今、テレビに流れている、・・・コマーシャルの歌を藤岡が歌っています・・・
そんな内容だった。
 
そして、開演である。
あとは、藤岡に任せる。
 
問題なくスムーズに進行した。
私は、開催して、よかったと思った。
 
終演後、藤岡と私がお客さんを見送る。
素晴らしい・・・という声を頂いた。
 
そして、後片付けである。
まりちゃん夫婦か手伝ってくれたので、早々に終わる。
 
まりちゃんは、先生が挨拶するものも、いいですね・・
と、言った。
 
挨拶で、藤岡がコマーシャルソングを歌っていることを、話した。
すると、楽譜屋さんの店員が、詳しく尋ねてきた。
そこには、藤岡の名前が出でいないので、私は詳しく説明した。
 
部屋に戻り、藤岡に売り上げを見せた。
藤岡にとっては、初めての体験だった。
 
僕の歌・・・お金になったね・・・
 
私は、
こんなもんじゃあ、ないよ・・・
と、言った。それは、本心である。
 
藤岡の歌声は、こんなものではないと、確信していた。
 
辛い日々の、終わり・・・
嫌、辛い日々の、はじまり・・・
 
それから、藤岡は、五年間を駆け抜けるのである。
 
私は、横浜に移転することと、藤岡のリサイタルの計画を、同時にはじめることになった。
四月に、横浜に移転する・・・
 
そして、藤岡と、何度か部屋探しで横浜に出掛ける事になる。
 
あの、寒い冬の日々を、忘れることは無い。
 
東京、札幌、新潟公演。
そのチラシの、原案は、藤岡が作ることになった。
 
そして、私は、印刷屋を探すことになる。
 
まだ、私のパニック障害は、続いていた。
今、振り返ると、どうして、あんなことが出来たのか、不思議である。
 
札幌にも、新潟にも、出掛けたのである。
藤岡の、リサイタルを開催するために・・・
 
更に、東京公演のホールを探す。
全く素人の私が、ホールの情報を得るために手探りで・・・
今では、信じられないのである。
 
何故、あんなエネルギーがあったのか・・・
何故、知らないのに、出来たのか・・・
 
ホールに電話をして、問い合わせ、その色々なことを、何故クリアできたのか・・
今は、解らない。
 
だから、なお、不思議である。


<< ...19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 >>