タイ・ラオスへ行く。
出発の前日、関東に大雪が降った。
高速道路が通行止め、電車や、飛行機も運転見合わせということで、翌日のことが、心配になり、横浜駅から、成田エクスプレスで行くことにした。
翌日は、午前中まで、通行止めだったようで、列車にして、安心だった。
この時期は、それほどの混雑なく、スムーズに出国手続きが済む。
私の荷物は、子供服が、二袋で、後は、持ち運びの鞄に、自分ものを入れて、機内に持ち込む。
子供服は、向こうで配ると、無くなる。
暖かい国に行くので、夏物の薄い着物なので、鞄で十分に間に合うのが、いい。
一万円が、バーツにすると、3005バーツになることを確認する。
飛行機は、時間通り、飛びたった。
丁度、夜であるから、寝ていればいい。
バンコクまで、七時間と少しである。
到着は、現地時間の、11:30頃になる。
バンコクでは、以前泊まった、安いホテルを、二泊予約していた。
スクンビット通りにあるが、地図に、名前の載っていないホテルである。
一泊二千五百円で、朝食付きである。二人で、その値段である。
泊まれれば、いいのである。
バンコクは、雨だった。バンコクの雨は、初めてである。
バンコクの 夜は雨なり 涼しくも あり新鮮な 街並み光る
タクシーに乗り、ホテルに到着した。
以前に泊まった時にもいた、無愛想な女が、いた。
イサーン出身である。つまり、私たちが、向かう、イサーン、タイ東北部の出である。
野中が、あれが、イサーンだと言う。つまり、あのような、無愛想な顔が、イサーンの顔だという。
12日間の、旅の始まりである。
バンコクの夜には、興味がないので、ホテルの部屋のビールを飲み、飛行機のせいで、すぐに酔うので、そのまま、寝た。
日本時間より、二時間遅れが、タイの時間である。
深夜十二時は、日本では、二時である。
三時頃に寝たから、日本時間では、五時である。
朝は、八時に目覚めた。
私は、すぐに、一階のレストランに似せたような、オープンカフェに出た。
無愛想な女から、チケットを取りに行く。
ナンバーと、訊くので、私は、キーを見せた。
朝食券二枚をくれた。
若い男がいた。
前回は、おじさんだったが・・・
コーヒーを頼む。
たまごは、どうすると訊く。
スクランブルで、ソーセージにした。
トースト二枚に、それらが付いてくる。
私は、タバコを吹かして、コーヒーを飲んだ。
コーヒーは、何倍お替りしてもいい。
他の客は、すべて、欧米人である。
若い欧米人は、カップルで、年老いた欧米人は、タイの女を連れている。
中には、中年のおじさんも、タイの女を連れていることもある。
二杯目を飲み終わる頃、野中が、降りてきた。
次第に、ホテル周辺が、騒がしくなる。朝の、状態である。
野中は、周辺に出掛けると言う。私は、この辺りにいると、言った。
行きたいところは、無い。
夜は、チェンマイから、野中の友人の、タンニャが、バンコクに来ることになっている。逢えると、いいと、野中が言う。
お客と、ベトナムに行くらしい。
部屋に戻り、野中が、ディジュルドゥを担いで、出て行った。
私は、部屋で、のんびりと、イサーンの空港、ウドーン・ターニと、その後行く、ノーン・カーイについて、調べていた。
国内線の格安チケットを予約していた。
ウドーン・ターニに、一泊するか、そのまま、ノーン・カーイに行くかと、迷った。
ノーン・カーイは、ラオスとの、国境の町である。
その距離感が、解らないから、迷う。
私は、8日にラオスに入り、翌日、ノーン・カーイに戻る予定である。野中は、そのまま、二三日、滞在する予定だ。
昼になったので、ホテルを出る。少し、その周辺を回った。
食堂に、日本語が多い。
驚いた。
これは、日本人が、多いということである。
一軒の、日本語で書かれた、タイ料理の店に入った。
タイ語、英語、日本語で、書かれたメニューがある。
私は、焼きそばを注文した。
待っている間、店にある、雑誌を手に取った。
日本語のものがあり、無料配布されているものを、取った。
開いた。
驚いた。
すべて、ピンク系の広告で、埋まっている。
オイルマッサージ、2000バーツから、2500バーツである。
それは、射精するまでのコースである。
オイルマッサージは、200バーツから、250バーツが、普通であり、その値段は、高級ホテルの、マッサージ並である。
出張もあるという。
ここまで、日本人が、多く来ているのだと、感心した。
焼きそばは、量が多くて、すべてを食べると、満腹を通り越した。
勿論、日本の焼きそばに似せたものである。
タイ料理は、野菜を半生で、平気であるから、戸惑う。
更には、すべて、生ということもある。
その雑誌を持って、ホテルの部屋に戻り、体を横たえた。
そして、寝た。
野中が、戻って、例の雑誌を見て、こんなもの、持っていると、勘違いされるよとの、アドバイスである。
タイの売春は、有名であったが、タイ政府が、牽制して、少し収まった経緯がある。
売春に準じる方法を、考えたのだろうと、思えた。
知り合いの男の子たちは、必ずタイでは、売春を一つの、目的にしていたものである。
私は、その度に、コンドームの使用を、勧めていた。
夕方、タンニャから、電話があった。
ホテル近くに来るらしい。
野中が、逢いに行くと言っている。
時間が、遅くなりそうだというので、私たちは、先に、夕食を済ますことにした。
夜になると、日本語の店が、続々と開店する。
私は、肉が食べたくなり、近くの、韓国料理店に野中と入った。
野中は、ビビンバを注文したが、私の焼肉セットの野菜を食べているうちに、腹が一杯になったようで、ビビンバをキャンセルした。というか、野中の注文を店の者が、忘れていたようだった。
二人で、ビール一本を飲んで、一杯になり、食べてすぐに、ホテルに戻った。
タンニャからの電話があり、野中が出て行った。
私は、ベッドに横になり、うとうと始めた。
野中が、鍵を持って出ないので、鍵は、開けたままである。
眠れず、これからの予定を考えていた。
野中は、十二時前に戻り、明日のタクシーの予約が出来たと言う。
ホテルに、十一時に来てくれる。
野中が戻り、安心して、私は眠った。
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