木村天山旅日記

サイパン慰霊 平成19年5月19日〜25日

第四話

帰国の日、ツアーであるから、旅行会社の迎えがある。

午前11時55分、ホテル出発。そして、ある施設に行く。買い物をさせるのである。

皆、ブランド物ばかりの建物である。

自由時間は、一時間半。

私は、その間に、サイパン島の大聖堂、マウント・カーメル・カテドラルと、今は、参る人も少ないという、最初の戦没者記念碑に向かう。

激戦で亡くなった兵士、民間人を慰霊する。

政府が建てた、戦没日本人の碑、複数の慰霊碑、招魂碑がある。

 

カテドラルの傍にあるというのが、印象的だ。

 

タクシーを飛ばして行く。

時間が無いゆえ、お金のことは考えない。

 

大聖堂、カテドラルは、一つの扉のみ開いていた。

入ると、すぐに祭壇がある。

ライ教会とは、違う。あちらは、町の教会であるが、こちらは、権威が感じられる。権威というのは、表現不足である。重厚な雰囲気であり、霊的に強い。

 

すぐに祭壇の前で祈る。

そして、感じた。

前から押される程の威圧感である。体が揺れる。

少しばかり様子をみるが、矢張り、強い。何かがある。

圧力が体を押すのである。

祈りの層であろうか。祈りの層とは、人の想念である。

人の想念は、神もどきを作り出す。想像の力による、念による、霊的な磁場を作るのである。または、死者の想念の場合もある。

膨大な死者の想念が、塊になっている場合である。

 

主の祈り、アベマリアを唱える。

言い忘れたが、入り口で、聖水を取り、十字を切るのである。魔を取り去る。

 

ある日本の地方の教会の納骨堂に入り、頭が締め付けられたことがある。

死者が、そこにいるのである。そこで良しとしている。

霊界、次元移動せずにいる場合である。

天国に行くと教えられても、行けずにいる。その教会の上空にも、上がれないでいる。

これについては、本意でないので省略する。

 

さて、急ぎのゆえに、その力の何かを見極めずに、教会を出た。

同行の者が、初めてのカトリック教会だということで、感激していた。

その後で、カトリックの組織の説明を求められて、やたら話すことになったが・・・

 

最後の目的、日本人戦没者慰霊碑の参拝である。

あらかじめ、祝詞の最初を唱えていたので、重要な部分のみを唱えた。

ここで、慰霊碑と、招魂碑についていう。

慰霊碑は、その名の通りであるが、招魂というのは、文字の意味からは、魂を招くということになる。

ここに、おいでくださいと、場所を提供するのである。

あちこちに、出られては困る。

あなたたちの場所を用意しましたという意味である。それは、仏壇などにも言える。霊界の入り口の役割を果たす場合もある。単なる飾りの場合もある。それは、奉る人の思いと、所作による。

こちらを通して、お奉りしますという意味である。

だから、よく解らずに手を合わせて、具合の悪くなる人もいる。

神道では、招魂という言葉を多く使う。しかし、今では、慰霊と同じ意味合いであろう。

 

招魂祭という行事が子供の頃にはあった。

招いて、お奉りし、慰める。それは、古神道、古来からの日本人の作法である。

祭りの意味である。それが、神様だからよいが、迷える幽霊ならば、困るのである。

招いたが、戻らない場合もある。そして、人に憑く。それは、実に困る。

 

神社が怖いのは、招魂するからである。

必ず、お戻ししなければならない。呼んだまま、放置している場合も多々ある。

 

教会の場合は、死者は天国に行くと信じているから、幽霊の存在は無いという考え方である。しかし、考え方と、実際は違う。

現れるのは、聖人とか、聖母の場合のみだと言う。それは、実に、おめでたい。

 

カトリックでは、奇跡に関しての調査もある。

一時期、聖母出現、聖母が涙を流すということが、世界中で多々あった。

日本では、秋田の教会もある。

レベルの低い霊界の仕業の場合、多々あり。また、祈る人々の念の強さによって成る場合もある。

 

私が言えることは、神といわれる存在にあるレベルの世界は、奇跡は起こさないのであるから、奇跡は、レベルの低い霊界の関与、あるいは、魔的なものとして捕らえるのが、正しい。

 

奇跡といえば、私も、サイパンで、オッーと驚くことがあった。

最初に言うが、奇跡ではない。

私が、一人で行動した日の夜に、繁華街に出て食事をした。ホテルの部屋に入った途端に雨が音を立てて降った。

実は、天気予報で、三日目あたりから、雨の予報だった。あちらの雨は、ザーと降る。行動している間は、降らないで欲しいと願った。

だから、部屋に入った途端の雨には、驚いた。私がアホなら、ほら神様の云々というが、奇跡を起こすような神様ならば、こちらから御免こうむるのである。

 

真実は、いつも当たり前の事柄にある。これ、真理である。

 

慰霊の行為の最中にも、奇跡は無かった。本当に良かった。

 

無事に終えることが出来た。

感謝である。

 

慰霊の意味を言う。

日本にいても、慰霊は出来る。霊に、場所は関係無い。しかし、天皇の存在について言ったが、そこに行くことに意味があることもある。

そこに出掛ける、労苦を霊は見る。

墓参りに、難行して行く人がいる。それを霊は見る。その行為が、霊を慰める。

霊の無いという人には、到底理解出来ないことである。

ただし、私は説得しない。霊がいないという人に、霊がいるというアホな説得は、百害あって一理なしである。

死ねば解る。

そして、皆々、確実に死ぬ。

 

後、五年もすると、死なないことが出来る時代になると言うが、果たして、永遠に行きたいと思う人が何人いるか。

皆、最後は、死にたくて生きているのである。

もう十分と思って死を願う。

意識のある介護される老人が、お願いだ、殺して欲しいと言う場面に出会う。

もう生きていたくないという。

生きていたくないと思う心が悲しい。

しかし、必ず死ぬ。それが救いである。

そう救いとは、死ぬことである。

宗教で言うことろの救いは迷いである。

救いは、皆、平等に与えられてある。死ぬのである。

 

何事も、真っ当に考えることである。

 

注・

慰霊の行為は、これからも、続ける。

タイ・チェンマイから、北部タイ、ミャンマー国境地帯等々、そして、ミクロネシア連邦の、トラック諸島の海底に沈む、戦没者の遺骨、ラバウル、ガダルカナル、そして、オーストラリアのダーウィンである。ダーウィンは、日本人ではない。オーストラリア人である。

日本軍の攻撃により、400名の市民が亡くなった。それの慰霊を、日本は行っていない。

 

何故、私が、慰霊を行うか。それは、千年の日本のためである。

我が心に促されて、行う。

つまり、亡くなった人々に呼ばれていると、考える。

追悼慰霊されることを、待ち望んでいるのである。

 

思い出して欲しいのだ。

戦後処理は、為されていない。

それは、追悼慰霊が、されていないということだ。

 

第二次世界大戦により、日本は、行くべき道を、今のように決定した。

あの戦争は、特別な意味があったということである。

講釈を垂れるより、慰霊することである。

何故なら、人は、死んでも、死なないからだ。

亡くなっても、無くなって、いないのだ。

 

私が、慰霊を決めると、必ず体に異変が起こる。熱がないのに、風邪のような状態になる。これは、彼らと感応しているからだ。行くしかない。