木村天山旅日記

 

タイ旅日記 平成20年6月 

 

第5話

メーホンソーンに、二泊して、チェンマイ入りした。

昼にチエンマイに着く。

 

慧燈財団の、小西さんが、出迎えてくれた。

今回の、追悼慰霊の、アドバイスも、小西さんからのものである。

また、車の手配も、お願いした。

 

以前にも書いたが、カレン族の女性と結婚し、チェンマイ在住である。

その、カレン族の村にも、後で入ることになる。

 

小西さんに、ラーメンが食べたいと言う。

日本のラーメンが、食べたくなった。

チェンマイには、多くの日本料理店がある。ピンからキリまである。

ラーメンを専門にする店に、連れて行ってもらった。

 

味噌ラーメンである。

味噌と、醤油が欲しくなる。日本人である。

 

馴染みの味を食べると、安心する。

私は、特に、この頃、食べることを、楽しみに、また、大切にしている。

それは、限られた時間しかないからであり、食べることは、命をつなぐことでもあるからだ。

日本では、ほとんど、自炊である。

最も、それが、いい。

 

その後、小西さんが、お気に入りの、店に連れて行ってくれた。

 

街中にあるが、森の中にあるような、店だった。

私は、アイスクリームを注文した。

疲れると、甘いものが食べたくなる。

 

タイは、雨季である。

その店にいる間に、スコールに、見舞われた。

見る見る、水かさが増す。

道が、水で溢れる。

 

パラソルの下にいた、私たちも、店の中に入った。

 

スコールは、やや暫く続いた。

その間に、追悼慰霊の様を、話していた。

小西さんは、遺骨収集も行っており、色々な話が聞ける。

まだ、すべての遺骨収集が、終わっている訳ではない。

 

更に、宗教の話から、古神道の、話にまで及んだ。

小西さんも、独学で、様々な宗教を学んでいた。

 

そして、矢張り、古神道に行き着いた人である。

 

スコールが止み、漸く、ホテルに向かった。

馴染みの、ターペー門の前の、モントリーホテルである。

三泊の予定である。

 

丁度、食事付きで、750バーツの、キャンペーンをやっていた。

約、2500円である。一部屋の値段であるから、二人で、一泊、2500円ということになる。

 

タイも、バリ島も、ホテルの料金は、一部屋で、計算する。

 

小西さんは、私たちが、チェックインするまで、付き合ってくれた。

 

部屋に入り、浴衣を脱いで、シャワーを浴びて、タイパンツをはき、Tシャツを着た。

そして、ベッドに体を、横たえた。

 

少し、放心状態である。

メーホンソーンの追悼慰霊が、色濃く心を、支配した。

 

夕方、私たちは、漸く、タイマッサージを受けるために、部屋を出た。

ホテル並びの、マッサージ店に行く。

顔馴染みの、マッサージ嬢だけでなく、新しい顔が多くあった。ただし、皆、おばさんである。

 

一時間、100バーツという、安さの、コースを選んだ。

約、330円である。

ところが、私たちについたのは、新入りの、おばさんである。

私の方は、まだ、何とか良かったが、野中についたおばさんは、お喋りばっかりで、手がおろそか。

身の上話を、延々としていた。

野中が、気の毒になった。

 

マッサージを終えて、一度、ホテルに戻った。

野中曰く、マッサージをして、更に疲れたと。

 

夜、何を食べるかである。

 

私は、近くにある、和食の店にした。野中も、それでいいと、言う。

蕎麦が、食べたくなったのだ。

昼は、ラーメン、夜は、蕎麦である。

麺類を望むのは、また、疲れている証拠である。

 

寿司セットを一つと、ざる蕎麦を、それぞれ、注文した。

 

面白いことに、お客は、皆、タイ人である。

タイ人も、和食を食べるようになっているのである。

 

ただ、どうも、麺類は、タイ人の好みで、伸びている。

歯ごたえが無い。

 

寿司にも、蕎麦にも、わさびが、多くついている。わさびの、辛さは、タイには無いものである。

 

私たちは、食べ終わり、すぐに、ホテルに戻った。

 

その日は、野中も、外出せずに寝た。

 

私は、歌を詠む。

 

チェンマイは 雨季にありては 時に雨 すこぶる強く 叩きつけたる

 

スコールの 後の清しさ たとえなく 息を吸い込む 時の嬉しさ

 

雨ありて 風起こしたる スコールの 人の心の 乱れに似たる

 

来るたびに お堀の水の 清まりて このチェンマイを 愛し始める

 

よしやよし 定め無き世の 常なるは 定めを捨てて 常に生きるか

 

疲れては 旅のひと時 ただ眠る 眠り眠りて ただ眠るなり

 

更に、

感じて歌を詠む

 

情けなき 人の世に 生まれ来て 情けなきかな 人の世を去る

これ 悲しむべきか 喜ぶべきか いまだ わからぬことなりて

 

無定形の歌である。

 

矢張り、慰霊の様を、思い出し、歌う。

 

蛙鳴く 虫も鳴くなり 追悼の いしぶみ超えて 慰霊天を突く

 

この、慰霊天を突くを、尽くにするかどうかと、暫く迷った。

結局、わからず、最初の、突くにした。

 

尽くすと、いう気持ちもあるが、嘆きは、天を突くと、感じた。

 

歌の道こそ、ゆかしけれ、である。

床しい。

それが、奥床しい、という心象風景になり、更に、幽玄へと、至る。

 

しかし、幽玄と、漢字にすると、観念が、先に立つ。

もののあわれ、の、一つの風景であると、する。