<<TOP

ある物語 39 

ある物語

1 2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 32
33 34 35 36 37 38
39 40 41 42 43 44
45 46 47 48 49 50
51 52  53  54 55 56
57 58 59 60 61 62 63
64 65 66 67 68

論文集

お問い合わせ

<< ...29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 >>
第三九話


私の生活は、単調だった。
忙しい事の好きな私にとっては、苦痛なことである。
だが、それも致し方ない。
 
藤岡のコンサートを企画するということだけで、日を送ることになる。
そして、藤岡の食事の支度である。
 
藤岡は、一週間に、二度三度と、鎌倉に出掛けて母親に会いに、また、衣類などを持って来た。
母親には、来年、部屋を探して、横浜に移転すると言っていた。
藤岡の母も、それで納得していた。
 
私は、薬のせいか、昼間によく寝るようになっていた。
一時間、二時間と・・・
だが、それはとても嫌な気分だった。人が働いている間、寝ているということ自体である。
 
勿論、薬のせいだけではなく、疲れのせいでもあったと、今は思う。
 
コンサートホールに電話を掛けて、内容を確かめるのだが・・・
相手が何を言っているのか、解らない事があった。
ピアノの種類も知らないのである。
 
ピアノの調律・・・
どういうこと・・・
だから、藤岡が部屋に戻ると、その一つ一つを尋ねる。
更に、難しいことが覚えられないのである。
 
だが、この性格であるから、流していた。そのうちに覚えるだろう・・・
 
何せ、私は知り合いのツテを頼み、どんどんとコンサートを企画していた。
新潟の次は、その同じ月に、神戸の知り合いに頼み、コンサートを開催する。
その知り合いの、店舗の下に小さなホールに出来る場所があるということで、そこですることにした。
しかし、伴奏が無い。
それでは、アカペラで・・・
 
実に、無謀な企画である。
しかし、藤岡に話すと、いいよ、と軽く受けてくれる。
 
神戸で、アカペラコンサートである。
更に、東京で、もう一度。
今度は、少し有名な場所で・・・
 
それは、リュート奏者がいたので、すぐに決った。
リュートソングである。
古楽のコンサート。
 
そして、広告告知である。
音楽の友、という月刊誌を買ってきて、早速、広告を作る。
何のことは無いと、思った。
 
更に、チラシである。
それは、いつも藤岡に叱られた。
誤字、脱字、更には、間違いである。
 
何せ、素人なのだから、専門的な言葉や、題名、作曲者、作詞等々、間違うのである。
 
知らない者の、強みであった。
今思えば、ぞっとする。
 
そうして、新潟公演の前に、神戸に出掛けて、コンサートの打ち合わせをするという・・・
 
パニック障害は、何処へいった・・・という感じである。
勿論、薬を飲みつつ・・・
 
更に、私が考えたことは、横浜に出たのであるから、横浜でリサイタルを開催しなければならないと、思うのである。
 
翌年・・・
さて、会場は・・・
みなとみらいに、ホールがある。
コンサート情報を見て、解るのである。
早速、電話をしてホールの案内を郵送してもらう。
 
更に、ホールの予約は、抽選であり、何時何時の何時から・・・とのこと。
兎に角、出掛けて、抽選に参加する。
外れ・・・
すると、次は、空いた日のホールを予約するために、出掛ける。
 
そうして、どんどんと、予定を入れる。
もう、一年先、それ以上のことを考えている。
 
そんな私を、藤岡は、落ち着いて見ていた。
藤岡も、私に任せていたのだ。
 
相変わらず、藤岡は真面目に仕事に出掛けていた。
そして、成功哲学云々を話し始めたのである。
 
ああ、昔、はやっていたよ・・・
いや、今もそれが必要なんだ・・・
そう、でも、昔その講座を売り歩いていた人たちは、今は、何をしているのか・・・
 
そんな、やり取りをしていた。
 
成功哲学より何より、私には、行動するしかないのであると、思っていたのである。
 
今思えば、特攻攻撃、斬り込み隊のような、行動である。
 
兎に角、行ってしまえ・・・
やってしまえ・・・
 
神戸の知り合いは、昔、私のお客さんだった。
だから、私は先生と呼ばれる。
それが、また、強みだった。
 
こちらが、主導権を持って、話し合いである。
その人は、神戸の富裕層たちとの付き合いが多く、客の多くも、そういう人たちだった。
それさえも、私は、コンサート当日に気づくのである。


<< ...29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 >>