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メーホンソーンにおける追悼慰霊を終えた私たちは、飛行機でチェンマイへ移動しました。
去年11月、チェンマイ市内で行った日本の歌のコンサートの成功を受けて、第二回を開くこととなりました。
今回も前回同様、チェンマイ県メーワン郡バーンガート中高学校の敷地内にある、タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼の碑を管理されている、慧燈財団へのチャリティーが目的です。
そのコンサートを明日に控え、慧燈財団が教育里親支援などを行っている、バーンガート中高学校にて、日泰文化交流のための公演を行いました。
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公演をはじめる前に、校長先生とお話をさせていただきました。私たちを歓迎するという旨のお言葉をいただきましたが、その日は来客があるので残念ながら公演には出られないとのことでした。
そのかわりに、この学校で三番目に偉い、教務主任の先生が会場に来てくれました。
慧燈財団が毎年奨学金の授与式を行う、講堂のような部屋を使わせていただきました。お客さんになってくれたのは、選択課目で日本語を学ぶ、高校一、二学年の生徒さんたちでした。
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チェンマイにおける私たちの活動全般に渡って助力して下さっている、慧燈財団のチェンマイ事務局長の小西さんに司会をつとめてもらい、要所要所でタイ語の通訳をいただきながら、公演を進めていきます。
さいしょに野中がディジュリドゥを演奏し、次に木村が日本の歌を披露しました。雨降りお月さん、とんぼの眼鏡などの童謡や、タイ演歌との共通点もある歌謡曲、蘇州夜曲、また木村天山オリジナルのさくらの歌などを披露しました。
小西さんの的確な通訳のおかげで、歌詞の内容もタイの高校生たちに伝わったようです。
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※普段は生声にこだわっている木村だが、今回は場所が音楽向きではなかったので、マイクを使った。しかしところどころでマイクを外して歌ったが、後ろのほうまでよく届いていた。
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※「みなさんと仲良くしたい、いつか日本人はタイ人に助けられることになるから」と挨拶で述べていた木村。公演の最後に、お客さんの幸福を祈る朗詠を行い、日本とタイの友好を願う意味で、日本の旗を掲げた。
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※公演終了後、小西さんとともにタイ・ビルマ方面戦病歿者追悼の碑に向かう。ここで追悼慰霊を行うのはこれで二回目となる。
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※六月のタイはたいへんに暑い。この日も猛暑で、汗だくになりながら大祓祝詞をあげる。こんかいは二回目だったからか、一回目よりもどことなく全てがスムーズだった印象がある
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公演、慰霊を終え、チェンマイ市内にもどったのはお昼過ぎでした。このように活動をつづけていくなかで、少しずつ新しいことに挑戦していきたいと思います。
次はいよいよ、今回のタイ訪問のハイライトである、タイ・ビルマ方面戦病歿者追悼の碑に捧げるチャリティーコンサートを行います。
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