公演会場は、ウブドゥ、クッゥ村の一番大きい寺院の、集会所である。
開演の、一時間前に入るようにと言われた。
少し遅れて、私たちは、到着した。
すでに、ウブドゥのガムラン楽団の人々、舞踊の人々が、集っていた。
私たちは、丁度、プログラムの真ん中に出ることになっていた。
すぐに、浴衣から、着物に着替える。
絽のピンクの着物を着た。
家から踊りの化粧をしてきた、踊り子さんたちが、行き来する。
四人の女の子たちの、衣装が可愛い。
頭に、ウサギの耳をつけている。
彼女たちは、出番が来るまで、踊りの振り付けを練習していた。
楽屋での、その踊りの上手なことといったら、なかった。
バリ舞踊の、基本の所作が、しっかりと出来上がっている。
私と、千葉君は、舞台の出口の横のイスに腰掛けて待つように、言われた。
開演前に、司祭さんが、皆を、清める。
つまり、その芸能活動、音楽、舞踊を、神への供え物として、考えるのだ。
お客の入りは、関係ないのである。
相手は、神様である。
我が身が、供物になるという、感覚である。
それは、日本の神楽に似る。
司祭さんから、聖水をかけられ、三度、その水を手のひらで受けて、飲む。最後にまた、聖水で、清められて、開演である。
ガムランの音が、響き渡る。
出番の女性たちは、その前まで、合掌している。
出口は、舞台の真ん中にある。
神の座から、出るというのだ。
神に捧げると、共に、神に成るのである。
これを、説明するには、多くの言葉が必要である。
今は、その事実だけを言う。
私たちの、出番は、五番目である。
長い時間を、待つ。
女の子たちの出番を見ていると、矢張り、四人が、合掌して待つ。
初めての体験である。
他流試合のような、感覚になる。
そして、考えた。
このような、企画を考えたことを、少し後悔する。
この、バリ島の伝統と、信仰の舞台に、上がるということは、大変なことであると、改めて、感じた。
少し、申し訳ない気分である。
快く、私たちの、時間を与えてくれた、ウブドゥの人々に、心から感謝した。
これは、歌舞伎の中に、バレーの踊りや、オペラが入るようなものである。
そんなことは、考えられない。
それが、出来るということ、ただ、感嘆するほか無い。
出番の前に、私も、合掌して、待った。
千葉君のイスと、譜面台が出されて、私たちは、舞台の真ん中から、出た。
強い光に、客席は、見えない。
私は、言った。
ジャパニーズオールドソング、浮波の港、惜別の歌、そして、オリジナルジャパニーズダンスを、スペイン民謡にて、踊ると。
言う私も、驚くのである。
両側に、構える、ガムランの皆様に、礼をして、始めた。
精一杯歌った。そして、踊った。
それ以外のことは、考えない。
ただ、ひたすら、歌い、踊った。
踊りの途中から、汗が噴出した。
踊りつつ、舞台から抜けた。
拍手が起こる。
楽屋に戻ると、一人の老婦がやってきて、何か言う。
その、老婦は、バリ舞踊の先生だった。
私の踊りを、ずっと、観ていたという。
素晴らしい、素晴らしいと、言ったと聞いた。
ただ、日本舞踊を始めて見たようで、どこの舞踊になるのかと、クミちゃんに、尋ねていたという。
英語が、通じないのだった。
純粋バリ人である。
最後に、ガムランの団長が、私の前に来た。
紹介されて、始めて、団長のいることを知る。
私の汗に驚いていた。
何かを言うが、バリ語であるから、解らない。勿論、インドネシア語でも、解らない。
兎に角、終ったのである。
最後の舞台を見るために、急いで浴衣に着替えて、舞台の後ろに向かった。
最後の舞台は、何と、日本女性である。
バリ舞踊をマスターしての、参加だった。
そして、本日の唯一の、男性舞踊家との、共演である。
男性は、扇子を用いた。
実は、この扇子を用いたのは、日本舞踊の影響からだった。
特殊な、扱いではないが、実に見事な、扇子捌きである。
フィナーレは、女の子たちが、出てきて、客席に降り、客の一人一人の耳のあたりに、花を挿して行く。
それがまた、可愛らしい。
女の子たちが、舞台に戻ると、男性舞踊家が、私たちを舞台に招いた。
そして、何か挨拶をする。
内容は、解らない。
私たちは、一列に並んだ。
そして、写真撮影である。
日本人、欧米人の客、そして、村の人々、昨日の子供たちの、顔もあった。
バリ人は、私の前に来て、何かを言う。
私は、黙って、それを聞いた。
後で、聞いた話である。
私の歌のような、不安定な音程で、歌う歌を、バリ人は、上手だと、認めるという。つまり、彼らは、絶対音感ではなく、言えば、移動音感である。
子音が、主であり、母音の強い日本語では、特に、音程の曖昧さを、好むのである。
それは、音の幅が、あれば、あるほど、勝手に解釈し、自分のいいように、聴くのである。
音程が、確かな歌は、響かないのである。
良い悪いではなく、それが、彼らの伝統の音楽的感覚である。
私の、万葉集の朗詠が、一番、彼らの音感に、ぴったりしていたようである。
これは、新しい発見である。
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