木村天山旅日記

トラック諸島慰霊の旅 平成20年1月

第一一話

ジュニオを連れて、ホテルに戻り、着替えて、ツゥジィーさんの店に向かった。

 

ツゥジィーさんが、出迎えた。

ジュニオに対しても、別段不思議な顔は、しない。

通常、島の人は、入らない店である。

 

二人は、顔馴染みである。島の人は、ほとんど、知り合いである。

注文した、ハンバーグがくるまで、ツゥジィーさんと、ジュニオが、現地語で、話している。

内容は、解らない。

 

ツゥジィーさんが、英語で、言った。

先日、亡くなった、17歳の男の子がいた。

声が出なくなり、食べ物が、喉を通らない。島の病院、グアムの病院、ハワイの病院に行ったが、原因不明で、戻って来て、亡くなった。

 

彼女は、ブラックマジックにかかったのだと言う。それを、二人で、話していたのだ。

 

ブラックマジックは、誰でも、かけられる。そして、誰でも、それを、解くことが出来るという。

草木の新芽を使い、それを、煎じて作るらしい。

 

その17歳の男の子の、親が、熱心なクリスチャンであった。

それで、島の方法を、申し出た人が、多くいたが、断り、死んでしまったのだという。

ブラックマジックも、その解き方も、悪魔のものだというのだ。

だが、母親は、彼を葬る時に、アイムソーリィと、何度も泣いたという。

 

ツゥジィーさんは、ブラックマジックは、必ず解けるという。

 

ツゥジィーさんが、一度部屋を出ると、ジュリオが、ブラックマジックの掛けるのを、見たことがあると言う。そして、私たちに、それを、再現してくれた。

人が寝ている時に、それを、行うという。そして、舌をレロレロレロと、口から出し入れし、呪文のように、アワアワアワアワと、と唱えるという。

 

その、ジュリオの表情が、おかしくて、私は笑いそうになったが、我慢した。

それをする、ジュリオ自身が、白目を剥くのだ。

 

野中は、風土病だという。

だから、島の草木の新芽を使って、直すのだという、意見である。

 

私は、それもありであり、もう一つは、島にある、元の信仰形態を知りたかった。

しかし、ツゥジィーさんも、ジュリオも、それを、知らないという。

 

バリ島のように、元からある、神様である。その名前だけでも、残っているはずだが、矢張り、キリスト教の支配に入り、それが、霧散してしまったのだろう。

 

1500年代の、スペイン統治の前には、何らかの、土着の信仰形態が、あったはずである。

 

二人は、ブラックマジックを解けば、彼は、死ななかったという、意見であった。

 

ツゥジィーさんの、母親なら、土着の信仰を知っているかもしれないと、私は、帰国して、思った。次に、行った時に、それを、聞きたいと思う。

 

ジュリオは、ハンバーガーを、自然に食べた。

いつも、食べているように、食べた。普段は、決して、食べられないものであるが、不自然さは、なかった。

 

野中が、ジュリオに、手紙を出したいが、ジュリオの所は、住所がないと、ツゥジィーさんに言うと、それなら、私の所に、送ってくれれば、届けてあげるという。

そこで、ツゥジィーさんの、住所を知ることになる。

 

島の大半の人には、住所が無いのである。

不思議だ。

それでも、郵便物は、届くという。

知り合いの手から、親戚の手からと、渡り、本人に届くようである。

カルチャーショックである。

 

いかに、島の人たちが、親しい関係を、築いているかということである。

 

さて、私は、ブラックマジックについては、バリ島のものも、興味があり、ただ今、調査中である。

例えば、日本人でも、それにかかる人もいるが、かからない人の方が多い。つまり、バリ島の人にのみ、通用する、ある種の、霊的作用であろうと思う。

ホワイトマジックという、それを、解く方法もある。

 

それが、例えば、祝詞の清め祓いで、解けるかということも、興味がある。

しかし、これについては、省略する。

 

四人で、歓談していると、時間が、あっという間に、過ぎた。

島が、夕暮れ近くになるので、私たちは、立ち上がった。

 

今度こそ、本当に、ツゥジィーさんとも、お別れである。

前回、ツゥジィーさんに、また、島に来るかと、問われて、私は、返事が出来ず、曖昧にしていたが、この時、私は、ツゥジィーさんに、来年、また、来ることを、約束した。

 

慰霊に訪れる日本人が、今は、激減しているのである。

もう、高齢になり、来る人が少ない。

ほとんど、ダイバーのみである。

 

スィユゥアーゲン、という、ツゥジィーさんの顔が、晴れやかだった。

通りすがりの旅人ではなくなったのである。

知り合いになったのである。

 

店を出ると、丁度、タクシーが来たので、それに乗り込む。

ホテルで、私と野中が降り、そのまま、ジュリオを村に返した。

運転手には、一ドル50セントを渡した。

通常の三倍の、料金である。

 

ジュリオとも、これで、最後である。

またねー、という、日本語が通じたようである。

 

部屋に戻って、私たちは、一息ついた。

 

随分と、内容の濃い時間だった。

 

野中が、フロントの女の子と、話に出たので、私は、一人になった。

フロントの女の子も、日系三世である。中村といった。

時給一ドルで、働いている。

信じられない、安さである。

 

私は、帰り支度を始めた。

夜の11時に、ホテルを出るのである。

深夜便である。

また、グアムで、手荷物検査を受けると、思うと、憂鬱になる。

グアム到着は、朝の三時半頃であり、最も、眠気の強い時間である。

 

今度は、冷静に、検査官の言う通りに対処しようと思う。

神妙になっている、自分に、笑った。

 

野中が、戻ってきた。

そして、カメラがないと言う。

ジュニオが、持っているか、ツゥジィーさんの、店に忘れたかである。

ジュニオなら、返しに来ると、思った。

 

暫くすると、フロントからの電話である。

ジュリオが、やって来た。

野中が、出た。

数名の子供たちを、引き連れている。

私は、野中に、ここに、皆を、呼んだら、いいと言うが、野中は、部屋を、見せない方がいいと言う。

私も、外に出ることにした。

 

一ドル紙幣を一枚持って、出た。

ジュリアに渡すためである。

今回で、ジュリオは、10ドル程の、収穫を得た。

彼は、父親が車椅子の生活で、必死で、家計を支えようとしている。

それが、痛いほど解る。

 

子供たちを見送り、私が先に部屋に戻る。

野中が、戻って来て言う。

ジュリオが、二ドル欲しいと言ったらしい。また、カメラも、最初は、解らないと言ったと。それじゃあ、あの店に、取りに行くと言うと、ズボンのポケットから、カメラを取り出して、ここにあったと言った。

本当は、カメラが欲しかったのだと、野中は言う。

そして、子供たちにも、行けば、二ドル貰えると言って、連れて来た様である。

 

野中に、みんなに、二ドルくれと、いったらしい。

野中は、お金は、木村が持っている。自分には無いと言ったと、言う。

野中が言う。

金があると、見ると、こういうことになる、と。

確かに、ある人から、貰うというのは、彼らには、当たり前のことである。

私は、それで、気分を悪くすることはなかった。

結果的に、カメラが、戻り、良かったのだ。

 

夜の九時である。

私たちは、ホテルのレストランに入り、最後の食事をした。

 

ビーフのミンチを、チーズで、くるんでいるような、実に、後味の悪いものだった。

本日の、お勧め、ディナーである。

一人、約10ドル。

飲み物は、水にした。

 

部屋に戻る。

野中が、急いで、帰り支度をする。

 

野中が、荷物を持って、部屋を出た。

フロントの女の子と、話すためである。

 

私は、時間まで、部屋にいた。

 

私が、一階に下りると、いよいよ、迎えの車が来た。

旅行会社に委託されている、現地の旅行会社の方である。

現地生活、20年という女性だった。その、旦那さんは、30年の現地生活であった。

 

彼女から、車の中で、島のことを、聞いた。

私が、感じたことを、確認するようだった。

 

そして、産経新聞の記事のことにも、触れた。

取材を受けたのだと言う。

それは、産経新聞の記者ではなく、JOCAの人だと言う。

独立行政法人である。青年海外協力隊などを、出している団体である。

 

産経新聞は、その文章を元に、記事を書いた。

つまり、記者は、取材に来ていない。

そして、それは、非常に偏狭なものだった。

そのように、書くことも出来るが、状況を誤って、理解しているというものだった。

 

どうしても、遺骨を、見世物にしているという、発想なのである。

確かに、遺骨は、見ることが出来るが、そこまで、見るということは、前にも書いたが、ダイビングでも、相当の経験者である。

それで、果たして、見世物にしていると、言えるのかということである。

 

遺骨の多くある場所を知る、案内人もいる。

そして、それは、案内するという、仕事であるから、お金を得る。見世物にして、チップを取るという感覚ではなく、それが、仕事なのである。

 

それを、チップを得て、遺骨を見せるという表現にも出来るということだ。

 

微妙な、表現の違いである。

ただ、基本的に、そのようなことは、無いと、彼女は言う。

私も、ダンピングショップの人から、聞いた話では、微妙に、ニュアンスが違うと、感じた。

 

だが、産経新聞の記者は、見世物にされているという、前提の元に、記事を書いたといえる。微妙な、ニュアンスの違いであるが、私は、それは、行き過ぎた書き方であると、判断した。

 

慰霊を終えた私には、更に、遺骨の、問題ではなくなっていた。

遺骨は、抜け殻である。

その、霊、魂は、すでに、次元を異にしている。

 

彼らも、後は野となれ山となれ、なのである。

 

出国審査を終えて、搭乗ロビーに出た。

再び、この島に来ると、信じた。また、やるべきことが、一つ増えたのである。