木村天山旅日記

 バリ島 平成20年5月 

 第6話

タイの、レディボーイで、現在ドイツに留学し、政治学を学んでいる、スーパーレディボーイとも、タイ一番のレディボーイと、言われている、若者がいる。

 

彼は、いや、彼女は、タイの国会議員を目指している。

この分でいくと、きっと当選し、さらに、一つの政党を作る勢いがある。

 

イギリス経済が、ゲイのマネー、ピンクポンドによって、復活したということを、二回目に書いたが、今、世界では、とてつもない、新しい時代に突入している。

 

実は、日本の企業も、ゲイを対象にした、企業家の勉強会を開いたが、結局、日本のゲイは、ケチだという、結論を得て、解散した。

実に、愚かな連中で、ゲイカルチャー、ゲイ文化の何物も、知ることが出来なかったのである。

 

単に、ゲイセックスのみに、捕らわれた故である。

つまり、企業家の、トップのゲイに対する意識が、セックスのみに向けられて、肝心要の、ゲイの精神に、向けられなかったということである。

 

アナルセックスをのみ、ゲイセックスと、理解する、頭の程度であるから、終わっている。

日本の、文化意識は、その程度である。

しかし、事は、簡単である。

企業とは、利益追求であるから、こっちの水は、甘いと知れば、すぐに、手のひらを返すのである。

時間の問題である。

 

さて、バリ島の、経済効果も、ゲイによって、活性化されようとしている。

 

勿論、見た目には、解らないが、新しい商売の形を、整えつつあるのが、ゲイたちなのである。

 

着々と、自分たちの、権利と、生きる場を広げている。

抑圧されただけ、その勢いは、強い。

 

インドネシアのゲイが、集う島になる。

いやいや、世界のゲイが集う島になるのである。

 

そしてそれは、平和裏に行われるという、実に、見事な変身を遂げる。

 

バリニーズと、イギリス人の男性が結婚し、スミニャックに、ショーハブを開いたことから、始まった。

 

一本の道に、ゲイのパブが、並んである。

勿論、ノーマルといわれる人々も、集う。

 

クタに、一件だけある、ショーパブもまた、家族連れでも、女性同士でも、入ることが出来て、皆が、楽しめる。

私も二度、そこに出掛けた。

ツアーの皆とである。

 

今回は、疲れたため、行かなかった。

 

スミニャック地区の、ショーパブが、これから、多くの人に注目されて、多くの客が、集う地区になるのは、目に見えている。

日本人は、まだ、知らない人が多いので、日本人の姿は無い。

 

ショーであるから、企画がある。

それが、毎日、変わる。

どんどんと、そのレベルが上がっている。

 

そして、周辺に、ゲイ専門のバーも、出来てきた。

 

バリニーズは、堅実で、はにかみ屋、少し生真面目だが、許容範囲は、大きい。いずれにせよ、ゲイを受け入れる器がある。

そうすると、ゲイたちがもたらす、経済効果は、莫大になり、バリ島に、大いに貢献するだろうと、私は、見ている。

 

実は、バリヒンドゥーという、宗教の懐も実に深いのである。

それを、地元の人も知らない。

 

インドネシアは、イスラムが、九割であるが、バリ島だけは、独自の宗教観を、捨てなかった。

そして、今でも、まだ、成長途中なのである。

アグン山にある、バリヒンドゥー総本山ともいえる、ブザキ寺院では、有志たちによる、教義の選定が、なされている。

今も、バリヒンドゥーは、成長しているのである。

 

バリ島の人々も、その変化に、動じないで、淡々と、祭りを行っている。

今までの形を、そのままに、新しいものが、加われば、それを、取り入れて、淡々と、信仰生活を送るのである。

 

それは、宗教というより、伝統と、私は解する。

 

そんな中で、ゲイたちの、場所が、定まれば、理想的である。

 

10年ほど前に、バリ島出身の、新聞記者の書いたバリ島を、憂う本を読んだ。

その中には、クタが、ゲイたちに、占領されるという、危惧がされたが、それより、ジャワ人や、その他諸々によって、バリ島の観光が、台無しになっている。

 

今では、彼も、考えを変えるであろうと、思う。

ゲイたちが、風紀を乱すのではなく、同じインドネシア人が、風紀と、観光事業を、台無しにしているのである。

 

その前は、ヒッピーだった。

麻薬と、セックスとの、退廃的な行動である。

しかし、今、そのピッピーの影は無い。

 

最初の、バリ島への、目覚めは、サーファーからだったが、それは、今も変わらない。

そして、質の高い、芸術活動への、理解である。

ウブドゥに代表される。

 

さて、私は、次に、子供服支援の地域を、広げる。

まず、ウブドゥの村々の奥に入る。

クトゥ地区の人も、貧しいと、言う村々である。

 

そして、東側から、北へ行く。

 

その、海岸線の村は、まだ知られてない村もある。

私は、その村の、街造りも、考えている。

 

日々の生活で、精一杯の人々に、少しでも、何がしかを協力して、街を造るのである。

外から、金が入らなければ、内からは、金を生めない。

内から金を生むためにも、外からの金が必要である。

勿論、金を得るためだけではない。

再発見である。

 

文明化を目指すのではなく、文化の維持と、推進である。

 

地元の、伝統を破壊するのではなく、それを、守りつつ、行う。

バリヒンドゥーの、許容範囲の広さに期待する。

 

そのためにも、クトゥ村のテラハウスの活動を、しっかりとしたものにしたい。

ゲストハウスとして、機能し始めると、更に、活動は、広がる。

二階の、多目的ホールは、二つの大きな部屋に、分けられるので、一方を、レストランとしても、活用したいと、考えている。

 

その際の、食材の調達を、東海岸線の村からのものをと、考えている。

特に、魚介類である。

普段は、ウブドゥの人は、魚介類を食べることがない。

高価で、手が出せないのだ。

 

セミナー開催は、不定期であるから、多目的ホールは、如何様にも、利用出来るのである。

 

バリ島の、相互扶助の精神と、自然との、共生の思想とを持って、ことに当たりたいと、考えるのである。

 

ちなみに、テラハウスの奥には、ゲストハウスは無い。

そこから、奥へは、まだ観光客が入らないのである。

唯一、クトゥ村の、一番の寺院の集会所での、バリ島一のバリ舞踊団と、ガムラン演奏を、聴くために、入る程度である。

 

オーストラリア人が、少し街側に、小さなレストランを開店した。

ガムラン演奏を聴くために通る、外国人向けのレストランである。

 

私のツアーも、一度は、このレストランで食事をする。

この辺りには、ここの、一件しか、レストランは無いからだ。

 

関われば、関われるほど、難しくなってゆくと、思われる。

それは、バリ島の人たちが、貧しいからである。

持てる者から、貰うという、心がある。

それは、正しいが、しかし、いつも、支援するという簡単なことではなくなる。

 

与えることの、難しさである。

また、受けることの、難しさである。

 

共に、遠慮しつつ、遠慮しつつ、行わなければならない。

 

微妙曖昧とは、日本人の精神である。

それを、十二分に生かして、バリ島にて、活動することにする。

 

ちなみに、私が、太陽を、アマテラスとして、礼拝すると、一緒にいるバリニーズも、礼拝する。

私たちと、同じ太陽の神を、と言うのである。

 

祝詞を、唱えると、後ろにいた、バリニーズたちが、皆、手を合わせて、終わるのを待っているのには、驚いた。

 

太陽信仰には、何の抵抗も無い。

昔の、バリニーズは、太陽信仰だったからだ。