<<TOP

ある物語 47 

ある物語

1 2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 32
33 34 35 36 37 38
39 40 41 42 43 44
45 46 47 48 49 50
51 52  53  54 55 56
57 58 59 60 61 62 63
64 65 66 67 68

論文集

お問い合わせ

<< ...29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 >>
第四七話


活動をするということは、人に出会うということである。
次第に、多くの人に出会うことになる。
 
まず最初は、ホールの人である。
ホールを貸すという仕事をしている人たち。
 
そこで、色々と仕組みが解るのである。
例えば、民間のホールでは、こちらがお客さんになる。だから問題ないが、これが公の施設になると、その対応が違う。
 
何度も、私は、怒った。
横浜市、東京都・・・
その区民センターなどのホールは、あからさまに、貸してやるという、気分に満ちたものである。
 
俗に言う、お役所仕事であるから、手が付けられない。
そして、最期の切り札が、規則です・・・
 
その対応が変わったのが、藤岡亡き後である。
民間業者が、管理運営を委託されてからである。
 
何度か、苦情の電話をそのホールの主体である、役所に電話したことか。
その受付でも、話にならないのである。
こちらに電話をと、ポスターが貼ってあっても、話にならない。
 
更に、職員の対応は、話にならない。
決まり、決まり、決まり・・・
これを言えば、済むと思っているのである。
 
どうでもいい、打ち合わせ・・・
それを私は、変えた。
いつも通りで・・・
それで、終わり。
 
何も、難しいことはしない。いつも通りです。
 
使用者が馬鹿なのか、職員が馬鹿なのかは、一目瞭然である。
 
藤岡亡き後は、もっと凄いことにした。
プログラムはありませんよ。
その時次第ですから・・・
 
矢張り、藤岡の時は、少しの遠慮があった。
そのイメージに対してである。
 
融通が利かないのは、役所の特徴である。
 
大震災の際も、融通が利かない役所のせいで、多くの人の命が、捨てられた場所もある。
これについては、語弊が生じるので、省略する。
 
そして、出会うのは、クラシック関係の人たち。
演奏家、声楽家・・・
指導者・・・
 
多くは、勘違いの人たちだった。
 
更に、応援者というか、支援者である。
それらも、勘違い者多々あり。
 
そして、クラッシクファンという者たち。
 
世界がクラシックで動いていると、信じている者たちである。
呆れた。
 
もっと呆れたのは、演奏を批判する馬鹿者である。
私は、耳が良いと信じている者、多々あり。
 
音楽は、好き嫌いの問題である。
それ以上ではない。以下でもない。
 
そうして、次第に、クラシックというものの、世界の人たちを知ることになる。
 
権威を奉じる人たち。
下手糞でもいいのだ。権威なのだ。
 
部屋に戻り、藤岡と話しをする。
藤岡は、決して外では言わないで・・・と、言いつつ・・・
色々と、教えてくれた。
 
その後、藤岡とは別に、コンサートの企画をするのだが・・・
呆れた。
更に、ずるいのである。
 
礼儀知らずは、当たり前。
 
音大、芸大というところは、礼儀作法を教えない。
クラシックという、西洋の民族音楽であることさえも、解らなくなっている。
一つの音楽形式であるということも、理解していない。
音楽とは、西洋音楽なのであると、信じているのである。
 
ピアノも、声楽も、聴いていられないようなものでも、クラシックであるから、聴けということなのである。
 
最初の頃は、理解するために、色々なコンサートに出掛けた。
ビアノリサイタルも・・・
声楽リサイタルも・・・
 
フランス歌曲の大家・・・
えっ、これが、フランス語・・・
語感も何も感じない。
だが・・・
 
認められている。
信じられない。
語学の適当な私でも、理解出来ないこと多々あり。
 
日本歌曲などは、声楽家の歌を聴いていられないのである。
何せ、日本語になっていない。
マジ、これ、本当に・・・
 
藤岡に言う。
無理なんだよ、日本人だから・・・
何が・・・
骨格が違う国の歌を歌う発声の人が、日本語を上手に歌える訳が無いよ・・・
 
あっ、そう・・・
あれなら、怒鳴っているだけだよ・・・
そうだよ・・・
 
愕然とした。
 


<< ...29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 >>