木村天山旅日記

タイ・ラオスへ 平成20年2月

第一話

タイ・ラオスへ行く。

 

出発の前日、関東に大雪が降った。

高速道路が通行止め、電車や、飛行機も運転見合わせということで、翌日のことが、心配になり、横浜駅から、成田エクスプレスで行くことにした。

 

翌日は、午前中まで、通行止めだったようで、列車にして、安心だった。

 

この時期は、それほどの混雑なく、スムーズに出国手続きが済む。

私の荷物は、子供服が、二袋で、後は、持ち運びの鞄に、自分ものを入れて、機内に持ち込む。

子供服は、向こうで配ると、無くなる。

暖かい国に行くので、夏物の薄い着物なので、鞄で十分に間に合うのが、いい。

 

一万円が、バーツにすると、3005バーツになることを確認する。

 

飛行機は、時間通り、飛びたった。

丁度、夜であるから、寝ていればいい。

バンコクまで、七時間と少しである。

到着は、現地時間の、11:30頃になる。

 

バンコクでは、以前泊まった、安いホテルを、二泊予約していた。

スクンビット通りにあるが、地図に、名前の載っていないホテルである。

一泊二千五百円で、朝食付きである。二人で、その値段である。

泊まれれば、いいのである。

 

バンコクは、雨だった。バンコクの雨は、初めてである。

 

バンコクの 夜は雨なり 涼しくも あり新鮮な 街並み光る

 

タクシーに乗り、ホテルに到着した。

以前に泊まった時にもいた、無愛想な女が、いた。

イサーン出身である。つまり、私たちが、向かう、イサーン、タイ東北部の出である。

 

野中が、あれが、イサーンだと言う。つまり、あのような、無愛想な顔が、イサーンの顔だという。

 

12日間の、旅の始まりである。

バンコクの夜には、興味がないので、ホテルの部屋のビールを飲み、飛行機のせいで、すぐに酔うので、そのまま、寝た。

 

日本時間より、二時間遅れが、タイの時間である。

深夜十二時は、日本では、二時である。

三時頃に寝たから、日本時間では、五時である。

 

朝は、八時に目覚めた。

私は、すぐに、一階のレストランに似せたような、オープンカフェに出た。

無愛想な女から、チケットを取りに行く。

ナンバーと、訊くので、私は、キーを見せた。

朝食券二枚をくれた。

 

若い男がいた。

前回は、おじさんだったが・・・

コーヒーを頼む。

たまごは、どうすると訊く。

スクランブルで、ソーセージにした。

 

トースト二枚に、それらが付いてくる。

私は、タバコを吹かして、コーヒーを飲んだ。

コーヒーは、何倍お替りしてもいい。

 

他の客は、すべて、欧米人である。

若い欧米人は、カップルで、年老いた欧米人は、タイの女を連れている。

中には、中年のおじさんも、タイの女を連れていることもある。

 

二杯目を飲み終わる頃、野中が、降りてきた。

次第に、ホテル周辺が、騒がしくなる。朝の、状態である。

 

野中は、周辺に出掛けると言う。私は、この辺りにいると、言った。

行きたいところは、無い。

 

夜は、チェンマイから、野中の友人の、タンニャが、バンコクに来ることになっている。逢えると、いいと、野中が言う。

お客と、ベトナムに行くらしい。

 

部屋に戻り、野中が、ディジュルドゥを担いで、出て行った。

私は、部屋で、のんびりと、イサーンの空港、ウドーン・ターニと、その後行く、ノーン・カーイについて、調べていた。

 

国内線の格安チケットを予約していた。

ウドーン・ターニに、一泊するか、そのまま、ノーン・カーイに行くかと、迷った。

ノーン・カーイは、ラオスとの、国境の町である。

その距離感が、解らないから、迷う。

 

私は、8日にラオスに入り、翌日、ノーン・カーイに戻る予定である。野中は、そのまま、二三日、滞在する予定だ。

 

昼になったので、ホテルを出る。少し、その周辺を回った。

食堂に、日本語が多い。

驚いた。

これは、日本人が、多いということである。

 

一軒の、日本語で書かれた、タイ料理の店に入った。

タイ語、英語、日本語で、書かれたメニューがある。

私は、焼きそばを注文した。

 

待っている間、店にある、雑誌を手に取った。

日本語のものがあり、無料配布されているものを、取った。

開いた。

驚いた。

すべて、ピンク系の広告で、埋まっている。

オイルマッサージ、2000バーツから、2500バーツである。

それは、射精するまでのコースである。

オイルマッサージは、200バーツから、250バーツが、普通であり、その値段は、高級ホテルの、マッサージ並である。

 

出張もあるという。

ここまで、日本人が、多く来ているのだと、感心した。

 

焼きそばは、量が多くて、すべてを食べると、満腹を通り越した。

勿論、日本の焼きそばに似せたものである。

タイ料理は、野菜を半生で、平気であるから、戸惑う。

更には、すべて、生ということもある。

 

その雑誌を持って、ホテルの部屋に戻り、体を横たえた。

そして、寝た。

 

野中が、戻って、例の雑誌を見て、こんなもの、持っていると、勘違いされるよとの、アドバイスである。

 

タイの売春は、有名であったが、タイ政府が、牽制して、少し収まった経緯がある。

売春に準じる方法を、考えたのだろうと、思えた。

 

知り合いの男の子たちは、必ずタイでは、売春を一つの、目的にしていたものである。

私は、その度に、コンドームの使用を、勧めていた。

 

夕方、タンニャから、電話があった。

ホテル近くに来るらしい。

野中が、逢いに行くと言っている。

時間が、遅くなりそうだというので、私たちは、先に、夕食を済ますことにした。

 

夜になると、日本語の店が、続々と開店する。

私は、肉が食べたくなり、近くの、韓国料理店に野中と入った。

野中は、ビビンバを注文したが、私の焼肉セットの野菜を食べているうちに、腹が一杯になったようで、ビビンバをキャンセルした。というか、野中の注文を店の者が、忘れていたようだった。

 

二人で、ビール一本を飲んで、一杯になり、食べてすぐに、ホテルに戻った。

 

タンニャからの電話があり、野中が出て行った。

私は、ベッドに横になり、うとうと始めた。

野中が、鍵を持って出ないので、鍵は、開けたままである。

 

眠れず、これからの予定を考えていた。

野中は、十二時前に戻り、明日のタクシーの予約が出来たと言う。

ホテルに、十一時に来てくれる。

野中が戻り、安心して、私は眠った。