木村天山旅日記

遥かなる慰霊の旅 平成19年11月1日

第一五話

 

マッサージ嬢の、話が続く。

 

収入の話は、色々と聞いていた。

例えば、夜の仕事をする女たちや、レディボーイの給料は、一月3000バーツである。約一万円である。それでは、生活が出来ない。チップに頼る。しかし、それが駄目だと、売春である。

スポンサーを見つける子もいる。それも、準売春である。いや、売春か。

 

給料と、同じだけの、チップを貰わなければ、生活が出来ないのである。

 

マッサージ嬢との、やり取りが、続く。

 

明日は、二時間のオイルマッサージをして、と言う。

二時間、300バーツである。約千円。彼女の取り分は、90バーツ。約280円。

私のチップ20バーツで、100バーツ。約330円。

 

私は、彼女の一月の収入を試算してみた。

どう考えても、3000バーツから、5000バーツである。約一万円から、一万五千円である。

しかし、それでも良い方である。客がいればのこと。

もし、客がいなければ、収入は無い。保障が無い。

 

次第に、会話が楽しくなる。

片言英語の冗談が、飛び出す。

そして、ついに、私の股間を指差し、マッサージオッケーと言う。

どういうことか、解る。

私は、笑った。

しかし、彼女は、笑わない。

 

私が、聞いた。

チップ タオライ。幾らなの、と。

500バーツと、すぐに答えた。つまり、すぐに答えられる用意があるということだ。

もし、そんなことを、していないなら、すぐに金額は、出ない。

そして、言う。

内緒だと。シークレットと言ったのか言わないのか、解らないが、雰囲気で解る。

ボスに、シーッと、指を唇に当てた。

 

500バーツ。約1600円。

100バーツの仕事で、30バーツを貰ったとして、比べると、凄い金額である。

生活するために。

それは、生きるためにと、なる。

 

兎に角、私は、明日、オイルマッサージをすることになった。

前にも書いたが、オイルマッサージは、マッサージ好みの私には、生殺しのようなものである。凝りを出すが、凝りを取らないからである。

しかし、彼女のオイルは、違うものである。別の目的がある。

 

店を出る時、彼女は、ウキウキしていた。

また明日。

 

もし、彼女の言うとおりだとしたら、私は、明日800バーツを払うことになる。

だが、私は、この結末を省略する。

この旅行記に、全く関係ないことだ。

 

これが、面白いタイ旅行という旅行記なら、ぴったりであるが、どうも違う。

別の時に書くことにする。

 

このような、話は、尽きない。

例えば、飲みに言ったバーで、2000バーツで、何でもすると、豪語した、レディボーイもいた。

また、オープンバーでは、単なるボーイが、チップ欲しさに、リップサービスが凄い。

客の喜ぶ言葉を連発する。

また、面白いのは、怒りを売りにしている、おばさんホステスや、ゲーム専門ホステスもいる。ゲーム専門ホステスは、兎に角、何でもゲームである。欧米人が好む。

 

勿論、夜の街では、何でもありである。

ただし、危険な目に遭わないためには、我が身を、あやふやにしないことである。

アイ ライク ボーイと言えば、女は、一線を置く。煩くない。

日本人である。すると、金を持っていると、思われる。

 

だが、彼女、彼らも、アホではない。

しっかりと、見抜いている。

金を持っていても、使わない客は、相手にしない。

相手にしているようで、冷めている。

 

中年日本人と付き合う女性は、瞬間、冷めた目をする。

金で吊られている風を、装う。

愛情などではないと、表現する。だから、男も惹かれるのだろう。

 

欧米人の老人や、準老人と一緒にいるタイ人女性で、楽しそうにしている顔を見たことが無い。

老人介護である。

実に、良い仕事をしている。

 

ホテルに戻り、着物に着替えて、コンサートホールに向かう。

二部で、着替えるための着物も、持つ。

サービスである。

お客様の目を楽しませたいと思う。

 

ホール前のレストランで、パスタを食べる。

量が少ないので、丁度良い。

五時半、きっかりに、ホールに入った。

そして、すぐに、音を合わせる。

 

今回は、すべてカラオケである。私のために、ギタリストの千葉真康が、作ったものである。そして、篠笛の日本のメロディーを持ってきた。

それらと、合わせる。

プログラム通りに、進める。

私の歌より、機械がおかしくては、大変である。

実際、千葉の作ったCDは、鳴らなかった。野中が、気を利かせて、MDに取ったので、救われた。

もし、それが無かったら、何も無くなる。すべて、アカペラということになる。

 

開演の30分前に、もう人が来た。

待って貰う。

小西さんも、早めに来てくれた。

最初に、小西さんに、通訳をしてもらう。

 

開場時間がきた。

待っていた人を、案内する。私も、受付に出た。

何せ、私と野中の二人である。

お手伝いも誰も、いない。

 

ホール側の職員が、二人いた。彼らは、照明と、エアコンの調節である。

言葉が通じないので、ただ、それだけ。

 

開演時間になり、私は、ホールの隣の部屋から、舞台に出た。

今、受付にいた私が、ホールの横からである。可笑しいが、しょうがない。

 

皆さん、今晩は。

本日は、お越しくださり、ありがとうございます。

それでは、皆様、ご起立下さい。

最初に、プーミポン国王陛下に敬愛の念を表しまして、と言う。

王様の歌が流れる。

次に、日本国、国歌を独唱しますと、私が一歩前に出た。

最初の一声、その音が、難しい。

高く始まると、後が、ひっくり返る。

慎重に出す。

 

君が代という歌は、実に、難しいと感じた。

 

今回の成り行きと、主旨を話す。それを、小西さんが、通訳する。

 

それでは、最初に、白月を歌います。一部開始である。一曲ごとに、拍手を頂いた。

お話を加えながら進める。一部の最後に、日本語の歌としては、絶品であると紹介し、藤岡宣男の「この道」を流した。

無事終了して、休憩となる。

日本歌曲、童謡、歌謡曲を、歌った。そして、万葉集朗詠である。

二部も、無事終了。

最後のアンコール曲を、舞台を降りて歌う。

 

次は、もっと、人を連れてきます。多くの人から、聞いた。来年も、しますと、言ったからだ。半年前から計画したコンサートが、一時間半で終る。