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ある物語 44 

ある物語

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第四四話


一年先を考えるようになった生活・・・
しかし、日々の生活は、特に変化無し。
 
時々、藤岡と外で食事をした。
皆、居酒屋である。
だが藤岡は、居酒屋では酒を飲まない。ただ、食べるだけ。
 
これでは、私も面白くない。
そこで、どこかに飲みに行くことにした。
だが、飲み屋とは、女が相手する店・・・という、イメージ。
 
私は、札幌の頃、よくゲイバーに出掛けていた。
何せ静かである。
そこで、時々、ゲイなのと尋ねられるので、そうですと答えていた。
 
ゲイバーほど、安心して飲める店を知らない。
料金も安い。
 
ゲイであろうが、ゲイでなかろうが、関係ない。
ゲイでなければ、入れないという店は無い。
用は、男であれば入れる。
 
私は、横浜、野毛に出掛けてみた。
そして、会員制と名札のある店を捜した。
それは、ゲイバーである。
しかし、カラオケのある店は、すぐに出た。
 
ようやく、カウンターだけの店を見つけた。
そこに通うことになる。
 
ゲイを恐れる男は、潜在的にゲイになる要素があると、知っている。
更に、ゲイという人種がいると、信じている者たち。
ゲイは、普通の男であるから、恐れるものではない。
 
更に、友人になると、色々と面倒をみてくれる。
 
だいたい、私たちは、早めに行くので客が少ない時間帯である。
満席になる頃は、店を出ている。
 
そこで出会った男たちが、コンサートに来るようにもなった。
 
今、私は、全く外で酒を飲まない。
飲みたくない。
だから、一人で飲む。
 
藤岡が酒に強いと知った。
強い酒を、普通に飲むのである。
ロックで・・・
 
えーーーーと、驚いた。
逆に私は、すぐに酔う。
だから、大量に飲めない。
 
そして、藤岡が行き着いた酒が、紹興酒だった。
中華料理の店で、藤岡はレモン入りの紹興酒を飲むようになった。
 
私は水割りで飲む。そして私が酔うのである。
 
私は、全国を回って仕事をしていた時に、必ず新宿に泊まった。
二丁目に近い場所でも仕事をしていたので、新宿二丁目を通った。
 
そこで、ママさんのいる、小さなスナックに通った。
ただ、カラオケがあったが、早い時間だと誰もいないのでママさんと、話をした。
ゲイの町になる前から、ママさんは店をやっていたので、その歴史を聞いて大変に勉強になったものだった。
 
だから、横浜から東京に出ると、藤岡と二丁目に出た。
だが、次第に、喧しい店が多くなっていった。
若者の町、若者のゲイの町になりつつあった。
 
更に私は、コンサートを始めてから、部屋で音楽を聴くこともなくなった。
兎に角、喧しいのである。
 
喧しいのは嫌いである。
だから、絶対、女のいる店には行けないのだ。
歌舞伎町などは素通りした。
 
藤岡は、部屋では酒を飲まないから、飲むと言ったら出掛けるしかない。
 
ただ、一緒に出掛けても、私の声が大きくて、よく藤岡に注意されたものだ。
 
そういえば、実家の母と電話で話し終わると、藤岡が今の誰と尋ねるので、母だと言うと、喧嘩してたの、である。
それ程、声が大きいのである。
 
兎に角、静かな店を捜して出掛けた。
 
そして、ゲイの店で、かなり有用な人にも出会った。
ゲイバーは秘密主義である。
有名人も多い。
 
だが、そこでは普通の人として会う。
 
それも、楽しかった。
そのうちに、今でも藤岡の共通の友人である人が出来た。
 
だが、藤岡亡き後、何度か出掛けたが、思い出が溢れて、もう出掛けなくなった。
 
人間関係が広がるのは、楽しい。
そして、散り散りになることもある。
逢うのは、別れの始めである。
 
藤岡とは、私の部屋で一年暮らした。
その母を鎌倉から呼ぶのは、一年後である。
 
だから、私は毎日、藤岡の歌声を聴いていたのである。
廊下に面した四畳半の部屋が、藤岡の練習室だった。
夜の十時までは、音出し可能な部屋であるから、丁度良かった。
藤岡の母が横浜に来てからも、藤岡は私の部屋で練習した。
 


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