木村天山旅日記

 

タイ旅日記 平成20年6月 

 

第6話

夜中に、目が覚める。

3:30である。日本時間、5:30。つまり、いつもの時間に目覚めるのだ。

 

少しして、また、寝る。

 

本日は、朝10時にホテルを出て、バンガート中高学校での、コンサートに向かう。

 

六時に、起きた。

少し、ぼんやりとして、予定を確認する。

本日の歌の確認もする。

 

お話など入れて、おおよそ一時間。歌は、その半分の時間くらいになる。

童謡を主にすることにした。

伴奏は、ピアノでの、カラオケを作ってある。

 

いつもなら、一日、ゆっくりとするところだが、今回は、時間がない。

明日は、街中のホールでの、コンサートである。

 

旅の最中の体調管理は、重大である。

特に、風邪に注意である。

暑い国に行くと、必ず風邪を引く。暑いと思い、裸になるからである。

私は、必ず病院から、風邪薬を貰って旅に出る。

 

七時に、ホテルのレストランの前の、道路に面したテラスで、朝食をとった。

すでに、道は、車で混雑している。

朝の、活気はいい。

 

最初に、チェンマイに来た時も、このホテルだった。来る度に、値段が違う。このホテルを、皮切りに、ゲストハウスに移動した。

今回は、三泊なので、移動せず、ここに泊まることにした。

朝食付き、750バーツは、安い。

 

閑散期は、どこのホテルも、値段が落ちる。

 

一時間ほど、テラスで、過ごして部屋に戻った。

野中が、目覚めた。

 

私は、本日のコンサートの、楽譜を取り出し、歌詞を確認する。

合間に入れる、お話も、少し考える。それを、小西さんに、通訳してもらうので、通常の時間より、お話が倍になる。それほど、多くの曲数は、いらない。また、今回は、野中も、イダキを、披露する。

 

朝、10時に、小西さんが、迎えに来てくれた。

バーンガート学校は、最初の追悼慰霊の場所でもある。

 

本日は、日本語を学ぶ、50人ほどの生徒の前で、歌う。

慧燈財団が、ここに、日本語教師を派遣しているのだ。

小西さんも、元教師として、教壇に立っていた。

 

会場は、学校の一階にある、多目的ホールである。

その前に、校長先生に、ご挨拶に、伺った。

 

前回の時は、校長先生は、留守で、お会い出来なかった。

初めて、お会いする。

先生は、生徒は、まだそれほど、日本語に堪能ではないという。そして、感謝の言葉である。

 

私たちは、すぐに、会場に入り、準備を始めた。

まず、持ってきたCDが鳴るのか、心配だった。

それは、大丈夫ということで、次に、マイクである。私は、生声で、歌うつもりだったが、全く残響が無い部屋である。均等に声が聞こえるようにと、マイクを使用することにした。

 

リハーサルを、生徒が覗く。

その度に、手を振り、挨拶する。

 

男女共学の学校で、男の子も、女の子もいる。皆、礼儀正しい。

面と向かうと、両手を合わせて、挨拶する。

 

開演は、12:00である。

15分前から、生徒が、入りはじめた。

私は、舞台前のソファーに座り、生徒を待った。

 

教務課の先生も、いらっしゃり、生徒と、同じく席に着く。

小西さんの、お話で、はじまった。

私と、野中の紹介である。

 

野中のイダキ演奏で、開始である。

 

私の、最初の曲は、砂山。

海は荒海、向こうは佐渡よ、すずめ鳴け鳴け、もう日が暮れる

 

すずめをテーマにした曲です、ということでの紹介をした。

 

雨降りお月さん

トンボのめがね

それぞれ、曲の前に、解説が入る。

そして、タイ演歌に影響を与えた、昔の歌、蘇州夜曲を歌った。

 

この歌は、東京音頭から、王将を書いた、西条八十の作詞で、歌謡曲を代表する。

ちなみに、西条は、ドイツ文学を、早稲田で講義し、詩人でもある。学者でありながら、俗曲といわれる歌の作詞を、手がけた。その数、おおよそ、千曲といわれる。

 

メロディーに、馴染みがあるのか、生徒は、静まり返って聴いた。

 

童謡を歌う時に、生徒が、私に笑いかけるので、安堵した。

 

最後に私は、扇子を取り出し、朗詠しつつ、舞うことにした。

それは、皆様の、幸福を祈るものですと、前置きをつけた。

 

日本の国旗があったので、舞の最後に、それを取り出して、扇子と、国旗で、最後のポーズである。

 

野中が、それを写真に撮った。

実に、右翼ぽい写真になるであろうと、思えた。

 

個人的には、日の丸が好きである。

単純明快が、いい。

 

白地は、天地、赤は、太陽である。

文句はない。

 

おおよそ、一時間のコンサートを、終えた。

生徒が、私たちに、感謝の挨拶をする。

 

それからである。

先生が、イダキに興味を示し、手に取り、吹く。生徒は、大笑いである。

更に、生徒も、手に取り、吹き始めた。

一人の生徒が、巧い。

 

私は、キスの上手な人は、巧く吹けますという。

小西さんが通訳すると、歓声が、上がった。

 

無事に、終了して、私は、すぐに慰霊碑に向かった。

野中と、小西さんも、駆けつけた。

 

木の枝を取り、依り代にして、御幣を作り、捧げた。

ここでは、二度目の、慰霊の儀である。

慧燈財団が、建てた、タイ・ビルマ戦線戦争犠牲者の碑である。

 

大祓えの祝詞を唱えて、四方を清めた。

小西さんと、野中を清め、そして、私も、野中に清めて貰った。

小西さんが、その様を、ビデオ撮影していた。

 

小西さんにも、それを、行って欲しいと思い、ビデオ撮影して貰った。

 

その後、チェンマイ市内に戻り、タイ料理の店に行き、昼食をとった。

終わると、三時を過ぎていた。

 

ホテルに戻り、矢張り、疲れた体を、ベッドに横たえた。

暑さもあるが、緊張感もある。

ホッとしたが、明日もあるのだ。

 

まだ、覚えていない歌詞を、夜のうちに、覚えようと思う。

マッサージに行く、元気も無いということもある。

その日は、マッサージに行くのを、止めた。