木村天山旅日記

遥かなる慰霊の旅 平成19年11月1日

第一話

11月1日、晩秋を過ぎて冬を感じさせる寒さを感じる日の朝、タイ行きの最終の準備をして、部屋の中を整理し、出掛けた。

 

実は、その前日、父が、10年程再発しなかった、喉頭癌が再発し、手術をしていた。手術は、うまくゆき、大丈夫とのこと。しかし、高齢でもあり、そう長くは無い。

それも、覚悟していた。声を失った、父とは、話が出来ないが、父は、母や、弟から、私が、タイに慰霊に行くと聞いているはずである。

 

父は、最期の少年兵である。

志願兵である。

15歳で、お国のために、死ぬ覚悟で、出兵した。

しかし、戦場に出る前に、終戦となった。

もし、終戦が少し遅れていれば、父は、死んでいた。

そして、私も、この世にいない。

 

バンコクを経由して、チェンライという、北部タイの町に向かう。

乗り継ぎのために、バンコクに一泊することにしていた。

 

タイは、日本より、二時間遅い。

日本では、深夜12時、タイでは、10時に到着し、タクシーに乗り、バンコク市内の予約したホテルに向かう。

 

大都会のバンコクの下町にある、安いホテルである。

翌朝、朝食を済ませて、空港に向かうので、十分なホテルだった。

夜の街に出ることもなく、私と、同行の野中は、シャワーを浴びて、ベッドに着いた。

勿論、すぐに、眠ることは出来ない。いつもの癖で、寝つきが悪い。

長旅に疲れは、禁物なので、睡眠導入剤を飲む。

そして、少し缶ビールを飲んだ。

しかし、本来ビールは好きではない。すぐに飽きて、止めた。

 

日本でも、私の朝は早い。五時から六時に目覚める。

バンコクの朝も、五時に目が覚めた。

目覚めながら、ベッドにいた。

そして、本日の予定、チェンライでの予定を、反芻していた。

強行な予定ではない。

ゆるやかな予定である。決して、無理をするような計画は立てない。

 

昨日のタクシーを野中が予約していた。

10時になると、タクシーが来た。

5分遅れである。しかし、ホテルに、タクシー運転手から、遅れるとの電話が入ったそうだ。野中が言う。そんなことは、なかったと。きっと、私が、着物を着ていたので、タクシー運転手が緊張したのだろうという。

 

この、着物姿は、実に、有効だった。

色々な旅の時に書いたので、省略するが、着物の威力は、凄いものがある。

着物は、信用であり、権威であった。

 

さて、順調に、新しいバンコクの空港に着く。昨日も、新しい空港に着いた。古い空港は、まだ利用されているが、国際線からの、乗り継ぎは、新しい空港が、便利である。

 

新しい国際空港は、バンコク市街の東約27キロにある、スワンナプーム空港である。

古い、ドン・ムアン空港も、市街から北20キロにあり、現在も使用されている。

 

チェンライ行きの飛行機は、国内線専門のエア・アジアである。

国内線の格安チケットを売る。座席の指定なく、機内の飲み物サービスも、有料である。

 

国内線は、陸の上を飛ぶ。海がないから、下界は、山々と、続く。飛行時間は、一時間と少しで、東京札幌間程度である。

 

田舎の空港である。

早速、タクシーに乗り、市内に向かう。宿泊ホテルを決めていないので、市内の中心に向かってもらった。目印は、時計台である。

ただし、時計台は、改装中であった。

20分程で、市内に入り、下りた前の中華料理店に入った。

料理店といっても、オープンになっていて、地元の人の食堂である。

タイラーメンと、よく解らないが、店先にある、ケースの品を指差し、注文した。すると、注文したものを、横のガス台で、焼いてくれる。

 

シュウマイに似たものと、小さなアンマン。何となく、美味しいので、更に、もう一つ頼んだが、今、それを、思い出せない。

その店にいると、私の子供の頃の風景がある。40年ほど前の、北海道の田舎街の風景である。食堂のイスも、テーブルも、同じだ。

不思議な感覚に襲われた。

今は、田舎に戻っても、そんな店は無い。

 

気温が思った以上に低い。肌寒いと思う程だ。

同じタイでも、北であるから、当然であるが、南の国のイメージが無い。

 

食べ終えて、次に、宿探しである。

地図を見て、安いホテルに向かう。ところが、そのホテルが無い。取り壊されていたのである。驚き。

その付近を少し歩く。

ゲストハウスの前に来て、声を掛ける。

野中に、部屋を見せてもらうと言い、私が中に入った。

確かに、安いだけある部屋である。問題は無いが、最初に泊まるには、少し、寂しい。

気持ちが、萎える部屋は、駄目だと、また、歩く。

今度は、ホテルである。中型ホテルである。

二人で、1200バーツ。約4000円である。

日本円にすると、安いが、現地では、高いホテルである。勿論、まだまだ高いホテルは、ある。しかし、私たちには、高いのである。

最初の一泊を、そこに決めた。ところが、全室、禁煙である。

「あらー、禁煙なら駄目だーー」と、私。英語で、アイ、ヘビースモーカーと言うと、受付の女性が、オッケーと言う。喫煙の部屋があるという。

 

実は、タイのホテル、ゲストハウスは、禁煙が多い。多くなったといってよい。公共施設、レストラン、等々、皆、禁煙である。しかし、野外は、喫煙できる。暖かい国なので、外でも、平気である。

 

与えられた部屋は、二階の豪華な部屋である。

そうそう、それで朝食付きである。

 

部屋が決まり、安堵して間もなく、明日からの部屋と、ミャンマー国境へ行くための、手配をしなければならない。

と、そこで、野中が、自分のリュックを忘れたと、言う。

えっー、どこで。

あの、食堂だと、言って、野中が出た。

私は、冷静に、考えた。

確か、ゲストハウスまでは、背中にあったと思った。置いたとしたら、あの、ゲストハウスである。

戻ると、無いという。

「あんた、あのゲストハウスに行っておいで」と、私。

その時、野中が、中華料理店の主人に親切にしてもらい、色々と、連絡を取ってくれたという。タクシーなら、空港のタクシー乗り場だと、近くの旅行会社に行き、一緒に電話をしてくれた。そして、その旅行会社の人も親切にしてくれた。

そこで、ミャンマー行きのことも、聞いたという。

禍が転じて福となる。

2400バーツで、一日、ミャンマー行きが出来るという。

後で、その旅行会社に行くことにして、まず、ゲストハウスに、野中が、行った。案の定、リュックは、そこにあった。

目出度し目出度しである。

 

そして、早速、あさっての、ミャンマー行きの申し込みに行く。

約6時間の予定で、2400バーツ。観光、食事込み込みの料金である。

温泉、サルの何とか、色々と、オーナーが言う。私は、ミャンマーに行くだけが、目的だから、聞き流していた。

兎に角、料金を払い、決定した。約6800円である。

 

そして、最後に、オーナーが言う。

女は、どうすると。

女学生なら、一晩、4000バーツだと言う。約、13000円程度である。

売春である。平然として言うから、驚く。

私が、そういう話を断る時、アイ ライク ボーイと言う。すると、何も言わないのである。ボーイが好きなのだから、女に興味が無いのである。そこまで言わなければ、しつこく、売春を勧められる。ところが、このオーナー、その言葉に、たじろぐ事無く、何度も、私に言うから、驚いた。

誰が教えたのか、オマンコを連発する。

もう、笑うしかない。何を意味するのか、知っているのか、知らないのか。女を、そういうものだと、教えた日本人がいるのであろう。

 

旅で、問題なのは、食べることである。さて、昼は、夜は、何を食べるか。旅の楽しみの半分は、食べることである。現地のものを、食べる。それは、現地を理解する、最高の手立てである。そして、市場、スーパーでの買い物。私は、これが、大好きである。