木村天山旅日記

遥かなる慰霊の旅 平成19年11月1日

第五話

 

タチレクの国境を越えた。

タイに戻る。

心なしか、後ろ髪を引かれる思いがした。二時間は、やはり短い。

ああ、これが人生かという思いと、共に、ここに、再び来るという、強い思いである。

それが、確実になったことがある。

 

野中が、オーナーと連絡して、待ち合わせの場所を決めている間に、私は、路上でミカンを買った。

一つを食べ、旨いので、もう一つを食べた。

野中が呼びに来たので、後を付いた。

国境の境目に外から向かう。

丁度、そこに、タイ最北の碑があった。

その時である、ハローと叫ぶ声がする。

何度かの声に、私は、国境の鉄格子を見た。

あのアカ族の主、オサである少年が、私に声を掛けていた。

 

私が食べていたミカンを、くれ、と言っていると感じた。

すぐに、傍に近づき、金網越しから、一つミカンを差し出した。

それを受け取る。

 

頷いた少年に、私は、感動した。

単なる、物乞いだったとしても、私は感動した。

後で、すべてのミカンを上げなかったことを後悔したが、これこそ、後の祭りである。

 

来年、もう一度来て、あの子に、大金を上げようと思った。

大金といっても、あの子にとっての大金であり、日本円にして、五千円程度である。

それを、元手に、物乞いではなく、物を仕入れて売ることを教えたいと思った。

子供たちの、主、オサになっているのである。賢いはずだ。

 

橋の上で、生活しているアカ族の子供たちに、その場で、生きるべくの支援をしてもいいだろう。

今日を食い凌ぐことで、精一杯なのだ。

そこに、ほんの少しの援助があれば、何とか、新しい道を踏み出せる。

 

再び、ここに来ると、決めた。

彼らに会うためである。

そして、川沿いでも、慰霊を行うと、再度、決めた。

 

車に乗り込み、メーサイ一のレストランに向かった。

それも、コースの中に入っているのだ。

 

国の違いが、ハッキリと解る。

タイに入ると、建物から、違う。

タチレクと、メーサイでは、その様が、全く違うのだ。

 

レストランでは、昼食のバイキングである。

焼き飯、焼きソバから、名前の解らない食べ物が沢山ある。

口に合わないが、食べた。空いた腹を満たすためである。

スープソバも食べたが、調味料の混ぜ合わせに慣れていないゆえに、へんてこりんな、味になる。

口直しに、甘いお菓子を食べる。お菓子は、美味しい。

 

食べ終わり、私は、一足先に、店先に出て、タバコをふかした。

 

空を見上げると、曇っていた空に、薄っすらと、日差しが差している。

何とも言えぬ気持ちである。

一年前には、考えていなかった、旅である。

まさか、タイ最北の地に来て、ミャンマーに入るとは。

 

オーナーも、運転の少年も、野中も出てきた。

オーナーが、ショッピングと、何度も言う。

レストランの隣に、装飾品の店がある。

そこに行けということなのだ。

愛想程度に入ってみることにした。

 

一人の若い女性店員が、私に、張り付いた。張り付くという程の、接近である。

私、あなた、割引する。それを、繰り返すのである。

視線を向ける物を、すぐに、目の前に取り出す。

商魂というのか、何というのか、殺気まで、漂う。

 

私は、着物には、何も付けないと、身振り手振りの英語で言った。

それでも、私、あなた、割引すると、張り付いてくる。

 

やっと、助け舟が現れた。

別の客が入ってきたのだ。

私は、即座に、店を出た。すると、野中も、逃げるように、出てくる。

 

何事もなかったのかように、車に向かう。

オーナーは、買い物については、何も言わなかった。

 

温泉、サル、何とかのこんとか、オーナーが言う。

野中が、私に、聞く。

どこかに連れて行きたいようだとのこと。

しかたなく、温泉と言った。本当は、疲れ切っていた。

タチレクの町での、緊張感が、どっと出た。

 

車が走り出す。

オーナーが、温泉の説明をするが、もう、黙って聞いていた。何を言っているのか、解らない。

うとうとしていると、車が、大きくカーブして、森の中に入った。

 

海の家のような、オープンな店が何件かある。

オーナーが言う。

生卵を買って、温泉でゆで卵にと。

普通の卵と、鶉の卵のような大きさの卵が、それぞれ、網の袋に入られて売られている。

私は、腹を撫でて、もう十分だと、表現する。

オーナーが、理解したようで、先に進む。

 

温泉への近道なのか、草の多い、湿地帯を歩く。

温泉の建物があるが、普通の建物である。

幾つかの部屋があり、それぞれの部屋に、浴槽がある。

私たちは、一番大きな部屋を選んだ。

客は、私たちだけである。

 

部屋には、大きな風呂が、二つあった。

一つの方は、温泉の濃い方で、もう一つは、薄い方である。

窓の扉が、下から上に上げる扉で、全開にしてある。

外では、お婆さんが、山菜を採っていた。

 

脱衣の籠も無く、そのまま着物を脱いで、湯に浸かる。

確かに温泉である。硫黄の匂いが、強い。

浴槽があるのみの、部屋で、体を洗う場所も無い。ただ、湯に浸かるだけ。

 

私は、30分程、湯に浸かっていた。勝手に、熱いお湯を注いだ。

野中は、途中で出た。

その湯が効いた。

湯から上がると、疲れが、更に倍加した。

 

チェンライに着くまで、私は、うとうとして、ぼんやりしていた。

ホテルに着いたら、そのまま、眠ってしまうだろうと思えた。

 

約七時間の行定だった。

あっという間の出来事だが、密度濃くして、感慨無量である。

一気に終わったのである。

せめて、メーサイに一泊すれば、何とか、気分的にも、安定したであろうと思う。

 

だが、もう終わった。

最初の目的である、ミャンマー入りが終わった。

部屋の前の廊下に置かれた、イスとテーブルで、ミャンマーの絵葉書を眺めた。

確かに行ったのだと、一人、言い聞かせた。

 

後は、夜の食事である。

昼間の食事が効いて、腹が空かない。

野中も私も、ベッドに横になった。

 

手帳を見るが、その夜に、何を食べたのか、書かれていない。思い出せない。

翌日の昼は、イタリア料理で、パスタを食べているのだが、その夜が、思い出せない。

チェンマイ行きのバスに乗る前で、印象があるから、思い出せるが、あの疲れた夜に、何を食べたのか。

 

酒も飲まずに、早々に、ベッドに着いたはずである。

兎に角、疲れた。昼間の印象に夜のことが、かき消されている。