タイ旅行を終えて、その様を、書いた。
追悼慰霊、ミャンマー入り、コンサートが、主たる目的であった。
全く、今は未知なる活動ではあるが、毎年の慰霊、そして、コンサート開催により、目に見える形で、成果を上げることになると思う。
日本語の無料セミナーも、その間に、開催したいと思う。
すると、今度は、カンボジア、ラオスに目を向ける。
ラオスは、日本人であれば、12日間は、ビザ無しである。
日本人の入国を、歓迎している。
始めて会う人も、会を重ねると、馴染みになり、そして、友人になる。
何より、イデオロギーの布教ではない。
支配することも、されることもない、対等の付き合いである。
民間外交の素晴らしさは、何と言っても、個と個の、付き合いである。
日本が、これらの国に、資金援助をしている様を、書けば、キリが無い程になる。
実に、日本の資金に、開発の多くを負っているのである。
日本に援助されて、国の体制を、整えていると、言っても、過言ではない。
そして、多くの日本企業の進出である。
それも、書けば、キリが無い。
だが、それは、公、政府間の、関わりであり、日本人も、そんな支援を知らない人の方が多いように、あちらの人も、知らないのである。
言えば、驚く。
話は、飛躍するが、国際社会で、日本が孤立した場合、最初に、日本に手を差し伸べるのは、アジアの国である。
アジアの国に、多く、戦争時に、迷惑をかけたというが、アジアの国々に、日本は、甚だしい程の資金援助をしている。
中国へなども、富士山より、高い一万円札を支援している。
当然として、受け取る国もあるが、感謝して、受け取る国もある。
戦争の道を、拓いた日本に感謝する国もあるのである。
何故か。それにより、独立を得たからである。
勿論、建前は、迷惑を受けたというが、である。
歴史的事実の意味合いは、一方からのみ、見て、判断出来ない程、複雑な意味を持つ。
ベトナム、カンボジア、ラオスにも、日本の民間団体の、ボランティア活動が、行われている。個人的に、偉業をする方もいる。
それらの人の活動により、日本に対する、イメージは、非常に良い。この、良いということが、後々、つまり、千年単位で考えると、大変な価値なのである。
今、今のことではない。
それらの人は、皆、心の命ずるままに、行っている。
タイ北部でも、20程の団体が、様々な活動を行っているという。
チェンマイの総領事は、それらの、横のつながりを作りたいと言う。
さらに、タイ北部は、追悼慰霊の地である。
ある種、巡礼の地でもある。
私は、追悼慰霊の巡礼の地ということを、さらに、推し進めて行きたいと思う。
これから、バリ島での日本セミナー開講を手始めに、多くの事を、考えている。
それは、最早、私一人では、物理的に無理なことである。
だが、あえて、仲間を、募ることはしない。
自然発生的に、集うことを、願っている。
簡単に言えば、奉仕活動だからである。
生活の基盤があり、自立している人が、出来ることである。
そして、その、心である。
命じる、心、の、有り様である。
私は、もう、観光旅行をする、気持ちは全く無い。
旅行は、すべて、目的のあるものである。
その目的は、千年の日本に、出来ることである。
千年の日本とは、未来の日本に出来ることである。
これは、私の信条であり、他の誰にも、強制することは、勿論、説くこともない。
追悼慰霊は、過去の問題である。
しかし、それは、未来へ続く。
過去に対する行為が、未来へと、続くのである。
それは、行為して、始めて解ることである。
異国の地で、亡くなった人の慰霊をする、日本人の姿は、かの国の人を、信用にたる人間であると、認識させる。
最も、それは、霊的存在の有ることを、知るゆえの行為であることが、前提である。何故なら、彼らは、霊的存在の有ることを知るからである。
単なる、儀式の慰霊ではないということである。
私の祈りを、かの国の人も、求めるということになる。
決して、布教をする者ではない。
心に、響くからである。
私が、神道の天照大神を、布教するという、愚かなことをしないからである。
タイでも、日本の新興宗教の布教をする、団体が多い。が、それは、実に、愚かなことである。
タイは、仏教が、伝統である。
同じ、仏教だからと、日本の大乗系の仏教の新団体が行くという、愚かさである。
キリスト教のような、過ちを犯すのである。
イデオロギーの布教は、百害あって、一理無しである。
それは、必ず対立を生む。
私は、日本の伝統を持って望む。
日本の伝統は、たゆたう、心であり、それは、今の言葉にすると、曖昧である。
実に、曖昧であるということ、見事な精神である。
郷に入っては、郷に従うのである。
タイから、戻り、更にタイでの、活動を考えて、次へのステップを踏む。
テラの会という。
テラは、地球である。
そして、アマテラスの会である。
アマテラスは、太陽である。
しかし、今、暫くは、この言葉を使用しない。
アマテラスという言葉、神という言葉に限定されるからだ。
太陽は、大和言葉で、天、アマ、照、テラス、というのである。
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