総領事が私に会うということまでは、考えなかった。
私は、領事館から、名義後援を頂くには、どうすればいいのかということを、尋ねたかっただけである。
しかし、結果、明日、総領事が会うということである。
ありがたい、と思った。
さて、実は、この日は、午後から、タニャさんのお家に行く予定である。
野中の親友になった、タニャさんは、お祖父さん、父母、妹とその二人の子供と暮らしている。
レディーボーイである。
その新しい家を、タニャさんが、建てた。
凄いものである。
今回は、私を招待して、家を清め祓いしたいと、タニャさんから申し出である。
曰く、家族を幸せにしたいと。
ただ、それだけである。
タニャさんが、車で、迎えに来てくれた。
家は、チェンマイ郊外の、サンカンペーンという場所である。
20分程度で、着いた。
広い敷地である。
大きな通りから、少し中に入った土地で、静かな環境。
居間がオープンになっている。
家には、お母さんと、妹さんがいた。
お父さんは、屋台のラーメン屋をしている。お祖父さんは、離れにいた。
タニャさんは、15歳の時、自分が女として生きてゆきたいと家族に告げた。すると、お祖父さんが、それならば、家を出て行けということになり、100バーツを渡されて、家を出た。
それからの話は、長くなるので、省略するが、現在は、タニャさんが建てた家に、家族皆で、暮らしている。
30を過ぎたタニャさんは、家族を恨むことなく、その逆で、家族を幸せにしたいと言う。
こういうのを、恐れ入るという。
早速、私は、清め祓いの準備をして、簡単に説明して、始めた。
古神道の心は、自然添うもので、どんな信仰形態をもっていても、問題ない。すべてを、照らす太陽を、主として、拝み奉るのである。
タニャさんの居間には、仏陀の像が、日本の神棚のような場所に祭られてあり、家の前には、ピーを祭る。
ピーとは、精霊である。
外から、悪いピーが入らないようにと、ピーの祠がある。
私は、それぞれに挨拶し、土地の産土の神をお呼びして、清め祓いをした。
後ろでは、皆が、手を合わせている。
私は、黙って見ていて下さいと言ったが、私が祝詞を唱えている間、姉妹は、手を合わせていた。
どうして、私に清め祓いを頼むのか、実は、理由が解らない。だが、それを求められるままに、行った。
野中を通しての話であるから、多くを詮索することは、なかった。
清め祓いを終わり、私は、足の調子が悪いという、お母さんの足を見た。浮腫んでいる。
軽く揉んで、持ってきた、お灸を始めた。
30分程、手当てをした。
それを、お母さんは、非常に喜んだ。私は、日本から、お茶を送る約束をした。利尿作用のある、お茶を送ろうと、思った。
その間に、姉妹が、食事の準備をする。
ムーカクという家庭料理で、焼肉と、しゃぶしゃぶを合わせたような料理である。
その鍋が変わっていて、お椀型の逆の形で、下の方にスープを入れる溝がついている。
そのタレが、手作りで、辛い。二種類のタレは、辛さが違うが、辛い。
汗を拭き拭き、食べた。
鶏肉、豚肉、野菜である。
食べている間に、妹さんの二人の子供が学校から、帰ってきた。
丁度、私が持ってきた子供服が合う年頃なので、少しばかり、お土産として持ってきた。
子供二人が、加わり、大勢での食事である。
楽しい。
そして、嬉しい。
私は、もう腹一杯になり、少し離れて、タバコをふかした。
上の子が、勉強しているノートを見せてくれる。
丁度、タイの数の勉強で、数の文字の練習である。日本の漢字の書き取りのようなことを、している。
家族のタイ語の会話の内容は、解らないが、日本の家庭と、変わらない会話だと思う。
二時間程、タニャさんの家で、過ごした。
タニャさんが、勤めに出る前に、車で送ると言うが、私は、ソンテウで帰ると言った。乗り合いバスに乗れば、また、色々見聞することが出来る。
すると、大きな通りまで、送るというので、そうしてもらった。
おかあさんが、私たちを見送ると言う。そして、また、来て欲しいと言う。
ありがたい。
また、来ることを約束して、車に乗り込んだ。
大きな通りに出ると、すぐに、ソンテウが来たので、それを止め、乗り込んだ。
後ろを振り返ると、おかあさんが、手を振っている。
私も、手を振り、応えた。
ソンテウの中は、人が一杯で、途中で乗り込んだ男の子たちは、三人、車の外である。日本では、決して考えられない、乗り方である。
ソンテウも、巡回用のもので、降りたい所で、下ろしてくれる。
野中に促されて、途中で、降りる。
そこから、ホテルまで、歩いた。
ターペー門に続く、ターペー通りである。
夕食がいらない程、食べた。
ホテルに戻り、ベッドに横になる。
野中が、私に言う。
おかあさんと、妹さんが、本当に喜んでいたと、タニャさんが言っていたと。
また、来て欲しいと言う。
野中は、二ヶ月タイ語を学んでいる間に、何度も、タニャさんの家に泊まりに行っている。
私が、ところで、あんたのこと、タニャさんのおかあさんは、何だと思っているのと、聞くと、タニャさんと同じく、レディーボーイを目指している男だと、認識しているとのこと。
私は、笑った。
それは、面白い。
タイでは、レディーボーイを目指す男でいればいいと、言った。
野中は、苦笑いしている。
それから、私は、ホテルから出なかった。
昨日と、本日のことを、忘れないように、手帳にメモし、コンサートの歌詞を覚える。
自慢じゃないが、私は、自分の作詞した歌の歌詞を覚えることが、出来ないが、人の歌は、覚えることが出来る。
自分の作詞した歌を歌うと、必ず、間違うから、可笑しい。
ホテルの部屋で、大声で、昴を練習する。
あーあ 砕け散る 定めの星たちよ せめて密やかに この身を照らせよ
あーあ さんざめく 名も無き星たちよ せめて鮮やかに その身を終れよ
うーん、いい歌詞である。
これは、中国僧の、鑑真のことをテーマにして作った歌だということ。日本に仏法を伝えるために、盲目になっても、その意思を貫いた。
この鑑真の少しでも、日本の僧たちに、あれば、もう少し、世の中が変わると思う。
寺という、組織を作り、その中で、ぬくぬくとしている僧に、未来も、仏法も無い。
安穏とした、怠惰な生活の様のみである。
教えというものは、命を賭けて始めて生き生きとしたものになる。そして、その口から出る言葉が、人を生かし、人を変容させる。
教えは、人を変容させるから、凄いのである。
そのままで、その環境のままで、その苦悩のままで、生きるべくの、変容をさせる。
そのためには、行為行動しかない。現実とは、行為行動のことである。
我は行く 心の命ずるままに 我は行く さらば 昴よ
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