バリ島 ウブドゥ テラハウス・バリハーモニ− バリ島戦争犠牲者追悼慰霊の儀

平成20年5月22日


 テラハウスの二階部分で、バリ島の戦争犠牲者のための追悼慰霊祭を行いました。

 1864年、貿易港をつくる目的ではじまったオランダのバリ島支配は、1908年の4月28日、さいごまで抵抗したクルンクン王家の降伏により完成しました。

 その後1942年日本軍のクルンクン上陸により、オランダの勢力はいちど島から離れましたが、1945年の日本の無条件降伏の後、ふたたびバリを支配しようと、軍を進めました。

 いまでは空港の名前にまでなっているバリ独立戦争の英雄、ングラ・ライとともに、占領オランダ軍と戦った日本兵も二十人ほど確認されていて、その方たちの遺骨はマルガラナ英雄墓地に手厚く埋葬されています。

 バリ島進駐時代の日本兵はよい人間ばかりではなく、いきなり「バカヤロー」と怒鳴られて殴られたバリ人もいます。また日本軍のための労務者として、奴隷のように働かされた人もいるようです。タイとビルマを結ぶ泰緬鉄道の建設に動員されたのは大部分がアジア人で、インドネシア人も含まれていたので、バリ人も徴用されて亡くなったかもしれません。

 そんな過去を水に流してくれたかのように、毎年大量の日本人観光客を受け入れてくれているバリ島のために、この輝かしい未来の礎となって亡くなった方のことを偲び、追悼慰霊の儀を行いました。


※テラハウスの社長、ウィディアさんの家族に、やしの実ジュースをごちそうしていただきました。よく熟れていて甘酸っぱい味がして涼をとるには最適。

※これからのテラハウスについて語る社長。テラハウス経営は家族みんなの夢と希望になっているのです。

※画家のマデさんと。素晴らしい絵を描いてもらいました。


※儀式の用意がととのうあいだに子供と語らう木村天山。

※筆と墨で即席の慰霊碑をつくり、家の大黒柱にかけて追悼慰霊をはじめる

※丁度太陽が降りてきて、儀式を行うには絶好のタイミング。


 この家の家長の方は、戦時中に日本軍の労務者として強制的に働かせられていたそうです。今ではそのことは忘れたとおっしゃっていただいています。

 今回追悼慰霊の儀を行うにあたって、できれば同席してほしいとお伝えしたのですが、足腰が弱っておられるので、二階にはあがっていらっしゃいませんでした。

※大祓祝詞を奉納し、花を散らす。戦争の犠牲となった全ての方々のために追悼慰霊をする。

※最後に、即席の慰霊碑に火を着けて燃やし、儀式を終えました。



※ウィディアさんとそのお母さん。日本で働いている彼にとってはじつに二年ぶりの帰郷となり、久しぶりの親子水いらずの瞬間。

 
 次回は必ずマルガラナ英雄墓地にて追悼慰霊祭を行おうと 思いました。

 場所を提供して下さったウィディアさんの家族、バリ島のご先祖様方に、ただ感謝の意あるのみです。

 

バリの平和を祈り、

ランの花を添えて。


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