11月1日、晩秋を過ぎて冬を感じさせる寒さを感じる日の朝、タイ行きの最終の準備をして、部屋の中を整理し、出掛けた。
実は、その前日、父が、10年程再発しなかった、喉頭癌が再発し、手術をしていた。手術は、うまくゆき、大丈夫とのこと。しかし、高齢でもあり、そう長くは無い。
それも、覚悟していた。声を失った、父とは、話が出来ないが、父は、母や、弟から、私が、タイに慰霊に行くと聞いているはずである。
父は、最期の少年兵である。
志願兵である。
15歳で、お国のために、死ぬ覚悟で、出兵した。
しかし、戦場に出る前に、終戦となった。
もし、終戦が少し遅れていれば、父は、死んでいた。
そして、私も、この世にいない。
バンコクを経由して、チェンライという、北部タイの町に向かう。
乗り継ぎのために、バンコクに一泊することにしていた。
タイは、日本より、二時間遅い。
日本では、深夜12時、タイでは、10時に到着し、タクシーに乗り、バンコク市内の予約したホテルに向かう。
大都会のバンコクの下町にある、安いホテルである。
翌朝、朝食を済ませて、空港に向かうので、十分なホテルだった。
夜の街に出ることもなく、私と、同行の野中は、シャワーを浴びて、ベッドに着いた。
勿論、すぐに、眠ることは出来ない。いつもの癖で、寝つきが悪い。
長旅に疲れは、禁物なので、睡眠導入剤を飲む。
そして、少し缶ビールを飲んだ。
しかし、本来ビールは好きではない。すぐに飽きて、止めた。
日本でも、私の朝は早い。五時から六時に目覚める。
バンコクの朝も、五時に目が覚めた。
目覚めながら、ベッドにいた。
そして、本日の予定、チェンライでの予定を、反芻していた。
強行な予定ではない。
ゆるやかな予定である。決して、無理をするような計画は立てない。
昨日のタクシーを野中が予約していた。
10時になると、タクシーが来た。
5分遅れである。しかし、ホテルに、タクシー運転手から、遅れるとの電話が入ったそうだ。野中が言う。そんなことは、なかったと。きっと、私が、着物を着ていたので、タクシー運転手が緊張したのだろうという。
この、着物姿は、実に、有効だった。
色々な旅の時に書いたので、省略するが、着物の威力は、凄いものがある。
着物は、信用であり、権威であった。
さて、順調に、新しいバンコクの空港に着く。昨日も、新しい空港に着いた。古い空港は、まだ利用されているが、国際線からの、乗り継ぎは、新しい空港が、便利である。
新しい国際空港は、バンコク市街の東約27キロにある、スワンナプーム空港である。
古い、ドン・ムアン空港も、市街から北20キロにあり、現在も使用されている。
チェンライ行きの飛行機は、国内線専門のエア・アジアである。
国内線の格安チケットを売る。座席の指定なく、機内の飲み物サービスも、有料である。
国内線は、陸の上を飛ぶ。海がないから、下界は、山々と、続く。飛行時間は、一時間と少しで、東京札幌間程度である。
田舎の空港である。
早速、タクシーに乗り、市内に向かう。宿泊ホテルを決めていないので、市内の中心に向かってもらった。目印は、時計台である。
ただし、時計台は、改装中であった。
20分程で、市内に入り、下りた前の中華料理店に入った。
料理店といっても、オープンになっていて、地元の人の食堂である。
タイラーメンと、よく解らないが、店先にある、ケースの品を指差し、注文した。すると、注文したものを、横のガス台で、焼いてくれる。
シュウマイに似たものと、小さなアンマン。何となく、美味しいので、更に、もう一つ頼んだが、今、それを、思い出せない。
その店にいると、私の子供の頃の風景がある。40年ほど前の、北海道の田舎街の風景である。食堂のイスも、テーブルも、同じだ。
不思議な感覚に襲われた。
今は、田舎に戻っても、そんな店は無い。
気温が思った以上に低い。肌寒いと思う程だ。
同じタイでも、北であるから、当然であるが、南の国のイメージが無い。
食べ終えて、次に、宿探しである。
地図を見て、安いホテルに向かう。ところが、そのホテルが無い。取り壊されていたのである。驚き。
その付近を少し歩く。
ゲストハウスの前に来て、声を掛ける。
野中に、部屋を見せてもらうと言い、私が中に入った。
確かに、安いだけある部屋である。問題は無いが、最初に泊まるには、少し、寂しい。
気持ちが、萎える部屋は、駄目だと、また、歩く。
今度は、ホテルである。中型ホテルである。
二人で、1200バーツ。約4000円である。
日本円にすると、安いが、現地では、高いホテルである。勿論、まだまだ高いホテルは、ある。しかし、私たちには、高いのである。
最初の一泊を、そこに決めた。ところが、全室、禁煙である。
「あらー、禁煙なら駄目だーー」と、私。英語で、アイ、ヘビースモーカーと言うと、受付の女性が、オッケーと言う。喫煙の部屋があるという。
実は、タイのホテル、ゲストハウスは、禁煙が多い。多くなったといってよい。公共施設、レストラン、等々、皆、禁煙である。しかし、野外は、喫煙できる。暖かい国なので、外でも、平気である。
与えられた部屋は、二階の豪華な部屋である。
そうそう、それで朝食付きである。
部屋が決まり、安堵して間もなく、明日からの部屋と、ミャンマー国境へ行くための、手配をしなければならない。
と、そこで、野中が、自分のリュックを忘れたと、言う。
えっー、どこで。
あの、食堂だと、言って、野中が出た。
私は、冷静に、考えた。
確か、ゲストハウスまでは、背中にあったと思った。置いたとしたら、あの、ゲストハウスである。
戻ると、無いという。
「あんた、あのゲストハウスに行っておいで」と、私。
その時、野中が、中華料理店の主人に親切にしてもらい、色々と、連絡を取ってくれたという。タクシーなら、空港のタクシー乗り場だと、近くの旅行会社に行き、一緒に電話をしてくれた。そして、その旅行会社の人も親切にしてくれた。
そこで、ミャンマー行きのことも、聞いたという。
禍が転じて福となる。
2400バーツで、一日、ミャンマー行きが出来るという。
後で、その旅行会社に行くことにして、まず、ゲストハウスに、野中が、行った。案の定、リュックは、そこにあった。
目出度し目出度しである。
そして、早速、あさっての、ミャンマー行きの申し込みに行く。
約6時間の予定で、2400バーツ。観光、食事込み込みの料金である。
温泉、サルの何とか、色々と、オーナーが言う。私は、ミャンマーに行くだけが、目的だから、聞き流していた。
兎に角、料金を払い、決定した。約6800円である。
そして、最後に、オーナーが言う。
女は、どうすると。
女学生なら、一晩、4000バーツだと言う。約、13000円程度である。
売春である。平然として言うから、驚く。
私が、そういう話を断る時、アイ ライク ボーイと言う。すると、何も言わないのである。ボーイが好きなのだから、女に興味が無いのである。そこまで言わなければ、しつこく、売春を勧められる。ところが、このオーナー、その言葉に、たじろぐ事無く、何度も、私に言うから、驚いた。
誰が教えたのか、オマンコを連発する。
もう、笑うしかない。何を意味するのか、知っているのか、知らないのか。女を、そういうものだと、教えた日本人がいるのであろう。
旅で、問題なのは、食べることである。さて、昼は、夜は、何を食べるか。旅の楽しみの半分は、食べることである。現地のものを、食べる。それは、現地を理解する、最高の手立てである。そして、市場、スーパーでの買い物。私は、これが、大好きである。
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