木村天山旅日記

遥かなる慰霊の旅 平成19年11月1日

第一二話

 

総領事が私に会うということまでは、考えなかった。

私は、領事館から、名義後援を頂くには、どうすればいいのかということを、尋ねたかっただけである。

しかし、結果、明日、総領事が会うということである。

ありがたい、と思った。

 

さて、実は、この日は、午後から、タニャさんのお家に行く予定である。

野中の親友になった、タニャさんは、お祖父さん、父母、妹とその二人の子供と暮らしている。

レディーボーイである。

その新しい家を、タニャさんが、建てた。

凄いものである。

今回は、私を招待して、家を清め祓いしたいと、タニャさんから申し出である。

曰く、家族を幸せにしたいと。

ただ、それだけである。

 

タニャさんが、車で、迎えに来てくれた。

家は、チェンマイ郊外の、サンカンペーンという場所である。

20分程度で、着いた。

 

広い敷地である。

大きな通りから、少し中に入った土地で、静かな環境。

居間がオープンになっている。

 

家には、お母さんと、妹さんがいた。

お父さんは、屋台のラーメン屋をしている。お祖父さんは、離れにいた。

 

タニャさんは、15歳の時、自分が女として生きてゆきたいと家族に告げた。すると、お祖父さんが、それならば、家を出て行けということになり、100バーツを渡されて、家を出た。

それからの話は、長くなるので、省略するが、現在は、タニャさんが建てた家に、家族皆で、暮らしている。

30を過ぎたタニャさんは、家族を恨むことなく、その逆で、家族を幸せにしたいと言う。

こういうのを、恐れ入るという。

 

早速、私は、清め祓いの準備をして、簡単に説明して、始めた。

 

古神道の心は、自然添うもので、どんな信仰形態をもっていても、問題ない。すべてを、照らす太陽を、主として、拝み奉るのである。

 

タニャさんの居間には、仏陀の像が、日本の神棚のような場所に祭られてあり、家の前には、ピーを祭る。

ピーとは、精霊である。

外から、悪いピーが入らないようにと、ピーの祠がある。

 

私は、それぞれに挨拶し、土地の産土の神をお呼びして、清め祓いをした。

後ろでは、皆が、手を合わせている。

私は、黙って見ていて下さいと言ったが、私が祝詞を唱えている間、姉妹は、手を合わせていた。

 

どうして、私に清め祓いを頼むのか、実は、理由が解らない。だが、それを求められるままに、行った。

野中を通しての話であるから、多くを詮索することは、なかった。

 

清め祓いを終わり、私は、足の調子が悪いという、お母さんの足を見た。浮腫んでいる。

軽く揉んで、持ってきた、お灸を始めた。

30分程、手当てをした。

それを、お母さんは、非常に喜んだ。私は、日本から、お茶を送る約束をした。利尿作用のある、お茶を送ろうと、思った。

 

その間に、姉妹が、食事の準備をする。

ムーカクという家庭料理で、焼肉と、しゃぶしゃぶを合わせたような料理である。

その鍋が変わっていて、お椀型の逆の形で、下の方にスープを入れる溝がついている。

 

そのタレが、手作りで、辛い。二種類のタレは、辛さが違うが、辛い。

汗を拭き拭き、食べた。

鶏肉、豚肉、野菜である。

 

食べている間に、妹さんの二人の子供が学校から、帰ってきた。

丁度、私が持ってきた子供服が合う年頃なので、少しばかり、お土産として持ってきた。

 

子供二人が、加わり、大勢での食事である。

楽しい。

そして、嬉しい。

 

私は、もう腹一杯になり、少し離れて、タバコをふかした。

上の子が、勉強しているノートを見せてくれる。

丁度、タイの数の勉強で、数の文字の練習である。日本の漢字の書き取りのようなことを、している。

家族のタイ語の会話の内容は、解らないが、日本の家庭と、変わらない会話だと思う。

 

二時間程、タニャさんの家で、過ごした。

タニャさんが、勤めに出る前に、車で送ると言うが、私は、ソンテウで帰ると言った。乗り合いバスに乗れば、また、色々見聞することが出来る。

すると、大きな通りまで、送るというので、そうしてもらった。

 

おかあさんが、私たちを見送ると言う。そして、また、来て欲しいと言う。

ありがたい。

また、来ることを約束して、車に乗り込んだ。

大きな通りに出ると、すぐに、ソンテウが来たので、それを止め、乗り込んだ。

 

後ろを振り返ると、おかあさんが、手を振っている。

私も、手を振り、応えた。

 

ソンテウの中は、人が一杯で、途中で乗り込んだ男の子たちは、三人、車の外である。日本では、決して考えられない、乗り方である。

 

ソンテウも、巡回用のもので、降りたい所で、下ろしてくれる。

野中に促されて、途中で、降りる。

 

そこから、ホテルまで、歩いた。

ターペー門に続く、ターペー通りである。

 

夕食がいらない程、食べた。

ホテルに戻り、ベッドに横になる。

 

野中が、私に言う。

おかあさんと、妹さんが、本当に喜んでいたと、タニャさんが言っていたと。

また、来て欲しいと言う。

野中は、二ヶ月タイ語を学んでいる間に、何度も、タニャさんの家に泊まりに行っている。

 

私が、ところで、あんたのこと、タニャさんのおかあさんは、何だと思っているのと、聞くと、タニャさんと同じく、レディーボーイを目指している男だと、認識しているとのこと。

私は、笑った。

それは、面白い。

タイでは、レディーボーイを目指す男でいればいいと、言った。

野中は、苦笑いしている。

 

それから、私は、ホテルから出なかった。

昨日と、本日のことを、忘れないように、手帳にメモし、コンサートの歌詞を覚える。

自慢じゃないが、私は、自分の作詞した歌の歌詞を覚えることが、出来ないが、人の歌は、覚えることが出来る。

自分の作詞した歌を歌うと、必ず、間違うから、可笑しい。

ホテルの部屋で、大声で、昴を練習する。

 

あーあ 砕け散る 定めの星たちよ せめて密やかに この身を照らせよ

あーあ さんざめく 名も無き星たちよ せめて鮮やかに その身を終れよ

 

うーん、いい歌詞である。

これは、中国僧の、鑑真のことをテーマにして作った歌だということ。日本に仏法を伝えるために、盲目になっても、その意思を貫いた。

この鑑真の少しでも、日本の僧たちに、あれば、もう少し、世の中が変わると思う。

 

寺という、組織を作り、その中で、ぬくぬくとしている僧に、未来も、仏法も無い。

安穏とした、怠惰な生活の様のみである。

 

教えというものは、命を賭けて始めて生き生きとしたものになる。そして、その口から出る言葉が、人を生かし、人を変容させる。

教えは、人を変容させるから、凄いのである。

そのままで、その環境のままで、その苦悩のままで、生きるべくの、変容をさせる。

そのためには、行為行動しかない。現実とは、行為行動のことである。

我は行く 心の命ずるままに 我は行く さらば 昴よ