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ある物語 68

ある物語

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第68話


藤岡は、アメリカ、ミシガン大学に国費留学をしていた。
それが、大変に凄いことだとは、後で気付くが・・・

その留学時代のことも、時に聞いていた。

兎に角、食べ物が不味いと言っていた。
私には、アメリカは全く興味がないので、フーウンと聞いていたが・・・

その時に、付き合っていた女性がいたらしい。
だが、その女性が藤岡がアメリカにいる間に白血病になり、亡くなったと聞いた。

その時は、少しばかり、興味を持った。
突然死のようであった。

ただ、呆然としたという。

そのショックは、言いようもないものだったらしい。
言いようもない心境を、尋ねる勇気は無い。

執拗に、心境を聞くものではない。
時に、無神経な人がいて、人の不幸を、テレビのアナウンサーのように尋ねるが、全く、論外である。

そういう人とは、付き合わない。

大変だったね・・・
うん・・・

それだけ。

だが、その話を、何度か聞いた記憶がある。
突然の死に、人は、どのように対応するのか・・・

だから、藤岡が亡くなった際に、根掘り葉掘りと、その様子を尋ねた人とは、一切の付き合いはしない。

病気というのは、その点では、いいことだ。
突然ということがない。
あらかじめ、予想している。
悲しいことだが・・・

突然の死は、後に残る者が、戸惑うだけではない。
それを受け入れるための、苦悩は、測り知れないのである。

さて、藤岡は、広島大学にて博士課程に在籍していた。
だが・・・
次第に、心境が変化する。
ここにいても・・・

そこで、決心をする。
勤める。就職を考えるのである。
音楽関係の会社・・・
となれば、ヤマハである。

大学にそのまま在籍して、教授を目指すことは考えなかった。

その頃は、すでにピアノの弟子を取って、教えていたという。
結構な収入を得ていた。
だが、それも、街中の先生で終わるわけにはいかない。

その辺りの人間関係について、話を聞いていたが・・・
よく分らない。
興味が無かったからか・・・

私には、一気に、札幌での出会いになってしまう。

私は、和芸の世界にいたから、藤岡との接点は、全く無いといってよい。
何故、出会ったのか・・・
不思議な縁としか、いいようがない。

偶然である。
偶然を内的必然と、考える時、生きるという力が湧く。

そんなことを、考えていた時期である。

大雑把なクラシック音楽というものを、知るのみ。
私とは、全く関係ない世界だった。

嫌いでも、好きでもない。
だから、どうでもいい世界である。

まして、声楽の世界などの話を聞いても、解る訳が無い。
解った振りをする程度である。

カウンターバーで、腰掛けたら、横に藤岡が座っていた。
それだけで・・・
出会い。

すれ違う一人の人だった。
ところが・・・

先のことは、全く解らない。
人生とは、そういうものである。
私は、占いというものを一部生業にしていたが・・・
それは、一つの情報として、捉えていた。

何一つも、先は解らぬ。
そして、その解らぬ人生を、よしとしていた。
ただ、心の命ずるままに、行為することが、辛うじて自分の人生を生きること。私は、最初から、フリーランスの人生を選んでいた。

好きなことをして、生きる。
しかし、好きなことをするというのが、それを支えるために、嫌なこともしなければならないと気付くのに、時間は掛からなかった。

占いの前に、カウンセラーの勉強をしていたことが、救いだった。
昼間の講座に一年間通い、知事認可の資格を得た。
そして、尊敬する精神科医との出会いである。
心を観る、探る・・・
それは、最も自分のためであった。



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