テラハウスの二階部分で、バリ島の戦争犠牲者のための追悼慰霊祭を行いました。
1864年、貿易港をつくる目的ではじまったオランダのバリ島支配は、1908年の4月28日、さいごまで抵抗したクルンクン王家の降伏により完成しました。
その後1942年日本軍のクルンクン上陸により、オランダの勢力はいちど島から離れましたが、1945年の日本の無条件降伏の後、ふたたびバリを支配しようと、軍を進めました。
いまでは空港の名前にまでなっているバリ独立戦争の英雄、ングラ・ライとともに、占領オランダ軍と戦った日本兵も二十人ほど確認されていて、その方たちの遺骨はマルガラナ英雄墓地に手厚く埋葬されています。
バリ島進駐時代の日本兵はよい人間ばかりではなく、いきなり「バカヤロー」と怒鳴られて殴られたバリ人もいます。また日本軍のための労務者として、奴隷のように働かされた人もいるようです。タイとビルマを結ぶ泰緬鉄道の建設に動員されたのは大部分がアジア人で、インドネシア人も含まれていたので、バリ人も徴用されて亡くなったかもしれません。
そんな過去を水に流してくれたかのように、毎年大量の日本人観光客を受け入れてくれているバリ島のために、この輝かしい未来の礎となって亡くなった方のことを偲び、追悼慰霊の儀を行いました。
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