ビルマ視察 子供服支援 

平成19年11月4日


民主化運動が激化し、多数の犠牲者が出ているミャンマー。その実態は外国人の私たちには、容易に知ることはできません。

新聞やテレビなどからは伝ってこない、現地で暮らす人々の生の姿を見たいと思い、タイの国境の町メーサーイから、国境の町タチレクに入りました。

半日だけの入国なら、一名10ドルの入国ヴィザがその場でとれます。

いよいよミャンマー入国です。

※こちらはタイ側の出国ゲートです。国境独特の喧騒と、緊張感が漂っています。

ミャンマー側の入国ゲートを通り、無事入国しました。入国手続きはスムーズで、係官の対応も好感のもてるものでした。入国審査を受ける部屋に、近代ビルマ建国の父といわれる、アウンサン将軍のパネルが飾られており、ミャンマーに来たのだな、という気分がたかまります。

ミャンマーはかつてビルマと呼ばれていました。旧英語名”ビルマ”は人口の8割を占める『ビルマ族』をさすので、多くの民族が共住していることを表そうと、現軍事政権が1989年6月に国連に説明して”ミャンマー”と改称しました。

しかし、タイのチェンライの下町で、ミャンマーといってもなかなか通じず、「バンマ」といった方がわかってもらえたこともあり、ここではビルマと呼ぶことにします。

※穴だらけの未舗装の道路。腰布を巻いて歩く女性たち。

やはりタイとは雰囲気がまるで違います。


タイ側にはある、コンビニエンスストアなどは見当たりません。サリーを着て歩くインド人女性もいます。

ミャンマーの通貨はチャットですが、ここタチレクではタイバーツも通用します。

100バーツで三輪タクシーに乗り、市内全体を見渡せる高台にある、シュエダゴン寺院に行くことにしました。


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