木村天山旅日記

遥かなる慰霊の旅 平成19年11月1日

第八話

 

6日の朝、六時前に目覚めた。

少しぼんやりして、七時になったら、ホテル前のテラスで、コーヒーを飲むことにする。

そのまま、そこで朝食にすることもありだ。

 

明日は、バンカート学校敷地内にある、慰霊碑に、出掛ける予定だ。

そのための準備は、日本でしてきた。

何となく、予定を確認する。

今回は、特別に、野中が友人になった、タニャンさんという人の、お宅にも、行くことになっていた。

そこで、新しい家に住んで一年を経て、家の清め祓いをして欲しいとのこと。その後で、家族との食事である。

 

バリ島の時もそうだが、旅で、地元の人の家に、お邪魔するというのは、本当に楽しい。現地の人の家で、食事をするなどとは、普通の旅行では、考えられないのである。

タニャンさんからは、タイに着いた日から、いつ来るのとの、メールが、野中に何度も、入っていたという。

 

七時に、ホテルの一階のテラスに出て、コーヒーを頼む。

私が一番乗りである。

テラスといっても、歩道の上である。

角にあるホテルだから、車の通りも多い、人の通りも多い。

ホテル前には、トゥクトゥク、ソンテウが、何台も待機している。

 

前回来た時の、女の子はいなかった。皆、新しい男ばかりである。

ホットコーヒーを注文する。

それで、暫く時間を過ごす。

 

タイに着いた時から、曇りだったが、本日からは、晴天である。

青さを越えて、紺碧の空が広がる。

 

結局、朝食をそこですることにした。

メニューを見て、サンドイッチを頼む。ボーイを呼んで、写真を指差すだけである。

 

その間に、車も人の数も、どんどんと増える。

本日は、日本にエアメールを出すために、郵便局に行く。そして、タイマッサージを受ける。後は、昼食と、夜の食事を何にするのか、決める。

 

サンドイッチを食べて、ゆっくり過ごして、部屋に戻ったのは、八時半を過ぎていた。

野中は、まだ、眠っている。

 

洗濯物を入れてと言われた、ビニール袋に、何枚かの下着や、タイパンツを入れる。

タイの洗濯屋さんは、キロ単位で料金がある。

ホテルに出すと、手数料が取られるので、自分で持ってゆく。

 

歯磨きと、顔を洗い、出掛ける準備をする。

地図を見て、近くの郵便局に行く。

実は、チェンライからも、二枚の葉書を日本に出したが、皆、料金が違うのである。本当に大丈夫かなと、思った。

葉書のエアメールなら、料金は、同じであろうにと。

その確認も込めて、郵便局で出してみようと思った。

 

郵便局は、ホテルの裏側、旧市街地の中を行く。

ゆっくりと、歩いた。

チェンマイの車道は、信号機があまりない。あっても、歩行者が渡る時間は、10秒である。

だから、無いのと同じである。

車の隙間を縫って、向こう側に渡る。勇気がいる。

そのうちに慣れて、私は、手を挙げて渡るようになった。

勿論、急ぎ足である。

 

大きな通りを右に曲がり、そして、また、大きな通りを、左に曲がり、交差点に来て、郵便局がある。

15分ほど、歩いた。

 

先客がいる。

順番の札を取り待つ。

何となく、それが解るのだ。窓口に、番号が出ているから、察する。

私の順番が来た。

葉書を出す。エアメールと言う。

ブスッとした、おじさんである。

何とかかんとかと、言われた。料金である。解らないが、100バーツを出してみる。すると、ポンと、5バーツの硬貨を出された。

高いと、思った。95バーツもする。葉書のエアメールがと、思い、財布に入れて、去ろうとした時、おじさんが、また、お釣りを出した。エッと、私は、それを見た。おじさんが、ニッとして、葉書の切手を見せる。

料金は、これだけという、しぐさである。

お釣りは、85バーツである。つまり、葉書は、15バーツである。約47円。

そんな風に、日本円に換算して、頭の体操をする。

 

しかし、チェンライの街中の店で、葉書を書き切手を買った時は、もっと、安かった。

皆、無事に届くのだろうかと、思った。

後日、皆、無事に届いていた。そして皆、私が、帰国した後である。

 

ホテルの位置が解るので、ぶらぶらと歩く。

一度曲がればよいのである。

私は、向こう側に渡り、直進した。

 

そこで、目にした、マッサージの料金が、一時間130バーツである。安い。

オープンの店内に、一人の若い女性が、寝ていた。

私が顔を出すと、マッサージと言う。私は、頷く。

 

タイマッサージ ワン アワーと言う。人差し指を立てた。

女性は頷いた。

まだ、初心、ウブな感じである。

 

イスも無く、ゴザの上にマットが、幾つか敷かれてあるだけ。

道行く人に見られるのである。

 

私は、一つのマットを示された。そこに、仰向けに寝る。

すると、女性は、ある方向に、合掌する。ああ、お寺で、習ったと思った。そして、始める前にも、合掌した。

足裏から、丁寧に揉む。

典型的な、タイマッサージである。

 

タイマッサージは、下半身に重きが置かれて、足裏から、足の揉みが、よい。ただし、日本人のように、肩の凝りを取るのには、不十分だ。

勿論、最後に、肩にも、肘で指圧を加えるが、今ひとつである。

時間も、短い。本当は、肩にも、時間をかけて欲しい。

 

一人のマッサージ師と仲良くなり、それを頼むしかないが、まだ、仲良くなるマッサージ師は、いない。

 

街中のマッサージは、一時間のタイマッサージだと、200バーツである。130バーツは安い。足裏マッサージは、オイルを使うので、一時間200バーツ。

ところが、高級ホテルだと、500バーツから、800バーツと高い。

料金は、まちまちである。

 

昨年、何度か行き着けたマッサージ店の料金表示を見て、驚いた。

一時間が、何と100バーツに値下げしていた。

 

そこは、ホテルの並びの道路を隔てた場所である。

後で行くことになるが、マッサージも、過当競争である。

そこで、一時間のタイマッサージをした時、マッサージ嬢から、結局、私たちの取り分が減ったと聞かされた。

100バーツの30バーツが、手元にくるという。

そこで、オイルマッサージをしてくれと言われた。私も、オイルマッサージは、好かないが、まあ、一度だけならいいかと、オイルマッサージをすることにした。

後で書くことにする。

 

一時間のマッサージを終えて、ホテルに戻る。

市場を通った。

一度、通りかけたが、戻って、昼食を買うことにした。

 

まず、ゆで卵二つ。鳥の足一つ。パンを二種類と、もち米の粽のようなもの、二つと、魚の蒸し焼き一つ。別の店で、バナナ一房を買った。これは、帰国の日まで、持った。

タイの、小さなバナナで、青臭い味がする。

行きかけて、パイナップルの果肉を一袋買った。

全部で、100バーツ程度だから、330円。

 

結構な量になった。

ホテルに着くと、野中が起きていた。

もう、12時になる。

 

買ってきたものを、二人で食べる。

野中は、タイでは、完全に二食である。食べないのだ。

私は、三食である。

結果、帰国して、太っていた。

 

後で、野中が、二ヶ月滞在していた時に探した、安い地元の店に連れられて行く。

チェンマイカレーの店では、感激の美味しさだった。そこの、もち米と食べるカレーは、絶品だった。それも、地元の値段であるから、安い。

そして、矢張り地元の人の行きつけの店の、タイ料理である。安くて、旨い。

いつも、人が沢山いた。

ただし、朝七時から、夕方四時までである。家族総出で、店を切り盛りしていた。

 

食べて少しすると、昼寝がしたくなった。

これは、幸いと、ベッドに横になった。

夜の遅い私は、昼寝をしなけむれば、駄目だ。昼寝で、疲れを取る。

 

明日の慰霊の様を想像しつつ、眠った。

 

今回の旅の二番目のテーマである。

一番目が、ミャンマー入りで、慰霊、そして、土曜日のコンサートである。

この三つが、主要なテーマである。

 

勿論、次に続く計画を立てることもである。

ミャンマーは、来年のテーマになった。引き続き、行くことにする。

 

この日の夜、私は、野中に連れられて、チェンマイのレディボーイの草分け的存在、マリナの店に行くことになる。

日本で言えば、性同一性障害ということになる。しかし、タイでは、子供の頃から、そのような少年は、女の子として扱われるという、習慣がある。

当たり前のことなのだ。勿論、それを、嫌う男もいる。差別は、タイにもある。

 

タイ人にゲイが多いということではなく、タイは、比較的、それを公言しても憚らないという国柄である。

女の子同士が、手を繋いで歩いているのも普通で、時に道端で、キスしたりもする。別に、誰も気にする風もない。

ある種の曖昧さがいい。それは、日本人の曖昧さに似る。