タチレクの国境を越えた。
タイに戻る。
心なしか、後ろ髪を引かれる思いがした。二時間は、やはり短い。
ああ、これが人生かという思いと、共に、ここに、再び来るという、強い思いである。
それが、確実になったことがある。
野中が、オーナーと連絡して、待ち合わせの場所を決めている間に、私は、路上でミカンを買った。
一つを食べ、旨いので、もう一つを食べた。
野中が呼びに来たので、後を付いた。
国境の境目に外から向かう。
丁度、そこに、タイ最北の碑があった。
その時である、ハローと叫ぶ声がする。
何度かの声に、私は、国境の鉄格子を見た。
あのアカ族の主、オサである少年が、私に声を掛けていた。
私が食べていたミカンを、くれ、と言っていると感じた。
すぐに、傍に近づき、金網越しから、一つミカンを差し出した。
それを受け取る。
頷いた少年に、私は、感動した。
単なる、物乞いだったとしても、私は感動した。
後で、すべてのミカンを上げなかったことを後悔したが、これこそ、後の祭りである。
来年、もう一度来て、あの子に、大金を上げようと思った。
大金といっても、あの子にとっての大金であり、日本円にして、五千円程度である。
それを、元手に、物乞いではなく、物を仕入れて売ることを教えたいと思った。
子供たちの、主、オサになっているのである。賢いはずだ。
橋の上で、生活しているアカ族の子供たちに、その場で、生きるべくの支援をしてもいいだろう。
今日を食い凌ぐことで、精一杯なのだ。
そこに、ほんの少しの援助があれば、何とか、新しい道を踏み出せる。
再び、ここに来ると、決めた。
彼らに会うためである。
そして、川沿いでも、慰霊を行うと、再度、決めた。
車に乗り込み、メーサイ一のレストランに向かった。
それも、コースの中に入っているのだ。
国の違いが、ハッキリと解る。
タイに入ると、建物から、違う。
タチレクと、メーサイでは、その様が、全く違うのだ。
レストランでは、昼食のバイキングである。
焼き飯、焼きソバから、名前の解らない食べ物が沢山ある。
口に合わないが、食べた。空いた腹を満たすためである。
スープソバも食べたが、調味料の混ぜ合わせに慣れていないゆえに、へんてこりんな、味になる。
口直しに、甘いお菓子を食べる。お菓子は、美味しい。
食べ終わり、私は、一足先に、店先に出て、タバコをふかした。
空を見上げると、曇っていた空に、薄っすらと、日差しが差している。
何とも言えぬ気持ちである。
一年前には、考えていなかった、旅である。
まさか、タイ最北の地に来て、ミャンマーに入るとは。
オーナーも、運転の少年も、野中も出てきた。
オーナーが、ショッピングと、何度も言う。
レストランの隣に、装飾品の店がある。
そこに行けということなのだ。
愛想程度に入ってみることにした。
一人の若い女性店員が、私に、張り付いた。張り付くという程の、接近である。
私、あなた、割引する。それを、繰り返すのである。
視線を向ける物を、すぐに、目の前に取り出す。
商魂というのか、何というのか、殺気まで、漂う。
私は、着物には、何も付けないと、身振り手振りの英語で言った。
それでも、私、あなた、割引すると、張り付いてくる。
やっと、助け舟が現れた。
別の客が入ってきたのだ。
私は、即座に、店を出た。すると、野中も、逃げるように、出てくる。
何事もなかったのかように、車に向かう。
オーナーは、買い物については、何も言わなかった。
温泉、サル、何とかのこんとか、オーナーが言う。
野中が、私に、聞く。
どこかに連れて行きたいようだとのこと。
しかたなく、温泉と言った。本当は、疲れ切っていた。
タチレクの町での、緊張感が、どっと出た。
車が走り出す。
オーナーが、温泉の説明をするが、もう、黙って聞いていた。何を言っているのか、解らない。
うとうとしていると、車が、大きくカーブして、森の中に入った。
海の家のような、オープンな店が何件かある。
オーナーが言う。
生卵を買って、温泉でゆで卵にと。
普通の卵と、鶉の卵のような大きさの卵が、それぞれ、網の袋に入られて売られている。
私は、腹を撫でて、もう十分だと、表現する。
オーナーが、理解したようで、先に進む。
温泉への近道なのか、草の多い、湿地帯を歩く。
温泉の建物があるが、普通の建物である。
幾つかの部屋があり、それぞれの部屋に、浴槽がある。
私たちは、一番大きな部屋を選んだ。
客は、私たちだけである。
部屋には、大きな風呂が、二つあった。
一つの方は、温泉の濃い方で、もう一つは、薄い方である。
窓の扉が、下から上に上げる扉で、全開にしてある。
外では、お婆さんが、山菜を採っていた。
脱衣の籠も無く、そのまま着物を脱いで、湯に浸かる。
確かに温泉である。硫黄の匂いが、強い。
浴槽があるのみの、部屋で、体を洗う場所も無い。ただ、湯に浸かるだけ。
私は、30分程、湯に浸かっていた。勝手に、熱いお湯を注いだ。
野中は、途中で出た。
その湯が効いた。
湯から上がると、疲れが、更に倍加した。
チェンライに着くまで、私は、うとうとして、ぼんやりしていた。
ホテルに着いたら、そのまま、眠ってしまうだろうと思えた。
約七時間の行定だった。
あっという間の出来事だが、密度濃くして、感慨無量である。
一気に終わったのである。
せめて、メーサイに一泊すれば、何とか、気分的にも、安定したであろうと思う。
だが、もう終わった。
最初の目的である、ミャンマー入りが終わった。
部屋の前の廊下に置かれた、イスとテーブルで、ミャンマーの絵葉書を眺めた。
確かに行ったのだと、一人、言い聞かせた。
後は、夜の食事である。
昼間の食事が効いて、腹が空かない。
野中も私も、ベッドに横になった。
手帳を見るが、その夜に、何を食べたのか、書かれていない。思い出せない。
翌日の昼は、イタリア料理で、パスタを食べているのだが、その夜が、思い出せない。
チェンマイ行きのバスに乗る前で、印象があるから、思い出せるが、あの疲れた夜に、何を食べたのか。
酒も飲まずに、早々に、ベッドに着いたはずである。
兎に角、疲れた。昼間の印象に夜のことが、かき消されている。
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